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ブレネー・ブラウンさんの心理学系っぽいセミナーの映像を見ました♪
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なので、たぶん同じものを見た方にとっては、「ああ、有名なあれね
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つまり、たとえば何かの人生相談をある方が心を開いてした時に、相手がもし「ああ、なんて可哀想なんでしょ!そんなひどい目に遭うなんて……」という、明らかに一段も二段も下の人間に対して「哀れみをかけてやっている」的態度だった場合、相手の心は表面上はどうあれ、急速に離れていくものですよね。
これは、自分も誰かにされたことがあるし、また逆にしたこともあると思います。もし仮に「ああ、なんて可哀想なんでしょ!」と言われたとしても――相手の顔の表情や態度その他において、「わたしは心からこの人に愛されてる」と感じる場合も、あるとは思うんですよ(たとえば、自分のおばあちゃんであるとか、親しい親戚とか、そういった場合)。
でも、まったくの赤の他人に、思いきって心を開いて人生相談したのに……そんな哀れみの態度を取られるくらいなら、最初から何も言わなきゃ良かった
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でも、セミナーの映像見た文脈としてはわかるんですよ。本当に「思いやり」と「共感する」気持ちがあったとすれば……相手にその気持ちが通じるか、最低でも不快な気持ちにさせたり、思いきって告白したことを後悔させることだけはないだろう、といったことは。
とはいえ、確かに難しいことですよね。たとえば、今戦争や災害など、本当に色々なひどいことや大変なことがあって……もし仮にそうした自分の経験したことがない「生きるか死ぬかの大変なこと」について相談されたり、あるいは児童虐待といった、そうした過去にあったことを話された場合、それと同じか、あるいは近いくらいの経験がない限り、決して「あなたのその気持ち、わかるわ」とは言えない。
では、どうするのか。第一に大切なのはおそらく、「対等な目線を持つ」ということなんだろうなと思います。相手の物凄く不幸な体験などを話された場合、それに相応するものが自分の中になかったら、最初は反射的にうろたえるかもしれません。でも、そうした時、相手も「誰でもいいから」ではなく、多くの場合はきちんと相手を選んで話している。だから、最低でも「やっぱりこんな奴に話すんじゃなかった
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「え?でもそれじゃあ、相談した意味自体あまりないのでは?」という気もするものの……「まったく同じ経験がない以上」、それ以上を望むことのほうが間違っているということなのだと思います。つまり、そうした話を聞いた時、一般に人が思うのは「わたしがこの人を癒してあげなきゃ
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愛の反対は憎しみではなく無関心だとマザー・テレサがおっしゃったのは有名なお話ですけど……ブレネー・ブラウンさんの心理学のお話としては、愛のすぐ近くに潜む敵は「支配」だということでした。これ、すごくよくわかりますよね。以前わたし、とある方から、「お母さんである自分が一番偉くて、毎日夫も息子も娘も、なんでもわたしの言うなりになってくれたらいいのにって思うことがよくあるわ」と言われたことがあります。「でも、現実は当然そうはいかないのよね」と。
↑の方の場合、「支配欲」というのとは少し違いますけれども、これまたわたし、別の方から「旦那は給料だけ家に入れるロボットで、子供たちは不登校にもならず、ただ普通に学校行って帰ってきてくれたらいい。それ以上は何も望まない」といったような話をされたことがあります。でも、この方の場合は「夫や子供を愛している」と言ったとしても、こちらはちょっと「支配欲」に近い、愛情のすぐそばに「支配」が横たわっている可能性が少しあるように感じました。
もちろん誰しも、こんな偉そうなことを誰かに言ったりは出来ません。せいぜいのところをいって、他人の振り見て我が振り直せといったところですよね。でも、旦那さんとの間に問題があって、「働いて金を入れる以外、なんの価値もなし」と感じておられる奥さまは実際にいらっしゃるし、小学四年生くらいの子供さんが友達関係で悩んでいるのを聞いても――つい言ってしまいたくなることはありますよね。「そんなことも、十年もすればきっといい思い出になるわ」……なんていう、親側の答えを。もちろん、口に出して言うことまではないとは思う。でも、そんな時にも大切なのは、「共感」と「思いやり」の気持ち。ただ、息子さんなり娘さんの話をうんうん言って聞いて、一緒に涙を流して、心の不安のモヤモヤを共有してあげること……親にできるのはきっと、そうしたことしかないのだと思います。
でも、愛のそばにはいつでも、「支配とコントロールという名の管理」ということがあって、それが自分の旦那さんや奥さん、息子さんや娘さんといった家族の身の上に起きたことでも――「一緒に不安を共有してモヤモヤ?そんなこと、いちいちやってられないし、わたしはわたしで仕事もあるし、大変なのよ。そのあたりのことはあなたが出来る範囲内でがんばって。ええ、もちろん応援はするわ。まあ、ちょっと離れたところからね」……ということは、仮に親子や兄弟姉妹であってさえもありうることですよね。。。
もちろん、それが小さな不安や緊張や悩みならともかく、かなり深刻で重いものだった場合、「共感」しても「思いやっても」もらえなかった子供さんは、心を閉ざすことになる。何故か?「口では愛していると言いながら、実際には自分の管理下でコントロール通りになって欲しい」、「親側にとって快適な息子・娘であり続けて欲しい」……といったお母さんなりお父さんなりの思惑を感じると、子供のほうでは無力感に苛まれるからです。そして、両親のどちらかが設ける「ある一定の基準」に達しない限り、自分に価値などないんだと思い込んでしまう。
また、こうした問題の根深いところとしては、大抵がそれぞれの家族の「無意識下」で起きる場合が多いということなんだと思います。だから、誰かに「愛のすぐそばには、実は支配やコントロールという名の管理ということがあってね……」みたいに指摘されない限り、なかなか気づくことは出来ない。
この文章は、ブレネー・ブラウンさんのセミナーで語られたことの他に、そのことに沿って「わたしはこう思った」的なことがかなりのところ混ざり合ってるので(汗)、興味のある方は「ブレネー・ブラウン」で検索をかけて、ユーチューブにあるTEDの映像を字幕付きで見たり、他の映像を視聴されることを心から推奨するものでありますm(_ _)m
それではまた~!!
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「ブレネー・ブラウン:傷つく心の力」、たぶん字幕出ると思うのですが、もし出なかった場合は日本語の字幕を選択すると訳が出ますm(_ _)m
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