【キリストの洗礼】
神の子イエス・キリストの福音のはじめ。
預言者イザヤの書にこう書いてある。
「見よ。わたしは使いをあなたの前に遣わし、あなたの道を整えさせよう。
荒野で叫ぶ者の声がする。
『主の道を用意し、主の通られる道をまっすぐにせよ』
そのとおりに、
バプテスマのヨハネが荒野に現われて、罪が赦されるための悔い改めのバプテスマを説いた。
そこでユダヤ全国の人々とエルサレムの全住民が彼のところへ行き、自分の罪を告白して、ヨルダン川で彼からバプテスマを受けていた。
ヨハネは、らくだの毛で織った物を着て、腰に皮の帯を締め、いなごと野蜜を食べていた。
彼は宣べ伝えて言った。「私よりもさらに力のある方が、あとからおいでになります。私には、かがんでその方のくつのひもを解く値うちもありません。
私はあなたがたに水でバプテスマを授けましたが、その方は、あなたがたに聖霊のバプテスマをお授けになります」
そのころ、イエスはガリラヤのナザレから来られ、ヨルダン川で、ヨハネからバプテスマをお受けになった。
そして、水の中から上がられると、すぐそのとき、天が裂けて御霊が鳩のように自分の上に下られるのを、ご覧になった。
そして天から声がした。
「あなたは、わたしの愛する子、わたしはあなたを喜ぶ」
(マルコの福音書、第1章1~11節)
――わたしがクリスチャンなる前、イエスさまというのは、絵画の中でよく描かれている長髪ヒゲ面のあの方……というイメージでした(^^;)
そして上のレオナルド・ダ・ヴィンチとダ・ヴィンチのお師匠さんであるヴェロッキオの描いた絵を見ては、60~70年代くらいに実在してそう……(ヒッピーとして☆)とか、不敬なことを思っていたというか(殴)
他に、洗礼者ヨハネさんの絵として有名なのが、
【洗礼者ヨハネ】
なんといってもダ・ヴィンチのこの絵だと思うのですが、上のちょっと枯れかかった感じのするヨハネとはまるで別人みたいに見えますよね。こちらの洗礼者ヨハネはダ・ヴィンチの弟子のサライがモデルらしいのですが、一説によるとダ・ヴィンチと同性愛的関係にあったのではないかと言われているそうです(^^;)
なんにしても、聖書を読んだ厳密なイメージとして近いのはたぶん、ヴェロッキオさんの描かれたほうの洗礼者ヨハネではないか……という気がしたり。
何分聖書のほうには、「らくだの毛で織った物を着て、腰に皮の帯を締め、いなごと野蜜を食べていた」とあるので(そしてここを読むたびに何故か、らくだシャツを着てるヨハネが思い浮かんでしょうがないわたし☆)←やめろ
イエスさまの生涯も大変なものでしたけれど、「荒野で叫ぶ者の声」の<声>として先触れの役割を果たしたヨハネもすべての預言者の行く道を歩まれた方……という気がして、その人生を思うと非常に胸が痛みます
さて、今回メッセージとして取り上げたいのは、『主の道を用意し、主の通られる道をまっすぐにせよ』という旧約聖書はイザヤ書の第40章3節にある御言葉です。
わたし、この御言葉は聖書で当然何度も読んでいましたし、礼拝のメッセージでもよく聞いてわかっているつもりでいました。
でもほんと、実際は「全然わかってなかったんだな~☆」と最近つくづく思わされたり(^^;)
というのも、自分的に「この世的な生き方」と「信仰者としての生き方」が50:50くらいなのが理想……と心のどこかで思っていたところがあったらしく、それではまったく<神さまに仕える道>というのは整わないのだなと思ったというか。
もちろんわたしはただの一信者であって、将来的に牧師になろうとか思ってるわけではないのですが(汗)、それでも出来るだけ「この世的な生き方」の部分はそぎ落として、「信仰者としての正しく清い生き方」のほうの割合を増やしていきたいという野心(?)があり……でも、そんな中途半端な覚悟では、実際にはまるで神さまのお役に立てずに終わるのだ……と思ったんですよねorz
この続きはまた次回、<悪魔の誘惑>というタイトルにて書きたいと思うんですけど、洗礼者ヨハネさんは痛ましい生涯を送った方である……といったように人間的な考えとしては思います。聖書を読むとなんだか、一番幸せだったのはお母さんのエリサベツさんのお腹にいた時だけといったようにも感じられるにしても、神さまのおっしゃられたことをすべて守り、最後は殉教したヨハネさんは、今ごろ他の預言者たちと同じく、天国で非常に高い位に着いておられるのだろうなと思います。
およそ信仰者といったものは、このヨハネを模範として歩むべきである……という部分があると思うのですけど(汗)、そこまで厳しい覚悟も出来ず、今日も明日もオタオタ☆と、日常の目先的な事柄に右往左往している自分がいるという次第です(^^;)
では、次回は<悪魔の誘惑>ということをテーマにしてみたいと思いますm(_ _)m
それではまた~!!
