2016年は臨済義玄没後1115年だったそうで中国、日本各地で大々的に記念法要などが行われたようである。その頃私は臨済宗や茶の種をもたらせた茶祖といわれる栄西は知っていたが、臨済義玄は全く知らなかった。義玄の立体像は中国の石像が出てくるくらいで見当たらない。 曽我蛇足の義玄像の頭の形は前頭部が盛り上がり、有り得ない形をしている。中国で最初に描かれ曽我蛇足が参考にした原画はいくら探しても出てこない。中国も色々あったから失われてしまったのかもしれない。しかしその禿げ具合が変わっており、蛇足の創作ではなく、由来があるとしか思えない。蛇足作を出来るだけそのままにしたいので、蛇足に異論を唱える理由は何もない。特定の経典を持たない禅宗では、その教えは言葉や文字によらず。蛇足の義玄像の喝!の表情、頭の形に魅かれてその気になってしまった私にも何かが伝わったということであろう。そういえば栄西も、これがまたトレードマークのように、何を見てもまるで臼のような頭の形に描かれている。人の形に興味が向いてしまうのも、幼い頃から相変わらずである。