行田の黒い霧をはらう(PART 1 OF 3)
元・横田市長の自殺の謎
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デンマンさん。。。 どうして急に元・横田市長の自殺の謎に迫るのでござ~ますかァ~?
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あのねぇ~、それを説明するには、まず次のリストを見て欲しいのですよ。
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■『拡大する』
上のリストはライブドアの僕の『徒然ブログ』の3月1日から22日までの約3週間の「リンク元URL」のリストなのですよ。 赤枠で囲んだ 7番に注目してください。
GOOGLEで検索して『行田の黒い霧と工藤市長』を読みにやって来た人が この3週間に16人居たということですわね。
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■『行田の黒い霧と工藤市長』
。。。んで、この記事が元・横田市長の自殺と関係あるのでござ~ますか?
いや。。。 その事よりも、どうして急に『行田の黒い霧と工藤市長』を読みにやって来た人が3月に入って急に増えたのか?。。。 僕は、その事実に興味を持ったのですよ。 ちょっと2月の「リンク元URL」を見てください。
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■『拡大する』
これは2月1日から19日までの約3週間の「リンク元URL」のリストなのですよ。 見れば解るように、この3週間には誰も『行田の黒い霧と工藤市長』を読みにやってきた人が居ない。
つまり、3月に入ってから、行田市長の選挙が告示されたのでござ~ますわねぇ~。。。
そうですよ。。。 卑弥子さんは よく解りましたねぇ~。。。 だから、僕も「行田市長選挙」と入れてGOOGLEで検索してみたのですよ。 その結果を見てください。
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■『現時点での検索結果』
行田市長選挙の投票日が2015年4月26日なのですよ。
あらっ。。。 現職の工藤市長が3選を目指して出馬すると書いてありますわね。
そうなのです。。。 それで、選挙に関心がある人が工藤市長の業績を調べるために、GOOGLEで検索して僕の『徒然ブログ』にやって来たというわけですよ。
でも、その事と元・横田市長の自殺と、どのように関係しているのでござ~ますか?
上のリストの黒枠で囲んだ箇所に注目してください。 自殺した横田さんの『ウィキペディア』の項目がリストに載っているのですよ。 しかも、偶然と言えば奇妙な偶然なんだけれど、すぐその下の青枠で囲んだページは横田さんの自殺の謎を追うというページなのですよ。
もしかして、その記事もデンマンさんが書いたのでござ~ますか?
いや。。。 僕じゃありません。。。 興味があったので僕もすぐにリンクをクリックして記事を読んでみたのですよ。
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■『拡大する』
■『実際の記事』
あらっ。。。 デンマンさんの書いた記事のリンクが貼り出してありますわね。
そうなのですよ。。。 もう、ずいぶん前に書いた記事です。 卑弥子さんと語り合ったのですよ。 覚えてますか?
もう、忘れましたわよ。
いい機会だから、卑弥子さんの記憶を取り戻すためにも、改めて横田市長の自殺の謎を追ってみようと思うのです。
解りましたわ。。。 デンマンさんがその気なら、お相手しますわよう。
あのねぇ~、僕は子供の頃に横田青年を目にしていたはずなのです。
マジで。。。?
横田さんの家族は、僕の家からそう遠くない“ヨシヤ長屋”に住んでいたからですよ。 確か、僕が小学校の5年生か6年生頃に、肉屋さんを始めたのです。 僕もコロッケを買いに行ったことをよく覚えています。
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上の地図で愛宕神社の上の青丸でござ~♪~ますか?
そうです。 現在はもう、その店はありません。 “ヨシヤ長屋”は愛宕神社の右に見える青い芋虫がそれです。 横田夫婦は一生懸命に働いてお金をためて店を出し、借金を返すために家族の皆が一生懸命に働いていました。
そう言う状況の中で横田青年は行田高校へ進学したのでござ~♪~ますか?
おそらく、横田青年は熊谷高校に進学したかったのかもしれません。 当時、大学に進学したい夢を持っている中学生は ほとんどが熊谷高校へ入学したものです。
なぜ、横田青年は そうしなかったのでござ~♪~ますか?
たまたま、横田・前市長の話をお袋としたら、“ヨシヤ長屋”のおかみさんから聞いた話だと言って僕に話してくれたのだけれど、横田青年の父親は実の父親ではないと言う事でした。
つまり、お母さんが再婚した時の連れ子なのでござ~♪~ますか?
そうらしいのですよう。 横田青年は経済的に負担をかけられないと思い、父親に遠慮して、歩いて通える行田高校に決めたのではないか? 僕は、そう思ったのですよう。
でも、電車通学ぐらい、たいした経済的な負担にはならないでしょう?
あのねぇ、当時、高校進学は経済的に余裕がなければ諦めて、定時制に行くか、中学卒業で働きに出るのが当たり前な時代だった。 日本はまだ経済大国になる前だったから。。。
デンマンさんが中学卒業の頃は、どうだったのでござ~♪~ますか?
経済大国をめざしてまっしぐらで、僕が中学生の時に東京オリンピックがありましたからねぇ。。。経済的に日本が良くなっているときでした。 でも、50人のクラスで中学卒業で就職した人は10人ぐらい居ましたよう。 とにかく、中学校の先生が、校長先生をはじめとして、みな自転車通勤でした。 その中で大学を出て まだ5,6年の若い先生が自家用車を買ったのです。
自家用車を持つ事が珍しかったのですか?
もちろんですよう。 生徒の間では、7万円の超中古の自動車だとウワサされて、その先生はバカにされていましたよう。
じゃあ、“ヨシヤ長屋”から大学へ進学した人は居なかったのでござ~♪~ますか?
