前回からの続き
自然数の性質を公理化したものはペアノの公理系の名で知られています。これには色々な書き方がありますが、岩波数学辞典[ref-2) p474(183B項)]では自然数の集合Nを定義するという形で書かれています。
公理系P1a
1. 0∈N
2. x∈N→x'∈N
3. x∈N→x'≠0
4. x'=y'→x=y
5. (0∈M)∧(x∈M→x'∈M)→N⊂M
ここでアポストロフィ記号を使った「x'」は「xの後者」すなわちx+1を意味する関数を記述します。また5は数学的帰納法の公理で、Mは「ある性質mを満たす要素の集合」と解釈でき、N⊂Mは「自然数の集合が、mを満たす要素の集合に含まれる」すなわち「全ての自然数はmを満たす」ということを記述しています。また、公理2、3、4から「xの後者」という関数によりいくらでも新しい自然数が生じること、つまり自然数は無限に存在することが、厳密な証明は別としてもわかると思います。どこまでいっても次がある、ということですね。
公理系P1aを本記事で使用する書き方で変更すると次のようになります。ここでは「x'」の替わりに「s(x)」を使いましたが、この方が「xの後者」というのが1変数関数のひとつであることがわかりやすいでしょう*1。また公理5を解説すれば、P(0)は「0(ゼロ)について命題Pが成り立つ」ことを、P(x)→P(s(x))は「xについてPならばx+1についてP」を記述しています。
公理系P1b
1. ∃x(x=0)
2. ∀x{∃y(y=s(x)}
3. ∀x{¬(s(x)=0)}
4. ∀x∀y{(s(x)=s(y))→x=y}
5. P(0)∧∀x{P(x)→P(s(x))}→∀x(P(x))
なお最初の数を0ではなく1にする方式もあります*2。また和や積の記号を最初から導入すれば直観的には見やすくなるでしょう。むろん和や積はs(x)を使って定義できます。そして和や積が定義できれば、その逆関数として差や商や剰余も定義できます。
また、5≡s(s(s(s(s(0)))))のように各自然数にそれぞれの定数記号を定義することもできますが、左辺の記号がなくても右辺の記号列(対象式である)をそのまま使えばよいので、必ずしも新たな記号の必要はありません。大きな自然数に対するs(s・・(0)・・))のような長大な記号列*1を読み取るのは人間技では不可能ですがチューリング・マシンなら間違えないから大丈夫です。
公理系P1bは自然数全体の集合をモデルとしますが、負の数を定義する公理を加えた整数をモデルとする公理系や、有理数の公理系、実数の公理系を作ることもできます*3。ここで加える公理というものは、もちろん公理系P1bからは証明できませんが、それをもって公理系P1bが統語論的に不完全だというのは、ゲーデルの不完全性定理が意図するものではないはずです。というのは、前回の最後に書いた通りです。
公理系P1bで証明可能か否かが問題となる閉論理式とは、モデルである自然数の集合で何らかの意味を持つ論理式です。そのような閉論理式のひとつ∀x(R1(x))および¬∀x(R1(x))がどちらも公理系P1bからは証明できないものとしましょう。このときモデルである自然数の集合では、対応する命題∀x(R1(x))は成立しているのでしょうか、いないのでしょうか。前回で述べたようにモデルでの真偽は定まっているものとみなすとすれば、命題∀x(R1(x))もどちらかに定まっているとみなさなくてはなりません。にもかかわらず証明できないとすれば、「真であるにもかかわらず証明できない」と言うことができるわけです。しかしちょっと待ってください。
∀x(R1(x))も¬∀x(R1(x))も証明できないということは、命題∀x(R1(x))が成立しているモデル(図2のモデル1)も成立していないモデル(図2のモデル反1)も公理系P1bのモデルだということです。つまり公理系P1bは少なくとも2つのモデルを持ちます。そして我々が素朴に自然数の集合だと考えているものがどちらに当てはまるのかは有限の手続きでは決定することができません。無限の対象についての命題を確認する手段は数学的証明しかないのに、その数学的証明ができないのですから。
【再掲】 図2
さらにゲーデルの不完全性定理によれば、公理系P1bに∀x(R1(x))や¬∀x(R1(x))を付け加えた公理系も、まだ統語論的に不完全です。ゆえに∀x(R2(x))も¬∀x(R2(x))も証明できないような論理式∀x(R2(x))が存在します。というわけで、公理系P1bからは証明できない無限個の論理式が存在し、それらの論理式はすべて自然数の集合で何らかの命題に対応しています。そしてそれらの命題の真偽がどちらであるかにより無数のモデルが存在することになります。そしてこれら無数のモデルの全てで成立する関係だけが真であるようなモデルを作る集合を仮にペアノ自然数とでも名付ければ、完全性定理により公理系P1bはペアノ自然数においては意味論的に完全です。
