先々週が本当の予約日だったのですが、東京は大雪で交通も乱れることが分かっていたので早めにキャンセルし、日にちを変えてもらっていました。
朝には小降りになっていたので大丈夫かもしれないと思ったのですが、早めに判断して正解でした。
やっぱり東京は雪に弱いね。
で、ここの所、歯の状態は少し思わしくない状態になってきていて、遠からずちゃんとやり直したほうがいいかも...と、言われたのですが、「ちゃんと」やるには結構費用も掛かるので、すこし先送りにしました。
定期的にクリーニングしながら様子見の日々が続くことになります。
で、いつもの定点観測。
バスターミナルは3月か4月にはオープンするそうです。
歯医者さんが夕方5時の予約だったので、それまでの間ぜんそく治療の補助(東京の施策、成人の新規募集は終わっています)の継続手続きに行ってきました。
で、ついでに郷土資料館に初めて行って、いろいろな資料を見てきました。
もう東久留米に住んで50年にもなるのだけど、こういうのは初めてだったのでいろいろと知ることができました。
このあたりに人が住み始めたのは3万年ほど前の旧石器時代だそうです。
矢じりとか石包丁とかの出土品が飾ってありました。
その後縄文時代になって地球が温暖化し、縄文海進によって内陸まで水が上がっていき、貝塚などがみられるなど食文化も変わってくるのですが、この辺は高台にあたっていたのでそのあたりの遺跡は少ないようです。
それがやがて海岸線が後退し、それにつれて人々の移住によって縄文後期になると東久留米当たりの人跡はなくなってきたそうです。
また、この辺には「田無」という地名もあるように農耕もあまり振るわなく、人があまり住まない状況が続いていたようです。湧水が何か所かあるのですが、その程度では米は育たなく、悔恨が始まっても麦文化の地域であったようです。
このあたりから所沢とかのあたりも同じような状況だったそうです。
奈良時代あたりにお寺の開基とかは少しあったようですが、本格的に歴史に出てきたのは江戸時代に玉川上水や野火止用水などの水路が整備されてからのようです。