建長寺の蘭渓道隆の木像は、没後すぐに作られたようだが、垂れ気味の目こそ共通だが、目の大きさ骨格まで違う。制作者は現在国宝である肖像像は観ているはずである。何故こういうことが起きるのか。菅田将暉主演の『ミステリという勿れ』で整君はいう。〝真実は一つではなく、人の数だけある“その他数体ある彫刻は、どこにも共通点が見出せない物もある。私はあくまで生前描かれた肖像画がもっとも真実を伝えている、と判断し制作したが、建長寺のサイトに載っている木像とは違ってしまうわけだが、こればかりは致し方ない。今までやって来たようにやるしかない。それに元にした肖像画はよその寺ではなく建長寺の収蔵品である。 もう一人円覚寺の開山無学祖元は、絵画でなく円覚寺の木像を元にした。笑っている訳ではないが、口角が上がって、伝え聞く人がらが伝わって来るようである。
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