(以下は、第236回「大牟田駅から新栄町まで歩く(その3)」として、2007年11月4日に掲載したものです。)
前回は、大牟田川と三井三池炭鉱専用線跡を中心に取り上げました。さらに北に歩き、いよいよ、新栄町の交差点を通ることになります。歩いているのは土曜日の午前中です。まだ、人通りも少ない時間帯ではあります。しかし、そのことを考慮に入れても……、という気がします。程度の差はあるとしても全国に共通する問題の一例が、大牟田に凝縮されているのではないでしょうか。
少々わかりにくい構図ですが、信号機には「新栄町」という標識板が付けられています。ここが新栄町交差点です。おそらく、パチンコ屋があったのではないかと思われる建物ですが、板が打ち付けられていました。閉店したのか移転したのかはわかりませんが、痛ましい光景です。この建物には入居者がいるのでしょうか。
首都圏でも、場所によっては空き店舗になってからかなりの時間が経過し、入居者が決まらないというビルをよく見かけます。しかし、このようなビルは、やはり首都圏以外の地方のほうが多いようです。2年、3年と時間が経過していきますと、早く建物の劣化が進みます。入居者がいれば、普段行われる清掃などでメインテナンスが行き届きますが、空きビルになるとメインテナンスが行われなくなるためでしょう。
歩いているうちに、中津駅付近の中心地を歩いた時を思い出しました。中津市の新博多町は、アーケードの構造のためなのか、昼間でも暗い所で、デジタルカメラで撮影する際には時間に関係なく、自動的に夜撮影のモードになるほどでした。そこから少しばかり駅のほうに戻った所の寿屋中津店が入っていたビルは、外壁が白いだけに劣化が素人目にもわかるほどでした。今はどうなのでしょうか。
このあたりは、歩道部分だけがアーケードになっています。東京などでも時折見かける形の商店街となっています。さらに歩くと、再び完全なアーケード商店街になります。元々は建物があったと思しき場所が駐車場になっています。
私が歩いた日は、御覧のように晴天で、気温もかなり上昇しました。かなりの汗をかきながら、それでも歩き続けます。大牟田駅から新栄町駅までを歩くのですから、それほどの距離ではありませんが、街をじっくりと見ながら歩いていますので、それなりの時間は経過しています。
喉の渇きを覚えたので、缶かペットボトルの飲料を買いたくなったのですが、松屋跡の周辺、新銀座のあたりにはあった自動販売機が通りに見当たりません。自動販売機は見落としていただけかもしれませんが、コンビニエンスストア、菓子屋なども見当たりません。少し歩いて脇に入った所にありましたが、山道を歩いているのであればともあれ、商店街を歩いているのですから、少々つらいという気がします。駅で飲料を買っておいてから歩いたほうがよかったのもしれません。
ここには宝くじ売り場があり、さらに何かの店舗があったようです。しかし、板が打ち付けられている、あるいは嵌め込まれています。宝くじ売り場は移転しているようですが、どこに移転したのか、案内板も傷みが激しく、貼り紙などもはがされたために、全くわからなくなっています。
歩道部分にアーケードがあるのに、そのアーケードに接する建物が存在しないというのは、なんとも妙な光景ですが、最近では地域を問わずよく見かけるようになりました。右側に新栄町駅の建物が見えますから、ここには大型の建物があったはずです。それが何であったのかについては、後ほど紹介いたします。奥の建物を材料として判断すれば、大規模店舗があったものと考えられます。そして、ここに新しいものが建設されるようです。
先ほどの通りをまっすぐ歩き通さず、アーケードになっている別の通りを進みます。その通りから撮影してみたものです。今は駐車場(?)になっているようですが、こんな広い土地が、しかもアーケード商店街の一角、交差点に接するという良い条件の土地が青空の真下にあるというのは、どう考えても不自然です。おそらく、ここにも一軒か数軒のビルが立ち並んでいたと思われます。一軒であれば、スーパーマーケットがあったはずです。
