神の手は力ある働きをする。

 主の右の手は高く上げられ、
 主の右の手は力ある働きをする。

(詩篇118編16節より)

心の中心に神さまを置く。

2024年02月22日 | キリスト教

 もちろん、すべてクリスチャンと呼ばれる人々、聖霊のバプテスマを受け、聖霊さまの内住を経験された方は、イエスさまを心(霊や魂)の中心に感じているのが普通かもしれません。

 でも、日々の忙しさの中で、神さま、イエスさまのことをまったく忘れている瞬間というのは結構あったりと、「あ、今わたし、イエスさまのことを心の中心に置いてなかった!!」といったようなことはよくあります。でも、わたしたちが忘れている間も、イエスさま、聖霊さまがわたしたちの心の中心にいらっしゃることには変わりありません。

 でもやっぱり、不安なことや困ったことがあったりすると、頭の中が真っ白になったり、「こんな時こそ感謝と賛美!!」といった対応が遅れたり、イエスさまに頼らず自分の力で人間的に処理しようとして失敗してしまったりと、「いつでもイエスさまが中心にいらっしゃる」ということを忘れてしまうということがよくある気がします。

 キリスト教における「罪」とは、「的を外す」という意味だ、ということを知ったのは、確か三浦綾子さんの文章だった気がするんですけど、「的を外す」とは、「本来あるべき生き方をしていない(的を外した生き方をしている)」ということで、言い方を変えるとたぶん、「イエス・キリストを的の中心に置いていない」ということなんだろうなあと思ったんですよね。

 これは前にも似たようなこと書いたような気がするんですけど、ある意識調査によると、生活の中で一番大切なものは何か、みたいなアンケートで、堂々第一位がインターネット。第二位が家族とか、確かそんな感じだったと思います。つまり、これでいくと「わたしの心の中心にはいつでもインターネットやSNSのこと、またそれにまつわる人間関係がある」という方って多そうですし、また、パソコンでオンラインゲームするのにしても、スマートフォンにしてもなんにしても、ある程度ネット環境を整えるにはお金のかかることから……そのためにも、お金、経済的なことが心の中心の第一位だという方も、きっとたくさんいらっしゃることと思います。

 特段わたし、そのことを「ちょっとどうなの?」と思うこともなく、現実、今の日本で暮らしていくには「お金がないと何も出来ない」というのも綺麗ごとでなく本当にそうだと思うんですよね。わたし自身、ある漫画やアニメ、海ドラの続きが気になる時など、心の関心第一位がそのことばかりで占められているとか、実際よくあります。でも、自分でも神さま、イエスさまのこと以外に一番関心が向かっている時でも、いつでもわかってはいるわけです。そうしたこともいずれは過ぎ去り、心の中心第一位というか、いつでもイエスさまがそこで王座に座っておられることに変わりないということは。

 そして、イエスさまとの一致、聖霊さまとの一致があるクリスチャンというのは、弓を射る時に人生の的を決して外すことはない……ということなのだと思います。まあ普通、どんな弓の名手と言えども百発百中ということはないと思いますし、十回射て、十回とも的に当たったにせよ、完全に真ん中をいつでも射抜く――ということまでは難しいと思うんですよね。

 でも、これはあくまでわたし個人の考えなんですけど……実際のところ、「肝心な時、肝心な瞬間」に中心にズバリ☆と的に矢が当たるということが重要なのであって、普段の「結構どーでもいい時」に的に矢が当たり、肝心な時のみ外す――というのがある意味不信仰、ということなのかなって連想的に思ったりしました。

 中心の的を弓で肝心な時に射るには、普段からの練習や鍛錬が必要であり、クリスチャンの場合はたぶん、普段から祈っていたり礼拝を守ったり献金したりと、「肝心な時に的を射る」瞬間のために、無意識のうちにも備えているところがあるのではないかという気がします。

 まあ、わたしは自分が肝心な時に神さまに聞き従えず、退いてしまうところのある駄目クリスチャンなので、こうした偉そうなことを言えた義理ではないのですが(汗)、「的に矢を当てるのはイエスさま」なので、聖霊さまを通してそのことをお委ねするのに必要なのは、変に肩に力を入れることなく冷静に、呼吸を整えつつ弓を引き、矢を放つというその瞬間にイエスさまにすべてをお委ねする……そうすれば、目隠ししてようとなんだろうと、とにかく矢が的の中心を割るくらいの勢いで当たる――善き信仰者にはきっと、そうした瞬間があるものなんだろうなあと、ある方の信仰のお証しを聞いていて思ったような次第です。。。

 それではまた~!!






コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 疑いは信仰の最大の敵である。 | トップ | 自分に甘く、他人に厳しく。 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

キリスト教」カテゴリの最新記事