そもそもペアノの公理系とは人間が素朴に自然数の集合と考えていたものをきちんと定義しようとしたものです。しかし実はその自然数の実体は唯一のものではなかったのです。それはペアノの公理系で完全に表現できるペアノ自然数を共通部分としながらも、そこに各々異なる真理が付け加わった無数のモデルの集合体だったのです。そしてこれら無数のモデルのうちで、我々が素朴に言葉にする自然数がどれに当てはまるのかは有限の手続きでは決定できません。これら無数の異なる真理は、人間の観測が届かない無限の彼方にあるのです。「真であるにもかかわらず証明できない」のではなくて、「有限の手続きでは真偽を決定できない命題は証明できない」と言うべきなのです。といえば、何か当たり前の真理に聞こえるようになりますね。
そう、今にして思えばゲーデルの不完全性定理とは何も不思議な定理ではなく、「無限集合についての命題で有限の手続きでは確認不可能な命題には、有限の証明列が存在しないものがある。」という、ごく自然に見えることをキチンと証明したところに意義があったのだと言うべきでしょう。
次回はさらに具体的証明に踏み込みます。
--------------------
*1) 類書ではほぼすべてx'方式であり、表記が短くなる利点はある。ただ、どうせ例示でのなるべく短い表記にしか使わないので本記事ではs(x)にした。等号も本来は関係記号でありEq(a,b)などと表記してもよいが、こちらは非常によく使うので慣れてわかりやすい表記の方がよいだろう。
*2) 一般には0は自然数に含めないとする考え方が多そうだ。しかし0はイメージ的に空集合に対応させやすいので、何かと考えやすいという利点がありそうだ。
[注]「0は自然数に含めないとする考え方が多い」という記述には根拠がなかった。0(ゼロ)は自然数か否か -1-参照。
*3) 負の数を導入すると公理3を破棄することになるだろうから、以下の議論には使えない。しかし正の有理数を導入するだけなら例としてたぶん大丈夫だろう。
自然数の性質を公理化したものはペアノの公理系の名で知られています。これには色々な書き方がありますが、岩波数学辞典[ref-2) p474(183B項)]では自然数の集合Nを定義するという形で書かれています。
公理系P1a
1. 0∈N
2. x∈N→x'∈N
3. x∈N→x'≠0
4. x'=y'→x=y
5. (0∈M)∧(x∈M→x'∈M)→N⊂M
ここでアポストロフィ記号を使った「x'」は「xの後者」すなわちx+1を意味する関数を記述します。また5は数学的帰納法の公理で、Mは「ある性質mを満たす要素の集合」と解釈でき、N⊂Mは「自然数の集合が、mを満たす要素の集合に含まれる」すなわち「全ての自然数はmを満たす」ということを記述しています。また、公理2、3、4から「xの後者」という関数によりいくらでも新しい自然数が生じること、つまり自然数は無限に存在することが、厳密な証明は別としてもわかると思います。どこまでいっても次がある、ということですね。
公理系P1aを本記事で使用する書き方で変更すると次のようになります。ここでは「x'」の替わりに「s(x)」を使いましたが、この方が「xの後者」というのが1変数関数のひとつであることがわかりやすいでしょう*1。また公理5を解説すれば、P(0)は「0(ゼロ)について命題Pが成り立つ」ことを、P(x)→P(s(x))は「xについてPならばx+1についてP」を記述しています。
公理系P1b
1. ∃x(x=0)
2. ∀x{∃y(y=s(x)}
3. ∀x{¬(s(x)=0)}
4. ∀x∀y{(s(x)=s(y))→x=y}
5. P(0)∧∀x{P(x)→P(s(x))}→∀x(P(x))
なお最初の数を0ではなく1にする方式もあります*2。また和や積の記号を最初から導入すれば直観的には見やすくなるでしょう。むろん和や積はs(x)を使って定義できます。そして和や積が定義できれば、その逆関数として差や商や剰余も定義できます。
また、5≡s(s(s(s(s(0)))))のように各自然数にそれぞれの定数記号を定義することもできますが、左辺の記号がなくても右辺の記号列(対象式である)をそのまま使えばよいので、必ずしも新たな記号の必要はありません。大きな自然数に対するs(s・・(0)・・))のような長大な記号列*1を読み取るのは人間技では不可能ですがチューリング・マシンなら間違えないから大丈夫です。
公理系P1bは自然数全体の集合をモデルとしますが、負の数を定義する公理を加えた整数をモデルとする公理系や、有理数の公理系、実数の公理系を作ることもできます*3。ここで加える公理というものは、もちろん公理系P1bからは証明できませんが、それをもって公理系P1bが統語論的に不完全だというのは、ゲーデルの不完全性定理が意図するものではないはずです。というのは、前回の最後に書いた通りです。
