まずは前口上または言い訳です。このブログに、2013年4月10日23時55分22秒付で「大牟田駅から新栄町まで歩く(2007年9月8日)」を掲載しました。「待合室」に掲載していた記事を統合したものですが、OCNからgooに移行した際に、記事の一部が消滅していました。そこで補おうとすると字数制限に引っかかります。考えた末に分割することとしました。結局、最初に「待合室」に掲載した通りに復元することとした訳です。
(以下は、第234回「大牟田駅から新栄町まで歩く(その1)」として、2007年10月21日に掲載したものです。明らかな誤字脱字を除き、内容は当時のままです。)
私が大東文化大学法学部法律学科の専任教員(助教授)となった2004年度より、夏休みの後半には、福岡市早良区西新にある西南学院大学の法学部で集中講義「税法」を担当させていただいております。教授となった今年(2007年)も、9月5日から7日まで、および10日から12日までの期間に担当させていただきました。
また、今年は、夏休みの前半、8月7日から10日まで、福岡市城南区七隈にある福岡大学の法学部でも集中講義「財政法」を担当させていただきました。
不思議なもので、当時の大分大学教育学部に就職するまで一度も九州に行ったことがないというのに、1997年4月以来のこの10年間、私は九州、とくに大分県と福岡県に多少とも深い関係を持ち、何かと言えば各地をまわるようになりました(一応、九州島内の各県庁所在地は全て訪れています)。大分市に住んでいた7年間は、主に私自身が運転する自家用車(日産パルサーJ1J→日産ウイングロードX)で各地を走り回っていましたが、時にはJR九州の特急列車やローカル列車、福岡市営地下鉄、西鉄電車などに乗って九州島内の各地を回りました(長崎県だけは、車で走り回ったことがありません)。大東文化大学に移ってからは、九州内では専ら電車かバスを使っています。一度、川崎から福岡まで愛車の5代目ゴルフGLiを運転した上で九州を走り回ってみたいのですが、片道で1000キロメートルを超える道のりを走り抜けるのは厳しいでしょう。ましてや、私は福岡まで遊びに行っているのではなく、仕事のために行っているのです。
8月は、日程の関係で、集中講義開始日の前日に太宰府天満宮へ行っただけで、あとは福岡市内の天神から薬院までの間、七隈、野芥、藤崎を歩いたくらいです(この時期の福岡は、連日、最高気温が35度を超えていました)。9月は、飯塚、田川後藤寺を経由して、およそ4年ぶりに大分県日田市へ行きましたし、西南学院大学に近い西新商店街から藤崎商店街まで歩いたり(西新から藤崎まで、商店街の名前は変わりますが、一本道でつながっています)、福岡市内の雑餉隈、大橋なども歩きました(天神界隈は当然のことです)。そして、今回は、昨年訪れた柳川より先、西鉄天神大牟田線の終点、大牟田へ行き、大牟田市の中心街、新栄町まで歩いてみようと思い、土曜日の朝、西鉄福岡(天神)駅に向かいました。
朝9時20分過ぎ、福岡駅3番ホームに特急電車が到着しました。9時30分発の特急大牟田行になります。これに乗れば、およそ1時間で大牟田に着きます。全線の距離はおよそ75キロメートルですので、かなり速い特急ではないかと思います。片道1000円、特急料金は不要です。
写真は、平成元年から特急用として活躍している8000形で、平日の昼間と土曜日・休日の特急は、原則としてこの8000形です(時々、先代の特急用電車である2000形も使われます)。ただ、平日朝のラッシュ時と夕方は、特急ではなく、普通電車に使われることが多いのです(急行の時もあります)。これが西鉄の面白さで、平日朝夕の特急には5000形などの通勤型車両が使われるのです。それだけ、乗客が多いということでしょう。平日の朝、上りだけですが快速急行が8両で走りますし、女性専用車も設定されます(九州で女性専用車が走るのは天神大牟田線だけです)。一度、平日の夕方に福岡から大橋までの普通電車に乗ったのですが、東急東横線や田園都市線(両線とも、種別を問わずに混雑します)ほどではないものの、かなり乗客が多いことには驚かされました。福岡から二日市までは、昼間でもかなり乗客が多く、特急や急行では座れないこともしばしばです。今回乗る特急電車も、混雑というほどではなかったのですが、終点までかなりの乗車率でした。
1時間ほどで大牟田駅に到着しました。JR鹿児島本線との乗換駅です。鹿児島本線と西鉄天神大牟田線はほぼ並行して走っており、とくにJR銀水駅付近からは両線が隣り合うようにして走っていますが、乗り換えが出来るのは大牟田駅だけです。この駅の西口から、手前の新栄町駅に戻るようにして歩き始めました。