先ほどの広大な土地の北側に出ました。右のほうに見えるのが先ほどの土地です。歩道部分にアーケードがありますが、右のほうには建物がありませんから、アーケードが無意味なものになっています(降雨の際には、風向きなどによりますが、傘をささなければ濡れる可能性があります)。
今後、この地域はどうすれば再生できるだろうか、と考えました。三井三池炭鉱は既に閉山していますが、会社、工場は所々にあります。その点だけで言えば、再生の可能性はあると思われます。しかし、次の4点を考えると、かなり難しい条件をクリアしなければならないはずです。
第一に、人口の減少・流出という根本的な問題です。人口の減少は、一部の地域を除いた全国的な問題です。
第二に、九州は、どの県においても自動車社会になっており、自家用車の普及率が高い地域では公共交通機関が衰退している、という点です。鉄道は勿論、バスも厳しい状況です。観光地も、自家用車の利用が前提となっています。そのため、遠方からのお客を呼び込めないという状況です(日帰り客が多くなるからです)。ホテル、旅館などが駅や空港からかなり離れているのでは、観光地へ行きたくとも行きにくいでしょう。私自身、大分大学時代に佐伯駅の近くの旅館と都城駅の近くのホテルに泊まったことはありますが、それ以外では福岡、長崎、熊本、鹿児島、宮崎という県庁所在地のホテルにしか宿泊したことがありません(大学の合宿は別です 。また、佐賀県内に宿泊したことは一度もありません)。
今、東国原英夫知事の下で宮崎県が物産などで大いに注目を浴びていますが、 これは一時的な刺激としては素晴らしい成果をあげていると評価しうるものの、長期的に結果を維持し、さらに拡大させることは難しいと考えています。場合によっては、宮崎県全体ではなく、宮崎市など一部の地域だけが成果を残し、他は取り残されるという危険性をはらんでいます。物産はともあれ、観光については、私が記した危険性が非常に高いと思うのです。
現在の宮崎県は、平松守彦氏が知事に就任して間もない頃の大分県との興味深い共通点を表しています。一村一品運動の換骨奪胎ではないかと考えられるのです(これは私だけの意見ではなく、地方公務員を経験された方々などからも出される意見です)。この運動が始められてから既に四半世紀、一村一品運動的な思考は九州に根強いようで、形を大幅に変えつつ、復活しました。 一村一品と言いますが、これは別に物産に限られる話ではなく、温泉、猿山などというように観光地であってもよいのです。今の宮崎県は、物産のほうに力が入っているようですが、今後は観光にも力が入れられることでしょう。
しかし、現在の状況では、観光に力を入れても九州以外の地域からお客を呼び込み、着実に数を増やすことは難しいでしょう。私は、大分市に住んでいた頃に何度も宮崎県に行 きました。その経験を踏まえて申し上げるならば、宮崎県は、宮崎空港を抱える宮崎市以外の地域であれば、よほどのものがなければ観光客を回復することはできないものと思われます。 宮崎県は、九州7県(宮崎県の他、福岡県、佐賀県、長崎県、熊本県、大分県、鹿児島県)の中でもとくに公共交通機関が貧弱であるからです。自動車道路線網が整備されても、九州島内の日帰り観光客が増えるという程度に終わり、むしろストロー効果によって県庁所在地、さらに福岡市などに経済基盤が集中する可能性もあります。
宮崎県の鉄道には複線区間が一箇所もありません。この点では九州で唯一の県ですし、全国的に も他に例があるのかどうか、全く思い当たりません。単線区間しかないのですから、それだけ運転される列車の本数が少ないということです。これが観光客の移動にとって何を意味するかは、言うまでもないでしょう。私自身、何度も宮崎県に足を踏み入れていますが、たとえば宮崎市から高千穂町や椎葉村へ行くとなると、自家用車かレンタカーでなければ大変なことになります。距離もかなり離れていますし、鉄道だけでは行けません。もう6年ほど前のことですが、宮崎県市町村職員研修の仕事をさせていただいたとき、県の職員の方に椎葉村までバスで行けるかどうか伺ったのですが、困惑の表情を浮かべられていました。日向市からバスで2時間以上はかかるというのです。しかも本数が極端に少ないのです。結局、行くのをあきらめました。
