ひろば 川崎高津公法研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

2008年8月13日、日吉駅の「虚空自像」、横浜市営地下鉄4号線(グリーンライン)

2020年05月02日 00時00分00秒 | まち歩き

 最初にお断りです。今回は、私の「川崎高津公法研究室」に掲載していた「待合室」の、第282回「東急東横線日吉駅のオブジェ(東急目黒線途中下車番外編)」(2008年8月30日〜9月5日掲載)、および第283回「グリーンラインに乗ってみました」(2008年9月6日〜17日掲載)を一つにまとめての再掲載です。写真撮影日は2008年8月13日です。一部を修正していますが、基本的な内容については変更を加えていませんので、御注意ください。

 

 2004(平成16)年4月に大東文化大学法学部に助教授として着任し(こういう時に赴任などという誤った表現を使ってはいけません)、2007年に教授となってからも、板橋校舎への通勤には東急目黒線を利用していました。東急目蒲線が目黒線と東急多摩川線に分割されてから、長らく目黒線の運転区間は目黒~武蔵小杉とされていましたが、2008(平成20)年6月22日から目黒~日吉となりました 。但し、目黒線の正式の区間は目黒~田園調布のままです。

 この日吉駅は、元々東急東横線のみの駅でしたが、一日平均の利用客数が10万人を超えていました。一路線しか通らない駅で10万人を超えるというのは、そう滅多にあることではなく、大手私鉄で最も利用客が多いと言われる東横線でも他には隣の綱島駅くらいしかありません。ちなみに、東横線の駅を利用客数の多い順に並べると渋谷、横浜、中目黒、武蔵小杉、日吉、菊名、綱島の順になりますが、日吉には特急が停車せず(通勤特急は停車します)、綱島には特急も通勤特急も停車しません。ここにあげた残りの駅は、特急停車駅であり、しかも乗り換え路線があります。

 日吉駅と綱島駅の利用客が多いのは、長きにわたって急行停車駅であり続けていることの他に、バスターミナルとしての役割が大きいことが理由としてあげられるでしょう。どちらの駅にも急行が停車するのは当然です。

 2008年3月30日、この日吉とJR横浜線の中山とを結ぶ横浜市営地下鉄グリーンラインが開業しました。そのため、日吉駅も乗換駅になりました。また、6月22日からは目黒線の運転区間が日吉まで延長するとともに、東横線の通勤特急の本数が増えましたので、日吉駅がいっそう便利になった訳です。

 回数などは多くありませんが、幼少時から時折、日吉駅を利用しました。かつては東口と西口とが分かれており、駅は橋の上にあるような形になっており、駅の真裏にはバスの日吉営業所がありました(1990年代に移転し、現在は東山田営業所になっています)。1990年代に改築され、駅はビルとなり、東急百貨店などが入っています。

 東横線・目黒線日吉駅の改札口を出ると、すぐに、御覧の大きな銀色の球が我々を迎えてくれます。これは、日吉駅で発行されていたパスネットにも登場します。

 この球のオブジェには「虚空自像」という名称が付けられています。いつ頃から置かれているのかがよくわかりませんし、作者などもわかりません。私が見落としただけなのかもしれませんが、案内板などは置かれていません。もっとも、すぐそばにそのようなものを置くというのは野暮なのかもしれません。

 それにしても、よく磨かれています。鏡のようになっているので「虚空自像」という名称なのでしょう。撮影者の私が写っています。何とも不思議なオブジェですが、待ち合わせ場所としてはうってつけです。

 撮影したのが8月13日で、夏の甲子園に慶応高校(やはりこの日吉にあります)が出場したため、左側の上のほうにノボリが貼られていました。 意外なことに、あまり目立ちません。

 「虚空自像」を西側から撮影しました。 真ん中に大きなくぼみがありますので、撮影者が反射して写るということはありません。ただの球ではなく、所々に凹部があります。惑星のクレーターを想起させますが、どんな意味がこめられているのでしょうか。

