十日町市博物館。新潟県十日町市西本町。
2023年9月24日(日)。
まつだい「農舞台」で現代アートを楽しんだあと、市街地にある十日町市博物館を見学した。この博物館は国宝の縄文土器である火焔型土器を多数展示している。
2021年10月8日に長野県千曲市の長野県立歴史館で、企画展「全盛期の縄文土器―圧倒する褶曲文―」を見た時に、十日町市博物館の国宝・火焔型土器や王冠型土器が多数出品されていた。
火焔型土器は、縄文時代中期中頃(紀元前3000年頃)の造形美を誇る土器で、紀元前3300年頃に信濃川中流域で成立し、同地域のなかで発展し、紀元前2800年頃までには姿を消したと推定されている。
なお、2016年には「日本遺産」として、新潟市・三条市・長岡市・十日町市・津南町が申請した『「なんだ、コレは!」信濃川流域の火焔型土器と雪国の文化』が認定されている。「なんだ、コレは!」は、最初に火焔型土器の美を発見した芸術家・岡本太郎の言葉である。
火焔型土器は、馬高(うまたか)式土器ともよばれるように、1936年長岡市の馬高遺跡で初めて発見された「火焔土器」をはじめとした信濃川流域の遺跡から出土した、4つの鶏冠状把手(けいかんじょうとって)や鋸歯状突起(きょしじょうとっき)など大きく立ち上がる突起が、燃え盛る炎のように見えることから命名された。
火焔型土器は一般に祭りなどの儀礼に使用されたと思われるが、いまのところその使用状況を示す証拠は得られていない。内面にコゲ跡が付着することがあるため、煮炊きに使われたことは確実である。
火焔型土器のうち長岡市馬高遺跡からの出土品2点は重文であるが、国宝に指定されたものは、十日町市笹山遺跡から1980~1985年にわたる発掘調査により縄文時代中期の集落跡から出土した完形率の高い優品の一群であり、1999年に火焔型土器を含む深鉢形土器57点(附871点)が県内初の、縄文土器としては国内第1号の国宝に指定された。
指定番号6の火焔型土器。
国宝展示室。中央展示ケースには、国宝指定番号1と指定番号6を入れ替えて展示している。ちなみに、HPによると9月30日から指定番号1が展示されていた。
指定番号1の火焔型土器。愛称「縄文 雪炎」(じょうもん ゆきほむら)。
笹山遺跡出土深鉢形土器57点のうち火焔型土器は14点、王冠型土器は6点である。
火焔型土器(指定番号1)は、そのプロポーションと残存率の高さから『縄文土器の白眉』と称され、国宝指定品の中でも中心的存在として扱われ、教科書等に掲載されることも多い。
1982年7月8日出土。高さ約46.5㎝、最大幅43.8㎝、重さ約7.4㎏、残存率95%。
深鉢形土器57点の中には、器形や文様が東北、北陸、中部高地、関東地方などから影響を受けたものもあり、火焔型土器の誕生や笹山遺跡に暮らした人々の他地域との交流を示している。