神の子イエス・キリストの福音のはじめ。
預言者イザヤの書にこう書いてある。
「見よ。わたしは使いをあなたの前に遣わし、あなたの道を整えさせよう。
荒野で叫ぶ者の声がする。
『主の道を用意し、主の通られる道をまっすぐにせよ』
そのとおりに、
バプテスマのヨハネが荒野に現われて、罪が赦されるための悔い改めのバプテスマを説いた。
そこでユダヤ全国の人々とエルサレムの全住民が彼のところへ行き、自分の罪を告白して、ヨルダン川で彼からバプテスマを受けていた。
ヨハネは、らくだの毛で織った物を着て、腰に皮の帯を締め、いなごと野蜜を食べていた。
彼は宣べ伝えて言った。「私よりもさらに力のある方が、あとからおいでになります。私には、かがんでその方のくつのひもを解く値うちもありません。
私はあなたがたに水でバプテスマを授けましたが、その方は、あなたがたに聖霊のバプテスマをお授けになります」
そのころ、イエスはガリラヤのナザレから来られ、ヨルダン川で、ヨハネからバプテスマをお受けになった。
そして、水の中から上がられると、すぐそのとき、天が裂けて御霊が鳩のように自分の上に下られるのを、ご覧になった。
そして天から声がした。
「あなたは、わたしの愛する子、わたしはあなたを喜ぶ」
(マルコの福音書、第1章1~11節)
――わたしがクリスチャンなる前、イエスさまというのは、絵画の中でよく描かれている長髪ヒゲ面のあの方……というイメージでした(^^;)
そして上のレオナルド・ダ・ヴィンチとダ・ヴィンチのお師匠さんであるヴェロッキオの描いた絵を見ては、60~70年代くらいに実在してそう……(ヒッピーとして☆)とか、不敬なことを思っていたというか(殴)
他に、洗礼者ヨハネさんの絵として有名なのが、
【洗礼者ヨハネ】
なんといってもダ・ヴィンチのこの絵だと思うのですが、上のちょっと枯れかかった感じのするヨハネとはまるで別人みたいに見えますよね。こちらの洗礼者ヨハネはダ・ヴィンチの弟子のサライがモデルらしいのですが、一説によるとダ・ヴィンチと同性愛的関係にあったのではないかと言われているそうです(^^;)
なんにしても、聖書を読んだ厳密なイメージとして近いのはたぶん、ヴェロッキオさんの描かれたほうの洗礼者ヨハネではないか……という気がしたり。
何分聖書のほうには、「らくだの毛で織った物を着て、腰に皮の帯を締め、いなごと野蜜を食べていた」とあるので(そしてここを読むたびに何故か、らくだシャツを着てるヨハネが思い浮かんでしょうがないわたし☆)←やめろ
イエスさまの生涯も大変なものでしたけれど、「荒野で叫ぶ者の声」の<声>として先触れの役割を果たしたヨハネもすべての預言者の行く道を歩まれた方……という気がして、その人生を思うと非常に胸が痛みます
さて、今回メッセージとして取り上げたいのは、『主の道を用意し、主の通られる道をまっすぐにせよ』という旧約聖書はイザヤ書の第40章3節にある御言葉です。
わたし、この御言葉は聖書で当然何度も読んでいましたし、礼拝のメッセージでもよく聞いてわかっているつもりでいました。
でもほんと、実際は「全然わかってなかったんだな~☆」と最近つくづく思わされたり(^^;)
というのも、自分的に「この世的な生き方」と「信仰者としての生き方」が50:50くらいなのが理想……と心のどこかで思っていたところがあったらしく、それではまったく<神さまに仕える道>というのは整わないのだなと思ったというか。
もちろんわたしはただの一信者であって、将来的に牧師になろうとか思ってるわけではないのですが(汗)、それでも出来るだけ「この世的な生き方」の部分はそぎ落として、「信仰者としての正しく清い生き方」のほうの割合を増やしていきたいという野心(?)があり……でも、そんな中途半端な覚悟では、実際にはまるで神さまのお役に立てずに終わるのだ……と思ったんですよねorz
この続きはまた次回、<悪魔の誘惑>というタイトルにて書きたいと思うんですけど、洗礼者ヨハネさんは痛ましい生涯を送った方である……といったように人間的な考えとしては思います。聖書を読むとなんだか、一番幸せだったのはお母さんのエリサベツさんのお腹にいた時だけといったようにも感じられるにしても、神さまのおっしゃられたことをすべて守り、最後は殉教したヨハネさんは、今ごろ他の預言者たちと同じく、天国で非常に高い位に着いておられるのだろうなと思います。
およそ信仰者といったものは、このヨハネを模範として歩むべきである……という部分があると思うのですけど(汗)、そこまで厳しい覚悟も出来ず、今日も明日もオタオタ☆と、日常の目先的な事柄に右往左往している自分がいるという次第です(^^;)
では、次回は<悪魔の誘惑>ということをテーマにしてみたいと思いますm(_ _)m
それではまた~!!
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