神の手は力ある働きをする。

 主の右の手は高く上げられ、
 主の右の手は力ある働きをする。

(詩篇118編16節より)

日本のリバイバル。

2017年10月25日 | キリスト教
【聖アントニウスの誘惑】ミケランジェロ・ブオナローティ


 他の「リバイバル」に関することの記事でも同じこと書いてるとは思うんですけど、やっぱり日本は「リバイバル」ということに関して特殊な国、特別な国なんだろうなって思います。

 これはわたしが勝手にそう思ってるっていうことなんですけど、どこか外国のほうから宣教師の方が来て、日本っていう国や日本人の気質といったものを知るにつけ、「もしこれらの人々がクリスチャンになったとしたら、これほどキリストに忠実な民が他にいるであろうか」というくらい信仰熱心になるのではないだろうか……という「感じ」を受けるんじゃないかなって思います(^^;)

 でも実際は、どんな宣教師の方が何人束になって(?)やって来ても、日本には起きないんですよね、リバイバルといったものが。。。

 もちろんこれは、神さまの特別な計画があるからだとわたしも思うのですけれども、悪魔(サタン)・悪霊といった事柄にきちんと対応する、意識を変えるといったように心の中を整えてから――ひとつ思わされることがありました。

 わたし、日本は偶像大国だっていうことは確かにずっと思ってきましたし、でも神さまの「時」がやって来てリバイバルが起きたとしたら、神さまご自身がそうした重い石のようなものを取りのけてくださるのだろうから、祈りに専心して待つ……といったように漠然と思ってきた気がします。

 もちろん、教会の礼拝の中でもそのための「備え」ということは何度も語られていましたし、「そうだよなー。でもわたしの場合、聞き従いの部分が弱いから、ほんともっとしっかりしないと……」と思いながらもやはりなかなか聞き従えない……というあたりで止まっているという、まあなんとも未熟な信仰なんですよね

 でも、賜物を用いる……という領域において、「悪霊の追い出し」といったことはあんまり意識したことがなかったのです、これまで。というか、そういうことに関しては他のもっと力のある方に任せておいて……といったように思ってきたため、無責任な話、「悪霊の追い出しとか、わたしは一信徒としてあんまり関係ないや☆それに、そんなこと言って変な人だとか思われたくないし、だから他の人、がんばって」みたいな感じだったような気がします。

 でもこの領域に関して学びはじめてみると、本当に日本のリバイバルと「悪魔(サタン)・悪霊の追い出し」といったことに関する対応というのは、物凄く密接な関係があるんだな……と思いました。

 もちろん、主の十字架の方には「これだけ偶像に囲まれていながら、今ごろ気づいたんかーいっ!!」て叱られちゃいそうですけれども(笑)、つまり、簡単に言えばこういうことなんだと思います。

 これはキリスト教的見地から見た場合にそうだ……という物の見方だと思っていただきたいんですけど(汗)、イエス・キリスト以外の何かを<神>としている方というのは、サタンの領土に住んでいる……と、クリスチャンの側から見た場合には、そのように見なされます。

 これは霊的領土という意味で、たとえば、日本にどなたか外国から宣教師の方が来た場合、この宣教師の方が目的としているのは、このサタンの領土からイエス・キリストを神とする天の領土へとその人の魂を移して住まわせる、ということです。

 けれども、わたしも以前はそうでしたからよくわかるのですが、一応「理屈としてそう聞かされても」、実際に引越すために何か行動を起こすって実に面倒くさいですよ、という話(笑)「いやいや、オラたちにはオラたちの神さまがあるからよ、ま、あんたもいい人とは思うけど、けえってくれや☆」というか。

 にも関わらずさらにしつこく宣教したりすると、「うっせえぞ、ゴルァ!とっととてめえはてめえの国さけえれ!!」みたいになるっていうことですよね(^^;)

 では、その前に悪魔(サタン)・悪霊に対する対応をすればこのような方も信じるだろう……とか、わたしが言いたいのはそういうことではなく(もちろんそうした場合もあると思うんですけど)、わたしたちが仮に福音を宣べ伝えて、誰かサタンの領土からイエス・キリストの天国への移住を完成した場合――やっぱり信仰の揺り戻しみたいなことがあるんですよね。

 何故といって、悪魔(サタン)・悪霊の側からしてみれば、自分の領土にずっと住んでいて色々な供え物を供えていた人がひとり減る……いえ、ひとり・ふたりといった単位なら、個人の信仰レベルの攻撃といった形になるかもしれませんが、リバイバルが起きて一気に十人・二十人、百人単位、千人単位で人が救われるとなると――サタンさん(笑)たちの怒り具合のほうは当然半端ないものになりますから、向こうの再び「自分たちの領土に戻したい。いや、戻せ!!」といった攻撃と、教会は戦わなくてはいけなくなると思います。

 ですので、日本の教会ではこの「悪魔(サタン)・悪霊の追い出し」に対する対応って無視していたり、神さまの時が来てリバイバルさえ起きたら、自然とたくさん人が救われてくる……とだけ思っていて、その後、悪魔(サタン)・悪霊の攻撃が激しくなるといったことまで想定して対応しよう、そこまでのことを考えてリバイバルに対して祈っている……というクリスチャンの方はおそらく割合的に少ないだろうと思っています。

 つまり、日本においてそのくらい個々の教会がリバイバルに対して祈り、また「備え」がもっと進んでからでないと――神さまがリバイバルを起こしてくださっても、ただ混乱するだけ……といった側面があるのではないか、と思われます。

 これはあくまでわたしの一信徒としての「感覚」のお話なんですけれども、この「悪魔(サタン)・悪霊問題」に対する対応ってしっかりしてないと、せっかく信じた方が「こんなことならキリスト教なんか信じなきゃ良かった☆」というくらい、悪魔(サタン)・悪霊といった存在の攻撃が激しくなると本当にズタボロ☆にされてしまいますから……この領域に関してまったく何も考えず、無防備なままでいるというのは極めて危険だと思います。

 では、本当はもう少し色々書くことあるんですけど(汗)、こうしたことばっかり書いてると異端の狂人扱いされそうなので(笑)、そろそろ「悪霊追い出しと癒しは表裏一体」の「癒し」のほうに話を移したいと思いますm(_ _)m

 それではまた~!!

 
 >>終わりに言います。主にあって、その大能の力によって強められなさい。

 悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。

 私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。

 ですから、邪悪な日に際して対抗できるように、また、いっさいを成し遂げて、堅く立つことができるように、神のすべての武具をとりなさい。

 では、しっかりと立ちなさい。

 腰には真理の帯を締め、胸には正義の胸当てを着け、足には平和の福音の備えをはきなさい。

 これらすべてのものの上に、信仰の大盾を取りなさい。

 それによって、悪い者が放つ火矢を、みな消すことができます。

 救いのかぶとをかぶり、また御霊の与える剣である、神のことばを受け取りなさい。

 すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。

 そのためには絶えず目をさましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい。

(エぺソ人への手紙、第6章10~18節)





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