教わらなくとも初めから知っていることがある。頭で考えることがことごとくハズし続け、根拠はないけれど、湧き出る物に従った方が結果が良い。どうやら人間も草木同様の自然物、肝心な物はあらかじめ備わっているようだ。となると〝考えるな感じろ“ということにもなり、レンズをさらに外に向けずに眉間に向けるようになる。仏は己の内に在る、という禅的モチーフに至ったのは、自然な流れだ、と考えている。 そもそも自分そのものが自然物なのだから、そこに寺山修司いうところの〝どんな鳥も想像力より高く飛べる鳥はいない“これで充分。自然の中で暮らす必要など全くない。狐か鳴いたり、4キロ四方人家がない所に暮らした経験からすると、想像力に関しては、むしろ低空飛行のままであった。 坐骨神経痛で仰向けのまま、大覚禅師こと蘭渓道隆師の頭部、ようやく満足。
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