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インドの神聖娼婦

2024-07-18 02:12:49 | 歴史四方山話

 

インドの神聖娼婦

 


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デンマンさん。。。 インドまで出かけて神聖娼婦と一夜を共に過ごしたのでござ〜ますかァ~?


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どうして僕がインドまで出かけて神聖娼婦と一夜を共に過ごさなければならないのですかァ〜?

だってぇ〜、インドまで出かけて神聖娼婦と一夜を共に過ごしたので上のような思わせぶりなタイトルを書いたのでしょう?

別に、卑弥子さんがエロい空想をするようにと思いながら上のタイトルを書いたのではありませんよゥ。。。

じゃあ、どうしてエロい空想をさせるようなタイトルを書いたのでござ〜ますかァ〜?

ちょっと次のメモを見てください。。。

 


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『拡大する』

『アンバパーリー』


 



これはライブドアの僕の「徒然ブログ」の日本時間で7月9日のアクセス者のメモです。。。 緑の枠で囲んだ箇所に注目してください。。。



どうして、いつものようにアクセス解析のリストを貼り出さないのでござ〜ますか?

リストをソフトカメラで撮って保存しておくのを忘れてしまったのですよ。。。でも、メモには7月18日に卑弥子さんと語り合おうと思って ちゃんとコピペしておいたのです。。。

メモには忘れずに、その時にひらめいたことを書いておくのですかァ〜?

そうです。。。こういう時に役に立ちますからねぇ〜。。。

。。。で、どなたがインドまで神聖娼婦と一夜を共にするために出かけたのでござ〜ますかァ〜?

卑弥子さんは、すぐにエロい妄想をふくらませるけど、アンバパーリー を読んだネット市民はインドまで出かけたわけじゃないのですよ。。。実は、宇都宮に住んでいる神村早苗(かみむら さなえ)さんが読んだのですよ。。。

 


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神村早苗さんは宇都宮市で何をしているのでござ〜ますかァ〜?



地元にある宇都宮大学の国際学部国際学科で国際人になるために勉強しているのですよ。。。

 


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あらっ。。。国際人になるためにインドの神聖娼婦に会いにゆくのでござ〜ますかァ〜?



神村早苗さんはインドまで神聖娼婦に会いにゆくわけではないのですよ。。。インドに「神聖娼婦」という女たちが居ることを知り、「なぜ娼婦が神聖なのだろうか?」。。。不思議に思ってネットで調べ始めたのですよ。。。

調べているうちに出くわしたのがアンバパーリー という記事だったのでござ〜ますかァ?

そういうことです。。。X(旧ツイッター)で次の写真を見て興味を覚えてツイートのリンクをクリックして記事を読んだのです。。。

 


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『拡大する』

『実際のページ』

『アンバパーリー』


 



上のツイートの指でさしているリンクにマウスのポインターをかざすと、左下にメモのリファラに出てくる短縮URL (https://t.co/EFfzJ2SfAN) が表示されます。。



「神聖娼婦」のことをインドでは「アンバパーリ」と呼ぶのですかァ〜?

違いますよゥ。。。卑弥子さんは忘れてしまったのですねぇ〜。。。思い出してください。。。

 


釈迦の入滅

釈迦はマガダ国の首都ラージャガハ郊外の鷲の峰を下りて北に向かい、ガンジス河の南岸パータリ村に行った。

そこでマガタ国が新しい都を建設しているのを見学してから河を渡り、ベーサーリに着く。

ここで釈迦は財産のある娼婦アンバパーリーの招待を受けてからベールヴァ村に行き、そこで雨季を過ごす。


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そのとき肉体の苦痛を感じ、入滅の近いことを覚悟する。

釈迦は自分の亡きあとの教団のあり方を弟子のアーナンダ(阿難)に告げた。

「自分の亡きあと、よく自らを灯りとなし、自らをよりどころとなし、他人をよりどころとせず、法を灯りとなし、法をよりどころとなして、他をよりどころとすることなかれ」

雨季が終わって北上し、パーヴァー村でチュンダという鍛冶屋から食事の招待を受け、それが原因で釈迦は食中毒を起こす。

その後クシナーラーに着き、郊外のサーラ樹のもとで弟子たちに寝床を用意させて横たわる。

そして老年の修行者スバッダを教化して最後の弟子とし、付き添いの弟子たちに見守られながら、「もろもろの現象は移り行く、汝ら怠らず努力せよ」ということばを残して入滅する。


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(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)




75-76 ページ
『お経の基本がわかる小事典』
著者: 松濤弘道
2004年11月1日 第1刷発行
発行所: PHP研究所

『仏陀とキリストと娼婦』に掲載
(2016年4月2日)


 


アンバパーリー


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アンバパーリーは、釈迦仏の女性の弟子(比丘尼)の1人。

ヴェーサーリー(毘舎離)の人でヴァイシャ出身。
ヴェーサーリー城外のマンゴー林に捨てられ、その番人に育てられたので、アンバパーリーすなわちマンゴー林の番人の子といわれるようになった。

