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【二つの仮面】ジョルジョ・デ・キリコ
ふたつくらい前の記事で「癒しと悪霊の追い出しは表裏関係☆」と書いたのですが、よく考えるとこれは聖書を読むとあまりに当たり前のことなんだなあ……みたいに思いました(^^;)
わたし自身、「癒し」は「癒し」だけで考えて、これまでも色々他の方のためや自分のために祈ってきましたし、それが普通というか、教えとして「健全☆
」といったように思ってきました。
ただ、病いのうちのあるもの(病気全体の一部)は、悪魔(サタン)・悪霊が関係しているものもあるので、そうした場合には悪霊の追い出しをする……と聞いても、そうしたことは牧師さんなど、そうした事柄に精通している役職の方が行えばいいというか、そうしてくださることについて主を誉め称えればよい……といったように思ってきたんですよね。
毎日聖書を読み、祈りもし、礼拝を守り献金をし……といったことを通りいっぺん守るとか、日曜日に礼拝を守るだけのサンデークリスチャンです……といった以上に、常に聖書的であろうという強い意志があり、その上で熱心に祈り、マーリン・キャロザースさんの感謝と賛美の教えを実践し……みたいにされてる方で、おそらくなんの賜物もない方、何ひとつ業の起きない方、悪魔(サタン)・悪霊から攻撃を受けたことのない方というのは、まずもっていないんじゃないでしょうか(^^;)
ちょっと悪魔(サタン)・悪霊のことを書いた記事が続いたもので、「あー、このブログ主、なんか異端っぽいな☆
」って思われそうと思ったので、今回はまあ、わたしが何故そんなに悪魔(サタン)・悪霊ということに拘るのか、ということを書いてみたいと思いました
何故といえば、わたし自身こうした事柄に悩まされてますし、他にもこうした悪魔(サタン)・悪霊といった存在に強く縛られ苦しんでいる人というのが多いと思うからなんですよね。
この分野の器の方で、信仰者として強い力を持つ方はこうした存在が見えたりもされるそうですが、わたし自身は悪魔(サタン)・悪霊といったものを見たことは一度もないです(笑)
それで、この件についてわかりやすいようにたとえ話で表現しようと思うのですが、悪魔(サタン)・悪霊といった存在が人間の罪悪感に強く働きかける存在だ、というのは、クリスチャンの方でなくても「それはわかる気がする☆
」という方は多いと思います。
たとえば、わたしが交通事故などで誰かを怪我させたとしますよね。もしこの方がまったくの赤の他人だった場合、入院されるような怪我でも、とにかくひたすら謝りに謝り、涙を流して謝罪し……そしてその方が赦してくださり、その後怪我も治って後遺症もなく退院された……とかなら、最終的に罪悪感も薄まって、自分が事故を起こしてしまったことも忘れることが出来るかもしれません。
けれども、これが自分の車の同乗者で、足を引きずるといった後遺症が残った場合――仮に相手が赦してくれても「俺は自分で自分が赦せない」とか「わたしは自分が赦せない」といった気持ちになるのではないでしょうか。さらには、この事故を契機としてこの友人との友情にも亀裂が入り……最後には「俺の足を返してくれ!」と言われて別れたとしたらどうでしょうか。
その、こういう時に強い罪悪感で縛られるというのは、人間の心理として当然のことですよね。こうしたことが原因で実際に心を病んでしまう方もおられると思うんですけど……ただ、これはあくまでもたとえ話であるということを念頭に置いて欲しいのですが、こういう種類の罪悪感を悪魔(サタン)・悪霊といった存在にギュッ☆と捕まれることがある、ということなんですよね。
となると、どうなるでしょうか。「自分のこの罪は永遠に消えない」、「イエスさまが十字架の血潮の力で赦してくれても、でも……」という、こうした罪悪感を悪魔(サタン)・悪霊にギュッ☆と捕まれると、毎週礼拝を忠実に守り、毎日聖書を読んだり祈ったりしても……何かこうイエス・キリストを信じて救われたはずなのに、救われてない頃と何がどう違うのだろう……といった信仰生活になる可能性があると思います。
また、悪魔(サタン)・悪霊といった存在にそうした部分というか、弱味をギュッ☆と捕まれると、向こうはその部分を通じてわたしやあなたを永遠にでも苦しめることが出来る場合があります。簡単にいえば、人生で何か楽しいことや面白いことがあっても、そのたびに悪魔(サタン)・悪霊といった存在に罪悪感の部分をギュッ☆と締めつけられ、孫悟空の頭の輪っかみたいにギリギリ☆されたりするっていうことです。
そして、これが実際に体の症状として出る方がいます。偏頭痛や腰痛、肩の痛みや下痢、鬱病等々……色々あると思いますが、悪魔(サタン)・悪霊の追い出しをすることで、こうした事柄から解放される方が間違いなくいるということなんですよね。
これは悪魔(サタン)・悪霊が人間を苦しめるほんの一パターンといったところと思いますけれども、実際にこうした事柄で苦しんだり、イエスさまのことを信じた時に解放された……といった経験のある方でないと、「何言ってんだ、コイツ☆
」と思われるかもしれません。でも、こうした縛りの元に置かれているという心当たりのある方には(クリスチャン・ノンクリスチャンの方双方において)大切なことと思ったので、一応書いておく、ということにしてみましたm(_ _)m
それではまた~!!
