「古代氏族の研究4 大伴氏 列島原住民の流れを汲む名流武門」(宝賀寿男、2013年)
2 佐伯氏 久米氏
佐伯連。大伴金村の弟・御物が祖。平安時代、今毛人が三位参議。伴氏・佐伯氏は宮門の開門職を南北朝まで務めた。越中立山の佐伯氏の祖は越中守佐伯有若ではなく、佐伯広足の孫・赤麻呂、浄継、河雄の系統。なお、空海の佐伯直氏は応神天皇の弟の後裔である播磨国造の一族。佐伯部は蝦夷の俘囚を管理する職で、佐伯直氏は佐伯連のもとで地方の佐伯部の管理にあずかった。
大伴氏族の神社。山城葛野郡の伴氏神社(現在は右京区の住吉大伴神社)。河内志紀郡の伴林神社。佐伯連支族林連。信濃佐久郡の大伴神社。滋野氏・真田氏は大伴氏の可能性。
信州安曇郡の仁科氏は大伴姓を称す。飯縄明神、戸隠権現は犬狼信仰。
久米氏。クメは熊・狗奴・クメール人に通じ、弓矢に長じた狩猟民族的な山人。大伴・久米両氏は、崇神前代の3世紀後半に分岐した。久米氏族は大和高市の久米からは早い時期に姿を消し、和邇氏や蘇我氏の支族がその地に入り、蘇我支族の久米氏(久米朝臣)を出した。旧来の久米氏は久米直・連を姓とした。久米奈保麻呂の娘・久米連若女(わかめ、780年没)は藤原宇合の子・百川を生む。
久米直の祖は倭建命の遠征に随行した七拳脛(ななつかはぎ)。尾張愛智郡氷上姉子神社祀官家は七拳脛の弟の八甕(やみか)の後裔、山田郡・愛智郡の郡領家。
同族の6国造。淡道(淡路)、大伯(備前邑久郡)、吉備中県、久味(伊予久米郡)、阿武(長門阿武郡)、天草(肥後天草郡)。
吉備中県家の後裔は美作の立石氏、漆間氏(浄土宗祖・法然)ら。漆部(ぬりべ)連。伯耆(鳥取県)羽衣石(うえし)城主の南条氏も同族。物部連に混入された。曽祢連も同様で、本来は久米氏族。平安中期の歌人曽祢好忠。
久味国造の後裔。伊予の守護河野氏の重臣大野氏。大伴家持の弟の後裔と称した。伊予の曽根氏、三好長慶一族も同族。阿波の久米氏は伊予喜多郡久米庄からの来住。摂津島上郡の芥川氏も三好一族。淡路の安宅氏、讃岐の十河氏も同族。
山部連も伊予の久味国造の後裔で、朝廷の山部を管掌した。5世紀後半に仁賢・顕宗兄弟を播磨で発見した伊予来目部小楯の功績により山部連姓を賜る。藤原鎌足の父・御食子の母は山部連歌子の娘。延暦4(785)年、桓武の諱を避け山宿祢になった。山部氏は門号氏族で陽明門を守った。万葉歌人の山部赤人を出す。子孫は播磨に土着し、三木氏、淡河氏となる。
紀伊氏族は大伴・久米と同族。天御食持命の後裔で、紀国造家となる。神武以前に大伴氏族を分岐した。平安朝に武内宿祢後裔と称する紀朝臣家からの入嗣があった。同族とみられる吉野の国栖と通婚して丹生祝を出した。支流には滋野朝臣がある。地方の国造では葛津立国造(肥前藤津郡)、石見国造。