 奥の並木が慶応義塾です。本当に駅前なのです。但し、校舎はもう少し奥のほうにあります。詳しいことはよくわからないのですが、日吉は、本部のある三田(三田線直通の目黒線に乗れば乗り換えなしで行けます)と並んで慶応義塾の根拠地とされているようで、理工学部に至っては、 東京都小金井市にあったキャンパスを1970年代に矢上校舎(住居表示は日吉)に移転しています。法学部などの1年生、2年生が日吉校舎で学ぶだけでなく、理工学部では1年生と2年生が日吉校舎で、3年生以上が日吉校舎の隣にある矢上校舎で学びます。

 品川駅から東海道新幹線に乗り、多摩川を渡ると左のほうへカーブし、横須賀線・湘南新宿ラインと離れるとすぐトンネルに入ります。このトンネルの上が慶應義塾(日吉校舎、矢上校舎)です。以前、このトンネルに関する逸話を読んだことがあるのですが、どのようなものであったか忘れてしまいました。

 オブジェが置かれているのは自由通路で、西口と東口とを結んでいます。写真の右側が東口で、そばを通る綱島街道を経て、すぐに慶應義塾(日吉校舎、矢上校舎)の銀杏並木が見えます。慶応義塾があるために、日吉は全国的にも有名です。また、日大中学・日大高校の最寄駅もここです(但し、かなり離れています)。

 そればかりでなく、日吉は、現在ではすっかり常識ともなっている、鉄道会社による大学(などの学校)の誘致の最初の例なのです。住宅地を造り、分譲するのは現在の阪急が最初にやったことで、これが大手私鉄などに普及したのですが、学校の誘致は日吉が最初です。東急の前身である目黒蒲田電鉄および東京横浜電鉄(目黒蒲田電鉄の系列)は、東横線の利用客を増やすために慶応義塾を誘致しました。1934(昭和9)年、予科が開校しましたのですが、最初にしておそらくは最大の成功例になるとは思われていなかったでしょう。戦時中には、ここに連合艦隊の司令部が置かれたといいます。

 写真の手前のほうへ歩くと西口で、田園調布と同じように、駅を中心として放射状の道路が延びています。但し、田園調布よりは規模が小さく、道幅も狭いのですが、車と人の通行量は多いのです。私が学部生だった頃には、西口の南西方向に向かう道路沿いに、伊勢佐木町にもある古本屋の支店がありましたが、ほどなく閉店となりました。また、たしか貸本屋がありましたが、いまはどうなのでしょうか。

 思い出したことがありました。日吉地区の電話のことです。

 日吉駅は横浜市港北区にあります。しかし、日吉地区には戦前の市町村合併であれこれの問題があったようで、その名残として1990(平成2)年まで市外局番が横浜市の045ではなく、川崎市と同じ044で 、市内局番が長らく二桁でした。そのため、例えば綱島駅周辺から日吉駅周辺に電話をする際には頭に044を付ける必要がありました。しかも、川崎市から日吉地域に電話をする際には、同じ044地域なのに頭に044をつけてダイヤルを回さないとかからなかったのです。ちなみに、川崎市幸区にも日吉地区があり、日吉小学校と日吉中学校は川崎市幸区にあります。 

 また、撮影者の私が「虚空自像」に写っています。奥が東横線・目黒線の改札口ですが、グリーンラインとの乗換用の改札は、ここではなく、地下にあります。

 日吉駅は、東急東横線にとって様々な意味で重要な駅であるようです。宮田道一『東急の駅 今昔・昭和の面影』(2008年、JTBパブリッシング)59頁によると、日吉駅の北西にある日吉不動尊が東京横浜電鉄発祥の地であるとのことです。また、荻原二郎=宮田道一=関田克孝『回想の東京急行Ⅰ』(2001年、大正出版)84頁によると、1926(大正15)年2月14日に開設されてからしばらくの間は無人駅であったそうですが、慶応義塾予科が開校して以来、ここまで発展したのです 。無人駅がここまで大規模に、しかも全国的に有名な駅となるというのも珍しいことでしょう。

