老いることは確定的。若者はあまり考えない。網膜色素変性症な私デスペアは、目の症状が悪化していくということは確定的。未来を予測して、それに備えて、いまから、少しずつ何かができないか。いつも考える。未来の自分と未来の理想の自分を思い描きながら。
デスペア的こんな老人に私はなりたい。
1, 貯金が2千万ぐらいある老人。
なんやかんやでやっぱりお金がいるね。
2, 白のダウンジャケットにベージュの綿パンが外出着の老人。
老人はどうしてか、黒っぽい服を着たがる。夜間非常に危険。私はぜひとも白を着たい。
3, 近くの小学校の運動場に、年に2回、かわいい野良犬を放つ老人。
なぜだろう、時々小学校に野良犬が迷い込む。盛り上がる子供達、追い出す先生。なんだろうこの楽しさ。あれはぜったいどっかのおじいの計画的犯行だな。いつか私の役目だな。
4、 毎日ブログを更新する老人。
子供の頃は、すべてが新鮮。老人になると、感性と感覚器両方が鈍る。どうしても興味がなくなる。いつも何か興味をもち、自分の意見をもち、発信していたい。ただ、頑なに自己の信条をおしつけたりはすまい。
5, 夜寝るときに死の恐怖を感じるんもではなく、朝目覚めて、今日も生きている喜びを毎日感じる老人。
老人はいつも怖い。若者よりも死が現実味を帯びている。朝早く目が覚めるの、死の恐怖のためだろう。死の恐怖を感じるのも大事だが、それと同意義の生きる喜びを感じていたい。
6, 杖をつきながら年に2回モーニング娘のコンサートにいく老人。
コンサートで老いぼれた声で「○○ちゃーーーん」と叫んでいたい。おじいさんは目立つから、舞台上のメンバーからのレスポンスも期待できるだろう。(モーヲタみんな老人だったりして・・・)
7、 ある程度人を信じられる老人。
老人になると、疑い深くなる。一方、ちょっとしたことで人を信じてリフォーム詐欺。程度が難しい。
9, 自分の存在を肯定できる老人。
「あぁ私はなんの役にも立たない、ただのお荷物だ」と嘆く老人。「周りに迷惑をかけていると死んだ方がましだ」と口に出す老人。口に出すことにより、ストレスを解放しているのだろうけど、私はそんな老人にはなりたくない。でもその状態になってしまったら、どういう風に自己を肯定すればいいのだろう。その論理を見つけられない。
10、Berryz工房の曲を聴いてウキウキする老人。
Berryz工房の曲を聴いて、昔を思い出して、過去をなつかしむのではなく。現在進行形の心で、あの頃の自分にタイムスリップして、あのころの感性を瞬時に取り戻せる老人。
11, 目が見える老人。
これが網膜色素変性症な私デスペアの最大希望の老人だな。高い可能性で無理だから、代替として、目が見える老人とおなじくらい(時間はかかってもいいから)、簡易に同じ量の情報を入手できる老人でありたい。
12, 自らの死を選択、もしくは死を受容できる老人。
クリスチャンは、命は神様から与えられたモノであって、人間が勝手に処分はできない。よって自殺はタブー。もちろん私もその考えは否定しない。
それと同価値あるいは表裏一体。神様はcreature中、唯一人間にだけ、自殺という手段を与えたのもまた事実。キリスト教的には、人間は、神に似せてつくられた存在。その人間にできて、神にできないこと。それは自殺。人間は生まれてくるときに、拒否する権利はない。ないぶんだけ、あるいは無いからこそ、死ぬ時期を決められる権利がある。道徳的社会的宗教的に否定されても、現実に自分の人生を終わらせる権利を、人間は手にしている。
私は、死ぬ瞬間。初めて告白する瞬間のような、ドキドキ感と高揚感と、それに加えて、女性の胸に顔をうずめたときに感じる、自己の存在がこの宇宙と同化してるかのような錯覚をも与える、そんな安心感の2つの感情を感じながら、死ぬ老人に、私はなりたい。その死が受動的な死であれ、能動的な死であれ、どちらの場合にでもだ。
13, ユダ
自殺だったのだろうか?それとも天罰だったのか?どっちがどうだろう?
デスペア的こんな老人に私はなりたい。
1, 貯金が2千万ぐらいある老人。
なんやかんやでやっぱりお金がいるね。
2, 白のダウンジャケットにベージュの綿パンが外出着の老人。
老人はどうしてか、黒っぽい服を着たがる。夜間非常に危険。私はぜひとも白を着たい。
3, 近くの小学校の運動場に、年に2回、かわいい野良犬を放つ老人。
なぜだろう、時々小学校に野良犬が迷い込む。盛り上がる子供達、追い出す先生。なんだろうこの楽しさ。あれはぜったいどっかのおじいの計画的犯行だな。いつか私の役目だな。
4、 毎日ブログを更新する老人。
子供の頃は、すべてが新鮮。老人になると、感性と感覚器両方が鈍る。どうしても興味がなくなる。いつも何か興味をもち、自分の意見をもち、発信していたい。ただ、頑なに自己の信条をおしつけたりはすまい。
5, 夜寝るときに死の恐怖を感じるんもではなく、朝目覚めて、今日も生きている喜びを毎日感じる老人。
老人はいつも怖い。若者よりも死が現実味を帯びている。朝早く目が覚めるの、死の恐怖のためだろう。死の恐怖を感じるのも大事だが、それと同意義の生きる喜びを感じていたい。
6, 杖をつきながら年に2回モーニング娘のコンサートにいく老人。
コンサートで老いぼれた声で「○○ちゃーーーん」と叫んでいたい。おじいさんは目立つから、舞台上のメンバーからのレスポンスも期待できるだろう。(モーヲタみんな老人だったりして・・・)
7、 ある程度人を信じられる老人。
老人になると、疑い深くなる。一方、ちょっとしたことで人を信じてリフォーム詐欺。程度が難しい。
9, 自分の存在を肯定できる老人。
「あぁ私はなんの役にも立たない、ただのお荷物だ」と嘆く老人。「周りに迷惑をかけていると死んだ方がましだ」と口に出す老人。口に出すことにより、ストレスを解放しているのだろうけど、私はそんな老人にはなりたくない。でもその状態になってしまったら、どういう風に自己を肯定すればいいのだろう。その論理を見つけられない。
10、Berryz工房の曲を聴いてウキウキする老人。
Berryz工房の曲を聴いて、昔を思い出して、過去をなつかしむのではなく。現在進行形の心で、あの頃の自分にタイムスリップして、あのころの感性を瞬時に取り戻せる老人。
11, 目が見える老人。
これが網膜色素変性症な私デスペアの最大希望の老人だな。高い可能性で無理だから、代替として、目が見える老人とおなじくらい(時間はかかってもいいから)、簡易に同じ量の情報を入手できる老人でありたい。
12, 自らの死を選択、もしくは死を受容できる老人。
クリスチャンは、命は神様から与えられたモノであって、人間が勝手に処分はできない。よって自殺はタブー。もちろん私もその考えは否定しない。
それと同価値あるいは表裏一体。神様はcreature中、唯一人間にだけ、自殺という手段を与えたのもまた事実。キリスト教的には、人間は、神に似せてつくられた存在。その人間にできて、神にできないこと。それは自殺。人間は生まれてくるときに、拒否する権利はない。ないぶんだけ、あるいは無いからこそ、死ぬ時期を決められる権利がある。道徳的社会的宗教的に否定されても、現実に自分の人生を終わらせる権利を、人間は手にしている。
私は、死ぬ瞬間。初めて告白する瞬間のような、ドキドキ感と高揚感と、それに加えて、女性の胸に顔をうずめたときに感じる、自己の存在がこの宇宙と同化してるかのような錯覚をも与える、そんな安心感の2つの感情を感じながら、死ぬ老人に、私はなりたい。その死が受動的な死であれ、能動的な死であれ、どちらの場合にでもだ。
13, ユダ
自殺だったのだろうか?それとも天罰だったのか?どっちがどうだろう?