神の手は力ある働きをする。

 主の右の手は高く上げられ、
 主の右の手は力ある働きをする。

(詩篇118編16節より)

決して死なない虫。

2017年06月16日 | キリスト教
【悦楽の園】ヒエロニムス・ボス


 もし、今回のタイトルの「決して死なない虫」の由来をお知りになりたい方がいらっしゃいましたら、ご面倒とは思いますが、次の記事まで飛んで探してくださいm(_ _)m→「エミリー・ディキンスンの手紙」

 いえ、つい先日……バスルームの手前の洗濯機を置いているところに見慣れない虫が二匹ほど出てきまして、超ビビったのですww

 いくら北海道は梅雨ないとか言われてるとはいえ、雨が降ったりするとムシムシしますし、それでのっそり出てきたのか――という可能性もあるのですが、今のところに来てから二~三度見かけたことあるのが蜘蛛と小蝿程度だったので、これには本当にかなりのところビビリました。。。orz

 まあ、最初に思ったのが「ヒエエエエェッ!!ヽ(ι´Д`)ノ」ということであり、漫画風にいったらおそまつ君のイヤミがシェーッ!!ってやる、ああいう精神状態です(笑)

 それでも咄嗟の判断として、スリッパの後ろですぐに一匹目をぺしゃんこ☆にして、二匹目も速攻ぺシャンコ☆にしました。

 小さい虫ではあるんですけど、ゾウリ虫を十分の一にスライスして、十倍足を速くしたみたいな感じで、見た瞬間、かなりのところ「うぞぞぞ~っ!!」とした感じでした(^^;)

 んで、このことがなんでキリスト教の記事になるのかというか、出来るのかというと、クリスチャンとして毎日聖書を読んだり祈ったりするという生活を送っていても、こういう不測の事態(大袈裟だな・笑)が起きると「ヒエエエエッ!!ヽ(ι´Д`)ノ」とかシェーッ!!みたいになってうろたえるって、すごくいっぱいあると思うのです。

 でも、前々回書いたとおり、そういう時って「この問題の主権は主にある」っていうことを忘れてる場合が多いんですよね(^^;)

 で、よくよく考えてみると、神さまに頼ればその問題自体がスリッパの後ろでぺしゃんこ☆に出来るくらいのものでも、神さまに頼ることを忘れてしまうと、そんな小さい虫(小さい問題)からでも走って逃げる、その問題に負ける余地を自分のほうから与えてしまう……ということがあります。

 まあ、その虫、たぶんその日他人様の庭先におったりしたもので、たぶん服のどっかについてきたんじゃなかろーかと思ったりしてるんですが、「思い煩うな。あなたが今抱えている問題はこのようになる」→スリッパの裏でぺしゃんこ☆と語られた気がしたっていうのと、もうひとつは地獄には「決して死なない虫」がいるらしいという話を思いだし、うぞぞぞ~っ!!としたというか(^^;)

 

【地獄の王子】



【樹幹人間と耳の戦車】


 いえ、この人間自体がもうなんだか虫のようではありませんか。。。

 しかもキリスト教では、死後も意識は永続するとありますから、ここに描かれている人々は「永遠に死なない」というのがその前提なのですorz

 わたし、普段は天国のことは時々よく考えるのですが、地獄っていうことについては、エミリー・ディキンスン同様、(不信仰からではなく)信じかねるところがあるというか、欧米の少し古い時代の本などに出てくる「地獄への恐怖」から信仰熱心になるといったことが、よく理解できないところがあって(^^;)

 でも、やっぱり向こうの方は(特に19世紀くらいだと)、親御さんが「そんな悪い子は地獄へ行くよ」とか「そんな悪い子は悪魔にさらわれてしまうよ」といったように言い聞かされて育ったりするので、大きくなってからもそうした思想に脅える……ということがあるんだなあって思ったり

 もちろん、キリスト教徒としては、死後の地獄は現実であるということから、余計に布教に熱心にならなくてはいけないのですが、あの二匹の虫が殺しても殺しても死ななかったら……そんな虫が地獄には数えきれないくらいたくさんいるんだなと思うと、もっと福音宣教に熱心にならなくちゃと思ったような次第です。。。

 それではまた~!!





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