 昭和10年代から渋谷⇔日吉の区間運転が行われていました。これは、私が小学生か中学生の頃にも日曜日の昼に行われていましたが、いつの頃からか、早朝および深夜を除いて行われなくなりました。1964(昭和39)年には帝都高速度交通営団(現在の東京地下鉄株式会社)日比谷線との直通運転が開始され、それに際して日吉が折り返し駅とされました。たしか、1970年代 と1980年代には、JR南武線との乗換駅である武蔵小杉駅より日吉駅のほうが利用客が多かったはずです。駅の規模としても、武蔵小杉駅より日吉駅のほうが大きかったのです。現在は、乗降客の点では武蔵小杉のほうが大きいと言えますが、駅の施設などからすれば現在も日吉駅のほうが大きいでしょう(少なくとも、この記事を最初に「待合室」に掲載した2008年8月30日の時点においてはそうであったはずです)。

 長らくの間、大手私鉄では東急だけが特急を走らせていなかったのですが、21世紀になった年である2001(平成13)年、東横線に特急が登場しました(勿論、特急料金は不要です)。その時の停車駅は渋谷、自由が丘、武蔵小杉、菊名、横浜、桜木町で、日吉は通過駅とされました。2003(平成15)年に中目黒が停車駅になるとともに通勤特急が追加され、日吉駅には通勤特急が停車します。

 ついでのことなので、現在の特急と通勤特急の停車駅を記しておきましょう。

 特急:渋谷⇔中目黒⇔自由が丘⇔武蔵小杉⇔菊名⇔横浜⇔みなとみらい⇔元町・中華街(山下公園)

 通勤特急:渋谷⇔中目黒⇔自由が丘⇔武蔵小杉⇔日吉⇔菊名⇔横浜⇔みなとみらい⇔馬車道⇔日本大通り(県庁・大さん橋)⇔元町・中華街(山下公園)

 また、これは将来の話であり、実現するかどうかもわからないのですが、相鉄が西谷駅から、東海道新幹線に沿って新横浜を通り、日吉に出る新線を建設するという計画を立てています。東横線か目黒線と相互乗り入れをするという話もあります。

 〔2020年5月1日現在、東急は日吉から新横浜までの路線を建設しています。〕

 さて、ここからグリーンラインに乗り、中山に行くこととしましょう。

 

 神奈川県の県庁所在地である横浜市は、大日本帝国憲法が公布された1889(明治22)年に市制となり、第二次大戦後のいわゆる五大都市の一つであり(他には名古屋市、大阪市、京都市、神戸市)、1956(昭和31)年に政令指定都市になりました。現在は、市としては最大となる350万超の人口を抱えています。しかし、五大都市の中では地下鉄の開業が最も遅く、また、2008(平成20)年3月30日にグリーンライン(正式には4号線)が開業するまで、実質的には一路線しかなかったのでした(ブルーラインのうちの湘南台~関内が1号線、関内~あざみ野が3号線なのですが、1号線と3号線はほぼ完全に直通運転を行います)。

 その横浜市には、県庁、山下公園、中華街、元町などがある中区、横浜駅がある西区、県名の由来にもなっている神奈川区など、全部で18の区が置かれています。その中で最も人口が多いのは港北区です。前回取り上げた日吉の他、綱島、菊名、新横浜といった所があります。この区が成立したのは1939(昭和14)年で、神奈川区からの分区によるとのことです。

 さて、今回は、港北区の北端にある日吉駅から、開業して間もないグリーンラインに乗り、港北区と都筑区を通って緑区の中山へ出ます。この路線を利用するのは2度目ですが、最初に利用したのは高田駅から日吉駅までという、非常に短い区間でした。

