欠陥建築バスターズ

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伊勢神宮は古代ユダヤ人が造った!

2020年04月19日 09時33分47秒 | 建築のうんちく

1、日本の神道は、多神教ではなく一神教である

 

宗教哲学上の分類として、日本の神様は、お一人と考える一神教が正しいのです。

 

ではなぜ、様々な神社があるのでしょうか?

 

それは、神様がつくられた山にも神の影を感じ、神様の恵みで実った農作物にも、神の影を感じていたからです。

 

日本人の心の中に、「神様がお一人しかいない」という証に、神社の御神体には、一つとして神の像がありません。

 

決して、ギリシャの神々のように、多種多様な御神体は存在しません。

 

このことは、昔、日本にやってきた人たちが『ユダヤ教』のような一神教の民族であったことを示しています。

 

 

2、伊勢神宮に見る古代ユダヤ人の紋章

 

伊勢神宮の灯篭には、今から約3,300年前に、エジプトで使用されていた2つの紋章が刻まれています。

 

これは、約3,300年前に、奴隷としてエジプトにいた古代ユダヤ人によって、日本に持ち込まれたものと考えられます。

 

その一つは、『菊の紋章』でわり、もう一つは、『ダビデの星』です。

 

菊の紋章は、天皇家の家紋ですが、この家紋は菊の花ではなく蓮の花なのです。

 

花弁の数が、蓮の花と一致しますが、菊の花の花弁の数とは一致しません。

 

この蓮の花の紋章は、約3,300年前のエジプトでは、貴族が墓などに刻んでいた紋章です。

 

もう一つのダビデの星の紋章についてですが、これは、現在のイスラエル国旗の中央にある文様です。

 

 

以上のことからだけでも、伊勢神宮が古代ユダヤ人と無関係とは言い難いのがわかります。

 

 

3、伊勢神宮に見る太陽神の影響

建築家である私が「おやっ」と思ったこと、それは、伊勢神宮の鳥居の方向に日の出の太陽が昇ってくることです。

 

これは、もしかすると、古代ユダヤ人が日本にやってきた時に、エジプトのファラオが信仰していた『太陽神』の影響ではないでしょうか。

 

日本人が、お正月に初日の出を拝む習慣も、もしかすると、太陽神信仰が今も生き続けているからなのかもしれません。

 

 

4、伊勢神宮の建物群は全て弥生時代の倉庫が原型

伊勢神宮の中には、いくつも社がありますが、全ての建物は弥生時代の倉庫と同じ形をしています。

 

このことは非常に重要なことで、伊勢神宮を造った人たちは、弥生人と何らかの関係があることを示しています。

 

弥生人というのは元来、日本にいた人類ではなく、縄文人の後に、日本に入り込んで来た人類です。

 

また、伊勢神宮の建物の下には必ず、3個の石が置かれています。

この『3』という数字は、ユダヤ民族が特に重要な数としている数字です。

 

日本では、お正月に鏡餅を飾ります。

あれは、2段のお餅の上に、だいだい(みかんなど)がのって3段になっています。

 

実はユダヤ人も、小麦で作ったパンを3段に重ねて祝う習慣があります。

 

さらに、日本では、お正月を『三が日』と言います。

 

もしかすると、弥生人は、ユダヤ人だったのかもしれません。

 

 

5、伊勢神宮を造ったのは、弥生時代に日本に来たユダヤ人

 

今から約3,300年前に、エジプトに奴隷としていたユダヤ人は、聖書に登場してくる『モーセ』に率いられ、エジプトを脱出します。

このことは、映画「十戒」にも描かれています。

 

その時に持って逃げたのが、小麦で作ったパン(マッツア)です。

以後、ユダヤ人はこのパンをお祭りの時に重ねて飾りました。

 

これが、日本の鏡餅に変化したと考えられます。

 

モーセに率いられた古代ユダヤ人の一部は、中国大陸まで来た記録が残っています。

 

そしてこの時期が、弥生時代の少し前なのです。

 

やがて、中国までやってきた古代ユダヤ人は、日本海を渡り、日本列島にやって来ました。

米を作り、その米の倉庫を改良して神殿を造ったのではないでしょうか。

 

その神殿を伊勢神宮と考えられるのです。

 

 

考古学と言いますか、古代建築物には歴史と謎があって、現代人のロマンをかき立ててくれますね。

 

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