横田青年の世代では、誰も大学へは行きませんでしたね。 僕の同級生で一人だけ“ヨシヤ長屋”から大学へ進学しました。
つまり、横田青年が市役所に就職した時には大学卒の職員は少なかったのでござ~♪~ますか?
横田青年が大学に進学していたとすれば、順調に卒業したのは1964年ですよう。大学進学率を調べたら次のような結果をゲットできました。
大学進学率の推移
1957(昭和32)年 16.1%
1960(昭和35)年 17.2%
1965(昭和40)年 25.4%
1970(昭和45)年 24.2%
1975(昭和50)年 34.2%
1980(昭和55)年 31.9%
1985(昭和60)年 30.5%
1993(平成5)年 34.5%
2003(平成15)年 48.6%
『男女別大学進学率の推移』より
横田青年が高校を卒業した年が1960年。当時、大学に進学した人は100人のうちわずかに17人。
少なかったのですわねぇ~。 2009年の春には進学率が初めて5割を突破したそうでござ~♪~ますわ。 二人に一人が大学に行くようになったのですわ。
大学進学率、初めて5割超す
2009年8月7日
今春の大学への進学率が現役・浪人合わせて初めて5割を突破したことが6日、文部科学省の学校基本調査(速報)でわかった。
短大を含めた進学率も56・2%と過去最高を更新。
志願者に対する入学者の割合は92・7%に達したが、「大学全入」時代には至らなかった。
同調査によると、今春の大学への進学者は60万8730人となり、昨春より約1500人増え、進学率は1・1ポイント上昇して50・2%だった。
進学者数は、調査項目に加わった1954年度(13万5833人)の4・5倍。進学率は、94年度に30%を超えてから徐々に増加し、この15年間で20ポイント増えたことになる。
短大を含めた進学率は、昨春より0・9ポイント増の56・2%。現役だけでも53・9%となり、過去最高となった。
また、大学卒業後、進学も就職もしなかった人は前年度比約8000人増の6万7888人となり、6年ぶりに増加に転じた。
文科省は、昨秋からの景気の悪化が原因とみている。
出典:読売新聞(2009年8月7日)
つまり、横田青年が行田市役所に就職した時には大学卒が少なかったから、昇進にはそれ程問題がなかったのでござ~♪~ますわね?
いや、そうとも言えないのですよう。
行田市役所では大学卒をたくさん雇ったのでござ~♪~ますか?
実際に どれだけの大学卒が入所したのか分からないけれど、大学卒業者も居た事は確かです。 ちなみに、地区の自治会長をしている僕の叔父は『人間の証明』を書いた森村誠一さんと同じ年の生まれです。1933年。
叔父様は大学を出たのでござ~♪~ますか?
そうなのです。 実の姉の僕のお袋は小学校だけしか出てないのです。 生まれが貧乏農家で子沢山だったから女学校にも行けず、遠縁の親戚の寿司屋で女中奉公をして、弟たちや妹たちを喰わせた。 暮らしが良くなってきたのは お袋の父親が南河原村(現在は行田市に合併)の収入役についた頃からだった。
つまり、デンマンさんのお母様は一番貧乏していた時に女学校へも行けずに弟たちや妹たちのために女中奉公をなさったのですわね。
そうなのですよう。 もちろん、叔父だって、のうのうと大学へ行ったわけではなく、野良仕事を手伝いながら、夜、熊谷高校の定時制に通って、それから法政大学だったか?明治大学だったか?僕は名前を忘れてしまったけれど、大学の定時制に通って2年生のときに、就職のことを考えて全日制に変わったそうです。
。。。んで、叔父様は行田市役所に就職したのでござ~♪~ますか?
いや。。。埼玉信用金庫に就職したのですよう。 鴻巣支店の次長まで登り詰めたのは、同僚に大学卒業者が少なかったと言ってましたね。
どうして支店長にならなかったのですか?
前の次長から、ある資産家の隠し定期(無記名定期)を引き継いだらしいのですよう。 それがバレて国税庁の捜査官が入って、それで昇進の道を絶たれてしまった。 その事件がなかったら、やり手の人だから叔父は取締役になっていたかもしれません。
その事と横田青年の昇進と、どのような関わりがあるのでござ~♪~ますか?
つまりねぇ、横田さんの世代でも苦労して大学を出て行田市役所に就職した人が居たのですよう。 そのような人たちと横田青年は肩を並べて仕事をした。
でも、市役所で新規に採用になった人たちは、大多数が高校卒業でしょう?
そうです。 でもねぇ、高校を卒業して行田市役所に就職した人たちの間でも競争があった。 その人たちの間で実力を発揮して、大学卒業者も追い抜いて助役まで登り詰めるには相当な努力と処世術が必要ですよう。
横田青年は、それをやり遂げたとデンマンさんは感動なさったのでござ~♪~ますか?
あのねぇ、横田青年は行田高校を卒業して、当時、よりレベルの高い高校と見なされていた深谷商業、熊谷商業を出てきた人を追い抜き、大学卒業者も追い越し、市長に次いでナンバーツーのポジションである助役にまで登り詰めた。 そして、選挙で市長の椅子をつかんだ。 行田市で20年以上暮らして事情に明るい人ならば、最終学歴が行田高校卒業の横田青年の快挙は感動に値する出世物語なのですよう。
マジで。。。?
だから、僕以外にも横田青年の経歴を見て、最終学歴が行田高校(「行高」)卒業という事を知ると、ビックリしている人が居る。 次の2ちゃんねるの書き込みなども、その驚きを示しているのですよう。
(すぐ下のページへ続く)
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