 この路線には読み間違えやすい駅名がいくつかあります。まず、日吉を出て二駅目の高田ですが、これは「たかだ」ではなく、「たかた」と読みます (最初の「た」にアクセントを置くという話を聞いたことがありますが、地元の方にうかがいたいところです)。高田の次が東山田、その次が北山田ですが、「ひがしやまだ」、「きたやまだ」ではなく、「ひがしやまた」、「きたやまた」です。横浜市北部の地名では、田という漢字を濁音の「だ」ではなく、清音の「た」で読む傾向が強いらしく、同じような例として緑区の長津田(ながつた)があります 。もっとも、勝田は「かちだ」、荏田(駅名は江田ですが、町名は荏田です)は「えだ」と読みますので、よくわからないところもあります。ちなみに、東京都港区にある有名な白金台 は「しろがねだい」ではなく「しろかねだい」と読みますし、世田谷区にある深沢も「ふかざわ」ではなく「ふかさわ」と読みます。

 東横線・目黒線日吉駅の地下に、グリーンラインとの乗り換えに便利な改札口がありますが、私はあの「虚空自像」を見たかったこともあって地上の改札口に出ました。西口に出てすぐに右に曲がると、上の写真にある地下鉄駅への出入口があります。少々貧弱であることは否めませんが、多くの客は地下の改札口で乗り換えているのでしょう。

 日吉駅のホームに中山行きが止まっています。都営地下鉄大江戸線、大阪市営地下鉄長堀鶴見緑地線や福岡市営地下鉄七隈線と同じく、リニア地下鉄です。そのため、屋根が低く、全体的にみても小ぶりです。屋根の低さは架線でわかります。建設費縮減のためということで、リニア地下鉄に共通する点でしょう。前のほうにパンタグラフが付いていますが、小型で見えにくい点も共通しています。

 リニア地下鉄にしたのは、建設費縮減の他に、急勾配、急カーブが建設予定地にあるから、ということなのでしょう。ただ、ブルーラインは第三軌条方式を採用していますから(そのためにパンタグラフが付いていません)、グリーンラインも第三軌条方式にすれば便宜性が高かったはずです。もっとも、第三軌条方式を採用している路線が神奈川県では他にありませんので、ブルーラインから他の路線に乗り入れることができません。また、線路の幅はブルーラインとグリーンラインで同じなのですが、ブルーラインはリニア地下鉄ではありません。線路の幅と言えば、JR、東急、相鉄、小田急と異なりますし、京浜急行とは同じでありながらブルーラインとは集電方式が異なりますし、京浜急行はリニア方式を採用していないのでやはり直通できません。東京では当たり前となっている他路線との直通運転ができれば乗客数も利益も増えていただろうと思われるだけに、それができない点は横浜市営地下鉄の最大の弱点でしょう。

 ともあれ、4両編成のグリーンラインに乗り込みます。日吉本町駅と高田駅は港北区、東山田駅から都筑区に入ります。横浜市営地下鉄は、起終点の駅が地下にあるにもかかわらず途中に地上区間が多いことが特徴で、ブルーラインの湘南台~港南中央、北新横浜~あざみ野に乗ると何回も地上に出ることがわかります。グリーンラインもそうで、都筑区に 入り、北山田駅を出発してしばらくすると高架区間に入ります。センター北駅、センター南駅および川和町駅は高架駅です。都営地下鉄大江戸線、大阪市営地下鉄長堀鶴見緑地線および福岡市営地下鉄七隈線には地上区間がないので(七隈線の車庫は地上にあります)、現在のところ、グリーンラインは地上区間を走るという点では珍しいリニア地下鉄であるということになります。

 日吉駅からセンター南駅までの区間は自動車で何度となく通っていますので、どういう所かは大体わかります。センター南駅の次の都筑ふれあいの丘駅(地下駅)の付近だけは、通ったことがありませんのでよくわかりません。川和町駅は、何回も車で通っているのですが、車窓が気になったので後で行ってみることとしました。まずは中山駅まで乗り通します。