ふたつくらい前の記事で「癒しと悪霊の追い出しは表裏関係☆」と書いたのですが、よく考えるとこれは聖書を読むとあまりに当たり前のことなんだなあ……みたいに思いました(^^;)
わたし自身、「癒し」は「癒し」だけで考えて、これまでも色々他の方のためや自分のために祈ってきましたし、それが普通というか、教えとして「健全☆
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ただ、病いのうちのあるもの(病気全体の一部)は、悪魔(サタン)・悪霊が関係しているものもあるので、そうした場合には悪霊の追い出しをする……と聞いても、そうしたことは牧師さんなど、そうした事柄に精通している役職の方が行えばいいというか、そうしてくださることについて主を誉め称えればよい……といったように思ってきたんですよね。
毎日聖書を読み、祈りもし、礼拝を守り献金をし……といったことを通りいっぺん守るとか、日曜日に礼拝を守るだけのサンデークリスチャンです……といった以上に、常に聖書的であろうという強い意志があり、その上で熱心に祈り、マーリン・キャロザースさんの感謝と賛美の教えを実践し……みたいにされてる方で、おそらくなんの賜物もない方、何ひとつ業の起きない方、悪魔(サタン)・悪霊から攻撃を受けたことのない方というのは、まずもっていないんじゃないでしょうか(^^;)
ちょっと悪魔(サタン)・悪霊のことを書いた記事が続いたもので、「あー、このブログ主、なんか異端っぽいな☆
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何故といえば、わたし自身こうした事柄に悩まされてますし、他にもこうした悪魔(サタン)・悪霊といった存在に強く縛られ苦しんでいる人というのが多いと思うからなんですよね。
この分野の器の方で、信仰者として強い力を持つ方はこうした存在が見えたりもされるそうですが、わたし自身は悪魔(サタン)・悪霊といったものを見たことは一度もないです(笑)
それで、この件についてわかりやすいようにたとえ話で表現しようと思うのですが、悪魔(サタン)・悪霊といった存在が人間の罪悪感に強く働きかける存在だ、というのは、クリスチャンの方でなくても「それはわかる気がする☆
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たとえば、わたしが交通事故などで誰かを怪我させたとしますよね。もしこの方がまったくの赤の他人だった場合、入院されるような怪我でも、とにかくひたすら謝りに謝り、涙を流して謝罪し……そしてその方が赦してくださり、その後怪我も治って後遺症もなく退院された……とかなら、最終的に罪悪感も薄まって、自分が事故を起こしてしまったことも忘れることが出来るかもしれません。
けれども、これが自分の車の同乗者で、足を引きずるといった後遺症が残った場合――仮に相手が赦してくれても「俺は自分で自分が赦せない」とか「わたしは自分が赦せない」といった気持ちになるのではないでしょうか。さらには、この事故を契機としてこの友人との友情にも亀裂が入り……最後には「俺の足を返してくれ!」と言われて別れたとしたらどうでしょうか。
その、こういう時に強い罪悪感で縛られるというのは、人間の心理として当然のことですよね。こうしたことが原因で実際に心を病んでしまう方もおられると思うんですけど……ただ、これはあくまでもたとえ話であるということを念頭に置いて欲しいのですが、こういう種類の罪悪感を悪魔(サタン)・悪霊といった存在にギュッ☆と捕まれることがある、ということなんですよね。
となると、どうなるでしょうか。「自分のこの罪は永遠に消えない」、「イエスさまが十字架の血潮の力で赦してくれても、でも……」という、こうした罪悪感を悪魔(サタン)・悪霊にギュッ☆と捕まれると、毎週礼拝を忠実に守り、毎日聖書を読んだり祈ったりしても……何かこうイエス・キリストを信じて救われたはずなのに、救われてない頃と何がどう違うのだろう……といった信仰生活になる可能性があると思います。
また、悪魔(サタン)・悪霊といった存在にそうした部分というか、弱味をギュッ☆と捕まれると、向こうはその部分を通じてわたしやあなたを永遠にでも苦しめることが出来る場合があります。簡単にいえば、人生で何か楽しいことや面白いことがあっても、そのたびに悪魔(サタン)・悪霊といった存在に罪悪感の部分をギュッ☆と締めつけられ、孫悟空の頭の輪っかみたいにギリギリ☆されたりするっていうことです。
そして、これが実際に体の症状として出る方がいます。偏頭痛や腰痛、肩の痛みや下痢、鬱病等々……色々あると思いますが、悪魔(サタン)・悪霊の追い出しをすることで、こうした事柄から解放される方が間違いなくいるということなんですよね。
これは悪魔(サタン)・悪霊が人間を苦しめるほんの一パターンといったところと思いますけれども、実際にこうした事柄で苦しんだり、イエスさまのことを信じた時に解放された……といった経験のある方でないと、「何言ってんだ、コイツ☆
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それではまた~!!
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