アンバパーリーは、遠くの町にまで名声が伝わっていた遊女で、美貌と容姿、魅力に恵まれ、他にも踊りや歌、音楽も巧み、当然言い寄る客が引けを取らずとなって舞台等で莫大な稼ぎを得ていた

釈迦仏に帰依し、その所有していた林を僧団に献納した。

『長老尼偈註』(ThigA.206-7)によれば、出家し高名な長老となった自分の息子ヴィマラ・コンダンニャの説法をきき、みずからも出家、比丘尼となり、阿羅漢果を得たとされる。

仏典における言及

『テーリーガーター』1020では、彼女の美貌に心を奪われた比丘衆に阿難が誡めのために偈を説いている。

『大般涅槃経』では、リッチャヴィ(離車)族の公子らに先んじて釈迦仏を招待している。
公子らがその招待を譲り受けんと乞うも彼女は譲らなかったという。

その所有していた菴摩羅樹苑(マンゴー樹園)を僧団に寄進した。
後の天竺五精舎の1つ菴羅樹園精舎である。
この件は諸文献に通じるエピソードである。

 


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     祇園精舎の鐘



 

南伝『マハーヴァッガ』では、彼女の美貌によりますます多くの人々が街に引き寄せられてヴェーサーリーが潤ったという。

『雑阿含経』24.20、及び『長部註』(DA.ii.545)によると、菴摩羅樹苑にて、彼女が来るのを見て、釈迦仏は弟子集にその美貌で心が揺れないように四念処を説いたとある。

『㮈女祇域因縁経』では、彼女はヴェーサーリーのバラモンの㮈樹の肉瘤(にくこぶ)から生まれたとし、美人なるをもって15歳の時に7人の王が求婚したがすべて断った。
Sumanā(須漫)、Padumā(波曇)の二女も彼女と同じように各々樹華より生まれたという。
彼女と二女は共に500人の女性を率いていたが、釈迦仏の説法を聞いて出家し悟りを得たという。




出典: 「アンバパーリー」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


 



思い出しましたわァ〜。。。そうでした。。。お釈迦様はマガダ国の首都ラージャガハ郊外の鷲の峰を下りて北に向かい、ガンジス河の南岸パータリ村に行ったのでしたわ。。。そこでマガタ国が新しい都を建設しているのを見学してから河を渡り、ベーサーリに着いたのです。。。ここでお釈迦様は財産のある娼婦アンバパーリーの招待を受けてからベールヴァ村に行き、雨季を過ごしました。。。そのとき肉体の苦痛を感じ、死期が近いことを悟ったのでござ〜ます。。。



さすがは京都女子大学で「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・教授です。。。いったん思い出すと、立て板に水のごとく喋りだすのですねぇ〜。。。

誂(からか)わないでくださいましなァ〜。。。でも、アンバパーリーは神聖娼婦ではなく、日本で言えば平安時代の「白拍子」のような女性だったのですわねぇ〜。。。

 



白拍子

 


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白拍子(しらびょうし)は、平安時代末期から鎌倉時代にかけて起こった歌舞の一種。及びそれを演ずる芸人。

主に男装の遊女や子供が今様や朗詠を歌いながら舞ったものを指すが、男性の白拍子もいた。

素拍子(しらびょうし)とも書き、この場合は無伴奏の即興の舞を指す。

複数の白拍子が登場する鎌倉時代前期の軍記物語『平家物語』では、白拍子の起源について「鳥羽院の時代に島の千歳(せんさい)、和歌の前という2人が舞いだしたのが白拍子の起こりである」としている。

また「初めは水干を身につけ、立烏帽子をかぶり、白鞘巻をさして舞ったので、男舞と呼んだ。途中で烏帽子、刀を除けて、水干だけを用いるようになって白拍子と名付けられた。」と解説している。

 

歴史

白拍子は、男女問わずに舞われたものであったが、主として女性・子供が舞う事が多かった。

古く遡ると巫女による巫女舞が原点にあったとも言われている。
神事において古くから男女の巫が舞を舞う事によって神を憑依させた際に、場合によっては一時的な異性への「変身」作用があると信じられていた。

日本武尊が熊襲征伐において女装を行い、神功皇后が三韓征伐の際に男装を行ったという説話も彼らが巫として神を憑依させた事の象徴であったという。

このうち、巫女が布教の行脚中において舞を披露していく中で、次第に芸能を主としていく遊女へと転化していき、そのうちに遊女が巫以来の伝統の影響を受けて男装し、男舞に長けた者を一般に白拍子とも言うようになった。

白い直垂・水干に立烏帽子、白鞘巻の刀をさす(時代が下ると色つきの衣装を着ることも多かった)という男装で歌や舞を披露した。
伴奏には鼓、時には笛などを用いた。

後に、猿楽などへと変貌していった。
後に早歌(そうが)や曲舞(くせまい)などの起こる素地ともなった。
また延年にも取り入れられ、室町時代初期まで残った。

 