西に行けば有明海で、その方角に高い煙突があり、煙を出しているのが見えました。詳しいことはよくわからないのですが、三井化学、電気化学工業などの工場が並ぶ新開町のほうではないかと思われます。川崎市川崎区などで見慣れた光景を思い出します。
三井三池炭鉱が閉鎖されたのは1997年3月のことです。それから10年以上が経ち、大牟田がどのようになっているのかを知りたいと思いました。それで大牟田まで特急電車に乗った訳ですが、よく考えてみると、これまで大牟田市の中心街を歩いたことはなかったのでした。初めて大牟田を訪れたのが2000年5月13日のことで、その時も西鉄大牟田線(当時)の特急に乗ったのですが、大牟田駅の東口から市役所のほうに向かって歩き、中心街には出ていません。今回、初めて中心街を歩きます。
大牟田駅から北のほう、新栄町駅方面に歩いていくと、しばらくして、上の写真にあるようにアーケード商店街の入口に着きます。手前の踏切の警報機は、けっこう頻繁に鳴ります。もっとも、JR鹿児島本線の場合はほとんどが特急電車で、リレーつばめ号や有明号が何度となく通り抜けていきます(大牟田には停車します)が、普通電車や快速電車の本数は少ないようです。西鉄天神大牟田線の場合は、30分ごとの特急(福岡⇔大牟田)と、やはり30分ごとのワンマン電車(甘木⇔大牟田)が通ります。
大牟田駅からゆっくり歩き、20分近く経ちました。10時50分頃、まだ、商店街は目覚めたばかりですから、人通りは少ないだろうと思います。しかし、それにしても、という感じはします。私が生まれ育った川崎市の商店街、たとえば溝口や元住吉ならば、10時台、11時台でも多くの人が歩いています。ともあれ、アーケードの中に入っていきましょう。
先ほどの入口から西へ向かって歩きます。ほどなく、アーケードの交差点に出ます。そこに松屋という大型店がありましたが、閉まっています。上の写真を見ていただければわかるように、シャッターがかなり汚れています。閉店してから何年かが経過していることがわかります。ショーウィンドーにも何もありません。
後に調べてわかったのですが、ここは大牟田松屋とも言われた百貨店、松屋です。東京の銀座と浅草にある百貨店の松屋とは関係ないそうです。
元々、大牟田のほうの松屋は、福岡市を発祥の地としており、現在のミーナ天神(旧マツヤレディス)に、1932(昭和7)年、百貨店が誕生しました。大牟田にできたのは1937(昭和12)年とのことです。戦前、福岡または博多の百貨店といえば岩田屋、井筒屋、そして松屋が代表的な存在だったそうですが、福岡市の松屋がいつ閉店したのか、明確なことはわかりません。ちなみに、大牟田には井筒屋もありました。西鉄新栄町駅の前です。
大牟田の松屋は、戦後も長く、大牟田、荒尾といった地域を代表する百貨店として存在しました。しかし、1980年代以降に展開される郊外型大規模小売店舗の発展により、激しく厳しい競争にさらされます。松屋はダイエーと資本関係を結びますが、結果的にはこれが裏目に出ました。ダイエーの経営再建は、おそらく、皆様も御存知のことでしょう。1990年代、各地でダイエーの店舗の閉鎖が相次ぎました(大分市もその一例です)。大牟田の松屋も、その影響を受けたらしいのです。
そして、21世紀に入ってまもなく、九州北部ではおなじみのゆめタウンが大牟田にオープンします。私自身は大牟田のゆめタウンに入ったことがありませんが、中津や行橋のゆめタウンに入ったことがありますので、大体どういう規模の小売店舗であるかは想像ができます。大牟田にゆめタウンができたことは、松屋にとって、そして近隣の商店街にとって大きな打撃であったことでしょう(中津市の例を多少は知っていますので、このように推測するのです)。
2002年1月、大牟田の松屋は福岡地方裁判所に民事再生法の適用を申請します。言うまでもなく経営不振に陥っていたからです。大牟田市、地元の商工会議所などがどのように関わったのかはよくわかりませんが、全く何もしなかったという訳ではないでしょう。既に井筒屋大牟田店は閉店となっており、その他にも消滅した店などが少なくなかったはずだからです。会社更生法でも破産法でもなく、民事再生法の適用を申請したということは、再生、回復の可能性が見込まれたということでしょう。
しかし、中心街の空洞化は長期的な、しかも構造的な現象です。大牟田に限らず、全国的に、このことを念頭に置かなければなりません。首都圏などでは、商店であれ住宅探しであれ、駅から近いことが魅力のように言われていますが、全国的には、既に、そのようなことは魅力でも何でもなりつつあるのです(その点において、首都圏、東京都23区地域と横浜市、川崎市は全国の趨勢から何周も遅れています)。大分市内でも、郊外型大規模小売店舗の多くは、鉄道やバスを利用するお客にとっては不便に感じられるような場所に存在しています。しかし、これが競争力を減殺していないのです。