公理系P1bで証明可能か否かが問題となる閉論理式とは、モデルである自然数の集合で何らかの意味を持つ論理式です。そのような閉論理式のひとつ∀x(R1(x))および¬∀x(R1(x))がどちらも公理系P1bからは証明できないものとしましょう。このときモデルである自然数の集合では、対応する命題∀x(R1(x))は成立しているのでしょうか、いないのでしょうか。前回で述べたようにモデルでの真偽は定まっているものとみなすとすれば、命題∀x(R1(x))もどちらかに定まっているとみなさなくてはなりません。にもかかわらず証明できないとすれば、「真であるにもかかわらず証明できない」と言うことができるわけです。しかしちょっと待ってください。
∀x(R1(x))も¬∀x(R1(x))も証明できないということは、命題∀x(R1(x))が成立しているモデル(図2のモデル1)も成立していないモデル(図2のモデル反1)も公理系P1bのモデルだということです。つまり公理系P1bは少なくとも2つのモデルを持ちます。そして我々が素朴に自然数の集合だと考えているものがどちらに当てはまるのかは有限の手続きでは決定することができません。無限の対象についての命題を確認する手段は数学的証明しかないのに、その数学的証明ができないのですから。
【再掲】 図2
さらにゲーデルの不完全性定理によれば、公理系P1bに∀x(R1(x))や¬∀x(R1(x))を付け加えた公理系も、まだ統語論的に不完全です。ゆえに∀x(R2(x))も¬∀x(R2(x))も証明できないような論理式∀x(R2(x))が存在します。というわけで、公理系P1bからは証明できない無限個の論理式が存在し、それらの論理式はすべて自然数の集合で何らかの命題に対応しています。そしてそれらの命題の真偽がどちらであるかにより無数のモデルが存在することになります。そしてこれら無数のモデルの全てで成立する関係だけが真であるようなモデルを作る集合を仮にペアノ自然数とでも名付ければ、完全性定理により公理系P1bはペアノ自然数においては意味論的に完全です。
そもそもペアノの公理系とは人間が素朴に自然数の集合と考えていたものをきちんと定義しようとしたものです。しかし実はその自然数の実体は唯一のものではなかったのです。それはペアノの公理系で完全に表現できるペアノ自然数を共通部分としながらも、そこに各々異なる真理が付け加わった無数のモデルの集合体だったのです。そしてこれら無数のモデルのうちで、我々が素朴に言葉にする自然数がどれに当てはまるのかは有限の手続きでは決定できません。これら無数の異なる真理は、人間の観測が届かない無限の彼方にあるのです。「真であるにもかかわらず証明できない」のではなくて、「有限の手続きでは真偽を決定できない命題は証明できない」と言うべきなのです。といえば、何か当たり前の真理に聞こえるようになりますね。
そう、今にして思えばゲーデルの不完全性定理とは何も不思議な定理ではなく、「無限集合についての命題で有限の手続きでは確認不可能な命題には、有限の証明列が存在しないものがある。」という、ごく自然に見えることをキチンと証明したところに意義があったのだと言うべきでしょう。
次回はさらに具体的証明に踏み込みます。
--------------------
*1) 類書ではほぼすべてx'方式であり、表記が短くなる利点はある。ただ、どうせ例示でのなるべく短い表記にしか使わないので本記事ではs(x)にした。等号も本来は関係記号でありEq(a,b)などと表記してもよいが、こちらは非常によく使うので慣れてわかりやすい表記の方がよいだろう。
*2) 一般には0は自然数に含めないとする考え方が多そうだ。しかし0はイメージ的に空集合に対応させやすいので、何かと考えやすいという利点がありそうだ。
[注]「0は自然数に含めないとする考え方が多い」という記述には根拠がなかった。0(ゼロ)は自然数か否か -1-参照。
*3) 負の数を導入すると公理3を破棄することになるだろうから、以下の議論には使えない。しかし正の有理数を導入するだけなら例としてたぶん大丈夫だろう。
文化の日剣の舞に分化知る
文化の日数の核にて数進む
文化の日1 2 3 4にアスペクト
有田川町電子書籍
[もろはのつるぎ」
御講評をお願い致します。
[酷似]した[絵本][もろはのつるぎ]がある。
戯言を曝せたのもこの欄があったからこそであり、誠に有り難う御座います。
この戯言が、数学共同体はもちろんのこと万人に認知され得るものならば、秘かにと言えどもここに記してしまえば秘かでなくなるが、森田真生先生に纏めて頂けることをそれこそ密かに想っている。
なかなかの力作のようですが、よく理解できません。このようなコメント欄ではなく、例えば御自分のブログなり、書物なりでさらに詳しく展開された方が良き論文(のおつもりかどうかは存じませんが)になるのではないでしょうか?