歴史上の白拍子

白拍子を舞う女性たちは遊女とはいえ貴族の屋敷に出入りすることも多かったため、見識の高い者が多く、平清盛の愛妾となった祇王や仏御前、源義経の愛妾となった静御前、後鳥羽上皇の愛妾となった亀菊など、貴紳に愛された白拍子も多い。

また、微妙や磯禅師等、歴史に名を残す白拍子も多い。

 

事例

仏御前を例にとると、14歳のとき上京し、叔父の白河兵内のもとで白拍子となり、その後京都で名を挙げ、当時の権力者であった平清盛の屋敷に詰め寄る。

その当時は白拍子の妓王が清盛の寵愛を集めていたので追い払われるが、妓王の誘いにより清盛の前で即興で今様を詠み、それを自分で歌いながら舞を見せ、一気に寵愛を集めた。

このとき詠んだ今様は、以下のようなものである。

 





 

君を始めて見るをりは 

千代も経ぬべし姫小松 

御前の池なる亀岡に 

鶴こそ群れ居て遊ぶめれ






出典: 「白拍子」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


 



さすがは京都女子大学で「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・教授ですねぇ〜。。。アンバパーリを「白拍子」に例えるなんて卑弥子さんじゃないと、なかなか言えませんよゥ。。。



そのようにおだてないでくださいましなァ〜。。。うふふふふふ。。。

(卑弥子さんが、まるで乙女のように恥じらってます)


 


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【ジューンの独り言】


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ですってぇ~。。。

卑弥子さんは、今でも純潔を守って独身なのですわァ〜。。。

それで、まるで乙女のように恥じらうのです。。。

ええっ。。。「そんな事は、どうでもいいから、もっと他に面白い話をしろ!」

あなたは、そのような強い口調で あたくしに ご命令なさるのですかァ~?

分かりましたわァ。。。。

では、あなたもビックリするような

忠臣蔵のとっても古い映画をご覧くださいまし。。。

なんと。。。昭和3年(1928年)制作の『忠臣蔵』ですわよう!

無声映画ですけれど、弁士の方がなかなかうまい説明をしてくださいますわ。。。

つい、引き込まれて観てしまうのですわ。。。

浅野内匠頭がどうしてヘマをしでかしたのか?

そのへんのところが詳しく映像に残っております。

観るだけの値打ちがありますわ。。。

では、どうぞ。。。

 



 

ところで、どうして小百合さんが

「軽井沢タリアセン夫人」と呼ばれるのか?

 


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あなたは ご存知ですかァ?

実は簡単な事なのですわよう。

小百合さんは軽井沢に別荘を持ったのですわ。

小さな頃から軽井沢に住むことが夢だったのですってぇ~。。。

分からない事ではござ~ませんわァ。

そもそも小百合さんが軽井沢に興味を持ったのは、朝吹登水子のエッセーなどを読んだことがきっかけだったとか。。。

現在、朝吹登水子の山荘、睡鳩荘(すいきゅうそう)は軽井沢タリアセンに移築されて公開されています。


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それで、小百合さんは軽井沢タリアセンを訪れては睡鳩荘に足を運んで少女の頃の事を思い出すのが楽しみなんですってよ。

そういう訳で、デンマンさんが小百合さんのことを「軽井沢タリアセン夫人」と呼ぶようになったのですわ。

軽井沢・雲場池の紅葉



軽井沢のイルミネーション



秋の旧軽井沢銀座ぶらり散歩



とにかく、明日もデンマンさんが興味深い記事を書くと思いますわ。
だから、あなたも、お暇なら、また読みに戻ってきてくださいまし。
じゃあねぇ~~。


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メチャ面白い、

ためになる関連記事




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■ 『ちょっと変わった 新しい古代日本史』

■ 『面白くて楽しいレンゲ物語』


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■ 『カナダのバーナビーと軽井沢に

別荘を持つことを夢見る小百合さんの物語』


『熟女下着』ジューンさんの熟女下着 June Adams 下着美人
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『センスあるランジェリー』



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ところで、平成の紫式部こと、卑弥子さんは見かけによらず、京都の女子大学で腐女子に「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授という肩書きを持っています。

卑弥子さんの面白い話をもっと読みたい人は
下のリンクをクリックして読んでみてくださいね。




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『日本のエロい文化』

『女のオナラ』

『紫式部と宮本武蔵』

『頼朝の死の謎』

『パンツと戦争』

『海外美女 新着記事』

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『江戸の敵を長崎で』

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『朝妻船』

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『元寇船』

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『歴史ロマン@バンコク』

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『愛情ゲットの呪術』

『源氏物語とおばさん』

『たこつぼ探し』

『光源氏の弟』

『勝負服』

『大伴家持の野心』

『そこが天才の偉いとこか?』


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『キャドバリーチョコ』軽井沢タリアセン夫人の小百合さんが扮するゴディバ夫人 Sayuri
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