神の手は力ある働きをする。

 主の右の手は高く上げられ、
 主の右の手は力ある働きをする。

(詩篇118編16節より)

マーリン・キャロザースさんの感謝と賛美の教え-【6】-

2017年01月05日 | キリスト教
【雪の降る夜】(いらすとやさんの素材集よりm(_ _)m)


 【5】のところの最後のほうで、次回は「獄中からの讃美」からの文章を抜粋して写させていただきたいと思います……みたいに書いたんですけど、なんていうか、そちらのほうはもしご興味のある方がいらっしゃったら、是非本を手に取ってみてください……ということで、今回はまた少し視点を変えてみようと思いましたm(_ _)m

 というのも、うちのストーブがちょっと調子悪くて、ある程度燃えてから点かなくなったり、その後点いたり消えたりを繰り返し……みたいになってて、もう十年くらい使ってるからそろそろ寿命かな……と思い、一応きのう注文はしたのです。

 それでもわたし、ストーブが壊れたということに関連して、いつでも真っ先に思いだすエピソードがあるんですよね。

 それがマーリン・キャロザースさん著の「讃美の力」の、第六章 不平よ、さらばに書いてあることだったりします♪(^^)


 >>また別のある人が、何でも神に感謝するという私の話を聞いて、よし、今から何が起ってもすべて神さまに感謝しますと、神に約束しました。

 集会が終って、彼と家族は零下の気温で吹雪の中を車で家に向かいました。帰り着いたときはもう夜も遅くなっていました。玄関に入った瞬間、何かおかしいのに気づきました。家の中が氷のように寒く、暖房が消えていたのです。

 家族が二階で身を寄せあっている間、彼は地下室へ降りて行きました。そのストーブについて何の知識もなく、どこが悪いのか見当もつきませんでした。

 彼は冷たくなってしまったストーブを眺めて立っていましたが、まず最初の思いは、それが再び動きだすよう祈ろうということでした。暖房がなければ、夜を過ごすために家族をどこか暖かい所へ避難させねばならないことになるのです。

 すると、「お前は感謝しているか」という思いが浮かんできました。

 実際彼は、冷えきった家とこごえそうになっている家族のことで気が転倒して、感謝するのを忘れていた自分を認めねばなりませんでした。

「すみません、主よ。忘れておりました。この事はあなたが私たちの益のためにご計画くださった事に違いないと思います。神さま、この状態のままの、動かないストーブをあなたに感謝します」と彼は祈りました。

 その瞬間、非常にはっきりした指示が心にひびいたのです。「ファンを調べなさい」

「ファンですって?どこにあるのか分からないんですが……」

「右側のプレートの後を見なさい」と心にひびきました。

 彼はドライバーをもってきて、そのプレートをはずし始めました。が、突然彼はばかばかしく思いました。自分はただ空想でこんな事をしているのじゃないだろうか。本当にファンがこのプレートの後にあるのだろうか。しかし、もし神が実際、こんなに具体的な助けを与えてくださるのなら今やめるわけにはゆかない、と彼は思いました。

 指は寒さでこごえていましたが、何とかプレートははずれました。ちゃんとそこにファンがあったのです。

「さて今度は何をするのかな?」と彼は考えました。

「ファン・ベルトをさがしなさい。はずれている」

 炉の内部は暗くて見えませんでしたので、彼は懐中電燈をもってきて、ストーブの小さく空いた所に光をあてました。たしかにファン・ベルトがはずれていました。それをファンの回転軸にかけ、狭い口から腕を無事抜き出しました。ストーブは依然冷たくじっとしています。

「今度は何を」と彼は祈りました。

「ストーブのスイッチを入れなさい」という思いがひらめきました。

 彼がスイッチを入れると、すぐにストーブは楽しげに炎を出して動き出したのです。彼は二階へかけ上がり、冷たい故障したストーブのことで、神がどんなに家族を祝福されたかを話して聞かせました。

 もしも彼が、この危機に直面して、神を讃美し、神が万事を益としてくださると期待しなかったならば、彼と彼の家族は不便と困難を耐え忍ばねばならなかったでしょう。暖房の故障は、讃美によって、神の力と導きが自由に解放されるということを実際に学ぶための彼に与えられた機会でした。

 この暖房事件以後、彼の生活は変わりました。あらゆる状況の中で、彼は神のみ声を求めて耳を澄ますようになりました。そして今日では、聖霊の促しに対して特別な感受性を与えられてきています。また、神の導きに耳が開かれるようになったことで、自分ばかりでなく他の人にも神の力が注がれるための管となっているのです。

(「讃美の力」マーリン・キャロザースさん著/浜崎英一さん訳)


 この方の証しに比べると、わたしの証しはそう大したことない(?)かもしれないのですが、やっぱりわたしも今使ってるストーブが調子の悪かったことが何度かありました。

 このストーブはわたしが買ったものではなく、母が送ってくれたものだったのですが(もちろん新品です)、点けたその年に壊れてしまいました。そこで、まだ全然保証が利くと思って、コ○ナさんの修理部門のところに電話しました。

 で、この時はもちろん無料で直してもらったのですが――まあ、とにかくわたしがしたのはストーブが壊れた時にそのことを神さまに感謝したということです(^^;)

 そしてその翌年、またストーブが点かなくなってしまい……また同じところに電話して修理してもらいました。今は三年保証くらいついてるのが普通だと思うんですけど、そのストーブには確か一年保証しかついてなかった気がするんですよね

 なので、修理してあんまりお金がかかるみたいだったら(新しいストーブを買うくらいのお金がかかるのであれば)、新品の別のを買おうと思うんですよね……みたいに修理の人に伝えました。もちろん向こうはプロの方ですから、修理データといったものがちゃんと残ってるんですよね。去年の大体同じ時期にストーブが壊れてるとか、どこをどう直したかとか、そういうのが全部。

 そして結局この方にも何故ストーブがつかないのかが謎だったらしく……「これ、基盤を全部取り替えるしかないですね」という話になり、全部無料で直していただきました。

 もうその後はストーブのほうは新品同様というくらいな感じでよく燃えてくれて――そして今に至る……というわけでした。

 そして今も、完全に壊れたということもなく、点いたり点かなかったりと不安定なので、そろそろ十年にもなるし、寿命かな……と思い、それで新しく買うことにした、というか(^^;)

 でもとにかく、二度目にストーブが点かなくなった時も、ストーブが点いたり点かなかったりする今も、神さまを讃美し感謝しています。母がいいストーブを送ってくれたこともそうですし、ストーブ自体にもとにかく感謝していますし(というか、今まで本当によく働いてくれて、いい仕事をしてくれました)、このように日々良くしてくださる神さまにも感謝しています。

 一度、マーリン・キャロザースさんの「感謝と讃美の教え」のことを知ってしまうと、普段そのようにするというのがあまりにも当たり前になってしまい……つい、自分の持ってる証しなんて、そう大したことないしな……と思ってしまいがちなのですが(汗)、ストーブが壊れたことをきっかけに、マーリンさんの「讃美の力」のエピソードのことを思いだして、書いてみることにしました♪(^^)

 それではまた~!!


 P.S.うちの家族もわたしも、ストーブに関してはとにかくコ○ナ信者なんですよね(笑)なので、このお話は「コ○ナストーブは壊れやすい」とか「故障しやすい」とかいう話ではまったくなく……わたしが新しく買ったのも比較的新しいタイプのコ○ナストーブですし、たぶんわたしもこれから先一生、コ○ナストーブ以外のストーブはほとんど絶対買わないと思います(笑)





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