 高架駅である川和町駅を発車して再び地下に入り、中山駅に到着しました。この駅だけは緑区にあります。同区の中心が中山であり、区役所なども駅の近くにあります。

 緑区は、1969年に港北区から分離して成立した区です。それから25年経った1994年に、港北区と緑区がそれぞれ分区をして都筑区と青葉区が成立するのですが、やや複雑な分区となりました。青葉区は緑区の北西部(東急田園都市線のたまプラーザ~田奈と言えばよいでしょう)が分離しただけですのでわかりやすいのですが、都筑区は港北区の西部(東山田駅、北山田駅、センター北駅、センター南駅 、中川駅など)と緑区の北東部(仲町台駅、第三京浜道路港北インターチェンジ付近など)とが一緒になって成立したのです。従って、都筑区は港北区および緑区から分区したことになります。都筑区の旧緑区地域に長らく住み続けた人の場合、住居表示が港北区→緑区→都筑区と変わったことになります(同じことは青葉区についても言えます)。ちなみに、都筑区という区名ですが、これは元々が横浜市北部の郡名に由来するものです。

 一つの区が最終的に四つの区になったという例は、日本全国を見渡してもあまりないのではないかと思われます。

 元はと言えば同じ港北区であった区間を走るのがグリーンラインですが、現在の日吉~中山は暫定区間であり、日吉駅からは鶴見方面に、中山駅からは中心街方面に延長するという計画があるようです。しかし、横浜市営地下鉄の赤字額は、2008年8月の時点において、日本の地下鉄の中でも上から数えて5番以内に入るほど大きかったのです。果たして、延長は実現するのでしょうか。

 上の写真に登場するのは、10000形の先頭車両です。横浜市交通局のイメージキャラクターである「はまりん」が運転席の下のほうに付けられています。リニア地下鉄の場合は、途中駅での乗降口が右側に統一されているため、ワンマン運転の利便性ということで運転台が右側に置かれています。新交通システムなどでは右運転台が多いのですが、JRや大手私鉄などでは左運転台が一般的であるため、私は右運転台を何度見ても違和感ばかり覚えます。

 乗降口のドアの上には、東急5000系・5050系・5080系、新6000系、新7000系、JR東日本231系、東京メトロ10000系などとほぼ同じタイプのモニターがあり、同じようなスタイルで停車駅などの案内を映し出します。非常にわかりやすい案内です。

 それにしても、各駅停車しか走っていないのにわざわざ「普通」と表示しているのは何故なのでしょうか。将来、急行か快速を運転するつもりなのでしょうか。現在の日吉~中山という区間では、急行も快速も意味はないと思うのですが。

 10000形の運転席です。以前このコーナーにも登場した福岡市営地下鉄七隈線の3000系には乗務員室と客室との間に仕切りがありません(そのため、進行方向の反対側の運転席には乗客が自由に座れます)が、グリーンラインの10000形には仕切りがあります。

 右側に片手操作のワンハンドルマスコンがあり、手前にドアの開閉ボタン、乗降促進ボタン、ATO出発ボタンがあります。左側には運転用モニター、右側にはドア監視用モニターがあります。東急目黒線、都営三田線、東京メトロ南北線と副都心線を利用している私には、片手操作のワンハンドルマスコンを除いていずれも見慣れたものです。

 ATOということで、ほぼ全自動運転です。二つのATO出発ボタンを同時に押すと動き出し、自動で加速し、自動で惰性運転になり、自動で停車します。このような技術を見ていると「すごいもんだな」と思います。七隈線の3000系はもっと徹底したATOで、無人運転が可能であるように設計されており、ドアが閉まるとボタン操作がなくとも発車しますが(大江戸線も同様であるかもしれません)、グリーンラインの10000形はそこまで進んでいないようです。もっとも、運転士がいないというのもどうかとは思うのですが。


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