≪ゲーデルの不完全性定理≫で数学を見るのでなく、大日如来の、この宇宙全体が超越的存在である「言語」(『数そのモノ』)の現れとしてのエナクティブ・アプローチで数学を観る。
『数そのモノ』を≪身体と行為を伴って成立するものとして理解する立場≫で捉えようとする。
恒真命題のトートロジーの式に自然数(十進法)を使って、
一次元の数体の式
二次元の数体の式
三次元の数体の式
を≪身体と行為を伴って成立する≫『離散的有理数の組み合わせによる多変数創発関数論 命題Ⅱ』から得られる自己無撞着の摂動方程式は、ある種の[離散対数問題]で以下の一・二・三次元の数体の間に次式を呈示する。
(思考前の面積)[1+1/(孵化係数)]=(思考後の面積)[1+(増分量)+1/(孵化係数)]
(思考前の面積) ; 二次元の数体の式
(思考後の面積) ; 二次元の数体の式
(増分量) ; 三次元の数体の式と等価な一次元の数体の式
(孵化係数) ; 一・二・三次元の数体を等価にさせるパラメータ
この式の帰結は、思考という時間を含めた恒真命題でトートロジーではない位相を獲得した恒真式と観る。
これを西洋数学の成果のカオス表示【(e π)、虚数(i『動的作用を持つ』)からの実数での『自然比矩形』【1×(e-1)】にパースペクティブすると、【1】は、自己無撞着の摂動方程式(零点原理)の(i『動的作用を持つ』)ものからの(e-1)のπ/2(90°)の立ち上がり(90°回転)の実数の【1】を獲得する。
『離散的有理数の組み合わせによる多変数創発関数論 命題Ⅱ』の恒真式を『自然比矩形』と反比例曲線とに双対させた式は、
[自然比矩形の面積][1+1/(創発係数)]=
(積分表示の面積)×[1+(増分量)+1/(創発係数)]
[1×(e-1)][1+1/(創発係数)]=1×[1+(e-1)+1/(創発係数)]
から
(創発係数)=(e-2) を得る。
自然数の一・二・三・四次元の【1】のそれぞれの数体の集合をカオス表示の[位相]として双対させると次のように観える。
一次元の数体の【1】 ; (e-1)
二次元の数体の【1】 ; 積分表示
三次元の数体の【1】 ; 1×(e-1)×((e-1)/((e-2))
四次元の数体の【1】 ; 1×(e+exp[iπ])×((e-1)/((e-2))
「投影された宇宙」マイケル・タルボット著川瀬勝訳の、
用語・・・≪量子ポテンシャル≫ ≪非局在性≫ ≪内在秩序≫ ≪外在秩序≫
をお借りする。
そして、西洋数学の成果の数学記号(シェーマ)を≪ホログラムの数学言語≫として観てみる。
脳が数学を捉える視点から、プリブラムとボームの理論からの、
≪私たちの脳は、つきつめてしまえば他の次元 ― 時間と空間を超えた深いレベルに存在する秩序 ― から投影される波動を解釈し、客観的現実なるものを数学的に構築しているのである。すなわち、脳はホログラフィック宇宙に包み込まれたひとつのホログラムなのだ。≫
などから[カオス表示の[位相]]を次のように観る。
(e-1) ; ≪量子ポテンシャル≫的な 『創発エネルギー』
積分表示 ; 宇宙の[計量構造]としての【1】
1×(e-1)×((e-1)/((e-2)) ;
『創発立方体数』 『アーベル数』 『数の核』(ジャーゴン)
1×(e+exp[iπ])×((e-1)/((e-2)) ;
[形態空間]
特に、[形態空間]は、『ホログラフィック係数』((e-1)/((e-2))を保存して容量も保存する。
これらは、≪内在秩序≫と観る。
≪外在秩序≫は、このように【数そのモノ】の十進法の自然数【0 1 2 3 4 5 6 7 8 9】で、『カオス表示』を帯同していて、次元により『カオス表示』の[位相]がカオスのヒエラルキー構造と捉える事もできよう。