今回は完全な地元ネタです。うちから歩いて数分、川崎市高津区溝口三丁目、東急田園都市線高津駅のすぐ近くの話ですから。
朝日新聞社が、2020年9月29日の9時付けで「消える昭和 銭湯『高津湯』の建物が取り壊しへ 川崎」として報じていました(https://www.asahi.com/articles/ASN9X6TWHN9WULOB011.html)。読み始めてすぐに「ついに」と思いました。
かつて帝京大学医学部附属溝口病院(今は広大な駐車場)の裏にあった高津湯は、2015年12月に閉じられました。このブログに掲載している「高津湯の跡」で記したように、長らく「休業」するという趣旨の貼り紙がありましたが、廃業したことは明らかでした。記事によれば1960年代半ばに営業を始めたそうです。帝京大学医学部附属溝口病院よりも前からあったということになるでしょう。実は一度も入ったことがありませんが、前の細い道を通るのが
解体されずに残っていると思っていたら、2019年4月、シェアオフィスの「おふろ荘」になりました。銭湯の構造をそのまま利用していることが外からでもわかりますし、そばを何度も通った私はアートのためのギャラリーであると理解していました。何のことはない、アーティストのためのシェアオフィスだったのです。
元々1年間限定であったらしく、半年だけ延長されて2020年9月に終了し、建物は解体されるということになったのでした。老朽化もあるでしょうから、仕方のないことです。
たしかに、朝日新聞社の記事に書かれているように、昭和がまた消えます。しかし、大山街道の宿場町であった溝口には、二丁目の西口商店街が典型的であるように、昭和の雰囲気が残る建物が少なくありません。田園都市線溝の口駅・南武線武蔵溝ノ口駅の前だけを見るとわからないかもしれませんが、少し歩けば昭和はたっぷり残っています。大山街道付近には今でも蔵造りの建物が残っているくらいです。大山街道沿いに高層建築物が多くなりましたが、それは表通りだけであって、何処かのどかさも残っています。中原区の小杉町や新丸子東などと違ってタワーマンションはありません(高津区久本三丁目、NEC東京第二工場の跡地にあるマンションが最も高い建物ですが、駅から1キロメートルくらい離れています)。足袋屋もあれば秤屋もあります。
他所から来られた方々は、道が狭く、雑多という印象を受けるかもしれません。それが溝口の魅力であり、ニュータウンなどでは味わえないものなのです。
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