また、九州では、おそらく他の地方以上に高速バス路線網が発達しています。このこと自体は悪くないでしょう。福岡駅の3階にあるバスセンターでは、ひっきりなしに九州各地などへのバスが発着します。しかし、私が見ている限り、熊本、佐賀、長崎、大分などからのビジネスマンや買い物客の利用が多いようで、たとえば関東地方や北海道などからの観光客らしい人の姿はほとんどありません。天神という場所のせいかもしれません(九州以外の地域にお住まいであれば、福岡市と言えば博多か中州を思い出す人が多いのですが、市役所もある天神については知らないという方のほうが多いでしょう。私自身が大分に住み始めるまでそうでしたし、東京で色々な人に天神と言っても、福岡を知らない人からは「どこ?」と訊かれます)。しかし、おそらく、博多駅のバスセンターなどでも同じようなものではないでしょうか。大分の高速バス発着バス停も、大分空港までのバスを除けば、観光客らしい人はほとんど 見当たりません。遠距離の観光客を呼びにくい構造になっているのです。
第三に、自動車社会という条件と深い関係を有する、郊外型の大規模小売店舗との競争です。前々回にも記したことですが、 郊外型大規模小売店舗の強みは、何と言っても大規模な、そして多くは無料の駐車場です。また、敷地が広大であるため、高い建物を必要としません。むしろ、1フロアあたりの床面積を広くすればよいのです。これに対し、中心街の場合は、そもそも1フロアあたりの床面積を広く取ることができないのが普通ですし、大規模かつ無料の駐車場も期待しにくいでしょう。自動車社会では、駐車場システムこそが商店の命綱と言ってもよいでしょう。
第四に、これは大牟田市特有の事情ですが、九州新幹線の全通が大牟田市の将来を左右すると思われるのです。とくに新栄町界隈にとって、無視するには大きすぎるほどの影響が出てくるはずです。
現在、 九州新幹線は新八代から鹿児島中央(かつての西鹿児島)まで営業していますが、近い将来、博多から新八代が開通し、全通となります。大牟田市もルートの一部に含まれており、新駅、新大牟田駅が開業することとなっています。問題はその場所です。
そもそも、大牟田駅ではなく、新大牟田駅というのですから、現在の大牟田駅とは違う駅です。調べてみますと、現在の大牟田駅から5、6キロメートルほど離れた、大牟田市大字岩本が予定地となっています。JR鹿児島本線の吉野駅、および西鉄天神大牟田線の倉永駅という、普通列車しか停まらない駅が最寄ということになるのですが、それでも2キロメートルほど離れています。九州新幹線の運行形態に左右されるでしょうが、新大牟田駅周辺が開発され、発展する可能性は大きいと思われます。そうであれば、新横浜と同様に、新しい市街地の形成に至る可能性もあります。ただ、新栄町の現状からすれば、それは市街地の分散ではなく、移転に近いものになるかもしれません。
新栄町駅に着きました。天神大牟田線の駅で、特急、急行および快速急行の停車駅です。 下り電車に乗れば、次は終点の大牟田駅です。上り電車の場合、次は西鉄銀水駅ですが(JR銀水駅とは連絡していません)、特急、急行および快速急行は柳川駅まで停まりません。
西鉄の特急電車は、福岡を出ると、薬院、二日市、久留米、花畑、大善寺、柳川、新栄町、大牟田に停まりますが、新栄町は、特急停車駅では、おそらく最も乗降客の少ない駅でしょう。かつては、この駅に西鉄名店街が入っていたそうですが、数年前に閉店し、現在は駅だけがあります。建て替えられているかもしれません。
私が立っている地点までは歩道橋を使って行きます。そして、私が立っている場所の真裏に、スーパーマーケットのサンリブがあります。買い物客がけっこう多かったように見えました。
今回の4枚目の写真と同じ土地を、新栄町駅のほうから撮影してみました。鉄製の柵があり、それを通して見ています。水が溜まっていますが、池ではありません。ここには大きな建物があったのです。それが解体され、新しいものが建てられようとしています。交通標識が横倒しにされているのが、ここ何十年かの大牟田市の歴史を物語っているような気がしてなりません。