私は大分市に7年間住んでおり、自家用車通勤を続けていましたので、普段からこの種の駐車場がある郊外の商店を利用していました。例をあげれば、ジャスコ、ホームワイド、ミスターマックス、ABC、マルショク、マルキョウ、デオデオ(大分本店)、100満ボルト、ヤマダ電機、ケーズデンキ、ブルドッグ、明林堂書店、ブックス豊後、明屋書店(東京に本店を構える書店ですが、何故か九州などでのほうが有名であったりします。大分市中央町にもありますが、ここでは羽屋や宗方を例としておきます)などです。郊外にあるスーパーマーケットやディスカウントストア、大型電器店、雑貨店、書店、レストラン、パチンコ屋などの駐車場の大部分は規模が大きく、しかも無料です。また、最近では川崎市の高津区、宮前区、麻生区、横浜市の青葉区、都筑区、東京都の稲城市などに、大規模かつ無料の駐車場を完備した商業施設が増えています。最近増えているホームセンターの駐車場は無料であるのが当然の前提となっています。
郊外型大規模小売店舗の強みは、何と言っても大規模な、そして多くは無料の駐車場です。これに対し、通常、中心街には大規模な駐車場を設置することができません。しかも有料駐車場が普通です。これが、中心街の空洞化の大きな原因の一つとなっています。よほど大きな規模の店舗、品揃えの豊富な店舗、魅力的な店舗、個性的な店舗などを抱えていなければ、競争するには厳しいでしょう。大型家電店ですと、中心街にある店よりも郊外にある店のほうが、販売価格が安いという傾向も見受けられます。
自動車社会では、駐車場システムこそが商店の命綱と言ってもよいでしょう。狭い駐車場に入ろうとしても満車であったりすれば、店に入ること自体をあきらめざるをえませんし、店の中に入って買い物をしようが、入ったはよいが何も買うものがなかろうが、30分ごと、あるいは1時間ごとに駐車料金を払わなければならないのです。そこで、普通は●●円以上の買い物をすれば▲▲時間まで無料というシステムにするのですが、これにも限度があります。むしろ、その●●円に達しなかったら駐車料を別に払わなければなりません。駐車場の利用券、サービス券などは、店舗によってシステムが異なるので、わずらわしいこともあります。紛失したら大変なことになります。無料駐車場であれば、そんな心配は無用です。
駐車場だけではありません。店舗の床面積などという問題もあります。床面積を増やすといっても、中心街では非常な困難を伴います。しかし、郊外型店舗の場合は、元々、十分な床面積をとることができるようになっています。中心街のようにエレベーターに頼る必要のない、低い建物で十分です。それだけ広い面積を確保できます。
かなり、私の考えあるいは推測なども混ざってしまいました。本筋に戻しますと、民事再生手続が進められる中でも、結局、業績は回復せず、大牟田の松屋は、2004年7月、民事再生手続の廃止を申し立て、店舗を閉鎖しました。そして同年8月には破産宣告を受けました。
それから3年経ったのが、上の写真に出てくる姿なのです。
(以上、「松屋の24,362日」というサイトを参考にさせていただいたことを記しておきます。詳細は、そちらを御覧下さい。)
アーケードの西側出口から撮影しました。右が本館で、左は別館だったのでしょうか。両方の建物を結ぶ通路があります。そろそろ、右側の建物を取り壊すのでしょうか。何かに生まれ変わるのかもしれませんが、この地域の活性化につながるものであることを望んでやみません。
11時を過ぎています。これから北のほうに歩き、西鉄新栄町駅に向かおうと思います。私自身は大分時代からこのような光景に慣れていますが、それでも違和感を覚えます。とくに心配なのは、こういう場所が犯罪の温床になりかねないということです。夜は一体、どのようになるのでしょうか。
再び松屋の入口です。但し、先ほどの場所ではなく、南北に伸びる通りの北側にある入口です。右側にあるテレビ受像機は、営業時代に何を映し出していたのでしょうか。アーケードの路面がきれいに整備されているだけに、シャッターの色が目立ちます。
これまで、九州をはじめとして、自動車社会と言われる地域をいくつも歩き、あるいは走り回ってきました。そして今回は大牟田です。改めて、私が現在住んでいる川崎市、そして横浜市や東京都23区地域、とくに東京都23区地域は、自動車社会という全国的な趨勢からみれば相当に遅れた地域であるということがわかりました。もっとも、モータリゼイションが進んでいる地域が良い地域なのかと問われるならば、大きな疑問符を付けておきますが。
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