獲得された絶望感(盲人ウエカジ @ウエカジハローセンター 公式ブログ)

~網膜色素変性症と司法試験とモー娘。と全盲ヘルパー事業所と・・・~

なっちよりも、高橋愛よりも、まこっちゃんよりも。

2006-01-27 06:32:42 | 雑感
 ありあまる時間。今日は部屋の整理。アダルトビデオのDVD-Rへのダイビングは終了。かなり押し入れのスペース空く。まだまだ押し入れには段ボール数個。中身は司法試験の模試の資料。1995年のLECの入門講座の講義録、2000年の伊藤塾の直前論文答練、01年の公開論文答練etc.いつか役に立つだろうと保存。いままでまったく活用せず。

 すこし悩んで、古紙回収に出すと決断。5年も見なかった資料を今後見るはずもない。古紙置き場にもっていく。ついでにポストを見ると、不要パソコンのリサイクルのゆうパック着払い伝票がレノボ(旧IBM)から届く。部屋にもどり、空になった段ボールにパソコンを梱包。明日郵便局にもっていく。

 部屋を整理してもまだまだ、不要品が出てくる。多すぎるクリーニング店の針金ハンガー、CDラックなどなど。まだまだ処理すべきものたくさん。

 その中に一つの段ボールを見つける。開ける。中には実家からの手紙が数通。日付印は大学1.2回生の日付。親からの手紙。その手紙にまぎれて、2枚の写真を見つける。なんだこれは。写真を手に取り、見てみる。なつかしい自分と私のマドンナがそこにいた。

 1枚は高校の卒業式の日に、好きだったあの子にお願いして撮ってもらった2ショット写真。もう1枚は、これまた中学の卒業の時のその子と私を含む数人の集合写真。(私はその子に、もちろん桃色片思いで、その卒業式以来あっていない)

 久しぶりにこの写真を見た。今の部屋へ引っ越した6年前に見た以来だと思われる。中学や高校の時の私。この好きな子の写真を何度も見ていたのだろう。好きという感情を伴って。けれど今の私には、その当時の、初恋の感情はなくなっている。今あるのは、初恋の淡い思い出のセンチメンタル。

 初恋の感情がなくなった私。客観的にその写真の私のマドンナを見てみる。今の私、モーニング娘ファンの私。この手でなっちや高橋愛ちゃんやまこっちゃんと握手した私。至近距離でなっちの天使の笑顔、愛ちゃんの鼻にしわよせくしゃっの笑顔、まこっちゃんのちょっと上目で口をあけて私を見るかわいい笑顔。目が肥えた私。客観的に写真の中のマドンナを観察してみる。

 そこに映る我がマドンナは、まゆが細く、その当時としてはめずらしく髪の色は栗毛でツヤのある髪。目鼻口の端正な顔立ち。ちいさな顔、きれいな角度のアゴのライン。そして今日はじめて気づいたのだが、その子はすこし目が離れている。昔の自分はこんな子が好きだったのかと感慨深い。

 その子は客観的に見ても、なっちよりも、愛ちゃんよりも、まこっちゃんよりも、ノーメイクなのに、美しくかわいい。これは断言できる。目が肥えた私に一目瞭然。

 我がマドンナはいまごろ、どうしているだろうかと少し頭をよぎったがその思考は長続きはしない(orさせない)。2枚の写真をちらっと2度だけ見て。手紙と一緒にまたケースに戻す私。そのケースを押し入れ天袋の奥にそっとしまう。今度この写真を見るのはいつだろうか?5年後かはたまた10年後か。あと何度かこの写真を見るのはまちがいない。古紙回収でも思い出は回収されない。

  初恋に懸命だったあのころの私。なっちの3月のディナーショーの開催が発表されて、コンビニに往復ハガキを買いに行く私。どちらの私もあきらかに「今」を生きている。

コメント
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