この写真に正解が示されています。井筒屋大牟田店の跡です。オープンしたのは大牟田松屋よりもずっと後のことですが、大牟田松屋よりも早く閉店しました。現在、おそらくは活性化策の一環として、分譲マンションの建設が進められています。天神まで特急で1時間ですから、条件としては悪くありません。ただ、このマンションが完成して、どこまで新栄町の商店街の客足が回復するでしょうか。
街中で、ついこの間まで建っていたビルが解体され、空間が増えると、それだけで印象が大きく変わるものです。最近、私の自宅の近くでも、コンビニエンスストアなどが入居していたビルが解体され、更地に近い状態となっていますが、建っていた頃のことが深く記憶に刻まれていますから、不思議な感覚に包まれます。渋谷駅東口の東急文化会館が解体されてからしばらくの間も、同じような感覚に囚われました。地下の映画館、パンテオンにも入ったことがありますし、屋上にあったリサイクル書店にも何回か入ったことがあります。それが、ただの空間になってしまっているのです。
さて、これから新栄町駅に入り、福岡行の特急か甘木行の普通電車に乗ろうかと思っています。時計と時刻表とを見合わせると、次の上り電車は福岡行の特急です。次の目的地へ行くには都合のよい電車でした。
新栄町駅で福岡行の特急電車を待っていると、すぐ横を「リレーつばめ」号が通過していきました。博多から新八代まで走り、新八代で九州新幹線に接続します。「つばめ」号と言えば、戦前は東京発の看板特急でした。1992年、博多から西鹿児島までの特急の名称となりました。現在は九州新幹線の愛称になっています。九州新幹線が全通すれば、上の写真に登場する787系の「つばめ」号は消滅するでしょう。ただ、やはり787系の「有明」号は残るかもしれません。
この前に、 東京からの寝台特急「はやぶさ」号が通過しました。私が小学生の頃には東京から西鹿児島まで走っていましたが、いつのまにか東京から熊本までに短縮され、最近では途中の門司か小倉まで、大分行の寝台特急「富士」号と併結されています。以前、東京から発車し、大牟田を走る寝台特急は「はやぶさ」の他に「さくら」(長崎・佐世保行)、「みずほ」(熊本・長崎行)がありましたが、「みずほ」は早い時期に廃止され、数年前に「さくら」も廃止されました。
ここまでお読みになり、そして上の写真を御覧になり、「おかしい」と思われた方もいらっしゃるかもしれません。手前の西鉄天神大牟田線にはホームがあるのに、JR鹿児島本線のほうにはホームがないからです。
実は、新栄町という駅は西鉄天神大牟田線だけの駅です。すぐそばを通るJR鹿児島本線にはそもそも駅がありません。 かつて、JRの駅の建設を求める意見が強く出され、検討もなされたようですが、結局は建設されずに終わりました。
「ここが大牟田だ」と思わせるものを見つけました。「三井三池製作所」の看板です。 炭鉱は閉山となりましたが、大牟田には三井科学など、三井系の事業所や工場が多く操業しています。
下りの普通電車大牟田行が到着しました。2両でワンマン運転、甘木と大牟田との間を走っています。4扉の7000形と3扉の7050形が使われているようです (扉の数を除けば、同じ形式と考えてよいでしょう)。4両編成で天神大牟田線の福岡側を走っていることもあります。
天神大牟田線の福岡側は、いかにも本線格の雰囲気を持っていて、ワンマン列車は走っていません。しかし、本線らしさは花畑までのことで、福岡発の急行の大部分は花畑、または久留米より手前の小郡までしか走りません(ラッシュ時などには柳川や大牟田まで行くものもあります)。花畑の次の試験場前から大善寺までは単線です。大善寺からはまた複線になりますが、蒲池を過ぎると単線になり、西鉄柳川を過ぎて開から再び複線になります。しかし、単線区間であれ複線区間であれ、特急、快速急行、急行が停まらない駅の乗降客はかなり少なく、ホームに乗客がいないような駅も少なくありません。沿線人口や乗降客数からしても、南側にはワンマン列車を走らせるのがよいだろう、ということになるのでしょう。福岡側とはかなり性格が違っています。
この電車が発車して少し経ち、特急福岡行が来ました。次の目的地に向かいます。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます