私はさほど野球には興味はない。春や夏には高校野球をなにげに見る程度。応援する高校は、ふるさとの県の代表。ふるさとの地域の代表。それらのチームが負けてしまったら、弱いチーム、負けているチームを応援する。逆転こそが野球の醍醐味。世の中の多くの視聴者もそうだろう。負けているチームを応援するのは、その弱いチームに自分を重ねているのだろう。
野球に限らず、私は基本的に、弱い立場あるいは一方的に批判されている人を擁護したくなる。それは網膜色素変性症な私、障害者の私、いうなれば社会的弱者な私のレイゾンデートルである。
時をさかのぼる、10数年前。大学生の私。パソコンがいっぱいおいてある情報室でパソコンに向かう私。その当時、インターネットがなんとなく、これからすごいよとの前評判。大学のパソコンのUNIX?のパソコンまだ、白黒ディスプレーのパソコン。それでさっそくインターネットに接続してみる。
現れたのはヤフーの検索サイト。検索かぁじゃプロ野球の巨人のことでも調べてみようかな。「ジャイアンツ」と検索をかける。ヒットしない。ではと、「東京読売巨人軍」で再度検索。じっとまつ。ヒットは1件のみ。それも、巨人軍の公式サイトでもなく、どっかの一個人のファンサイト。その1件のみ。
絶望とまではいかないが、がっかりの私。なんだインターネットでこの程度か、ったく使えねーな。それからネットにさわらない私。4年後Windows98が世間に広まってやっとパソコンを買いネットをはじめる。
私が、インターネットの使えなさを感じていてとき。サイトがないのならオレが作ればいい。巨人軍の公式サイトもオレが作ればいい。これからは、すべての企業がネットのHPで情報を公開したり、宣伝するに違いない。なんと大きな市場なんだろう。そしてこの市場には、まだ先駆者もいない。みんな同じスタートライン。
私が堀江で、堀江が私か。私もホリエモンになれていた。インターネットに絶望するのでなくて、その不都合性を認識した上で[獲得された絶望感]。じゃあ、私になにができるだろう。こうすればもっといいんじゃないと考え、そして行動にでれなかった私。
街中で、点字ブロックを見失い、あたふたする視覚障害者に気づきながら通り過ぎるのが私なら、「どうされました?」と声をかけるのがホリエモン。私はホリエモンを支持する。すくなくとも全否定はしない。
野球に限らず、私は基本的に、弱い立場あるいは一方的に批判されている人を擁護したくなる。それは網膜色素変性症な私、障害者の私、いうなれば社会的弱者な私のレイゾンデートルである。
時をさかのぼる、10数年前。大学生の私。パソコンがいっぱいおいてある情報室でパソコンに向かう私。その当時、インターネットがなんとなく、これからすごいよとの前評判。大学のパソコンのUNIX?のパソコンまだ、白黒ディスプレーのパソコン。それでさっそくインターネットに接続してみる。
現れたのはヤフーの検索サイト。検索かぁじゃプロ野球の巨人のことでも調べてみようかな。「ジャイアンツ」と検索をかける。ヒットしない。ではと、「東京読売巨人軍」で再度検索。じっとまつ。ヒットは1件のみ。それも、巨人軍の公式サイトでもなく、どっかの一個人のファンサイト。その1件のみ。
絶望とまではいかないが、がっかりの私。なんだインターネットでこの程度か、ったく使えねーな。それからネットにさわらない私。4年後Windows98が世間に広まってやっとパソコンを買いネットをはじめる。
私が、インターネットの使えなさを感じていてとき。サイトがないのならオレが作ればいい。巨人軍の公式サイトもオレが作ればいい。これからは、すべての企業がネットのHPで情報を公開したり、宣伝するに違いない。なんと大きな市場なんだろう。そしてこの市場には、まだ先駆者もいない。みんな同じスタートライン。
私が堀江で、堀江が私か。私もホリエモンになれていた。インターネットに絶望するのでなくて、その不都合性を認識した上で[獲得された絶望感]。じゃあ、私になにができるだろう。こうすればもっといいんじゃないと考え、そして行動にでれなかった私。
街中で、点字ブロックを見失い、あたふたする視覚障害者に気づきながら通り過ぎるのが私なら、「どうされました?」と声をかけるのがホリエモン。私はホリエモンを支持する。すくなくとも全否定はしない。