神の手は力ある働きをする。

 主の右の手は高く上げられ、
 主の右の手は力ある働きをする。

(詩篇118編16節より)

マーリン・キャロザースさんの感謝と賛美の教え-【8】-

2017年01月16日 | キリスト教
(いらすとやさんの素材集よりm(_ _)m)


 それでは、今回も引き続き、マーリン・キャロザース先生の著書「讃美の力」から学んでいきたいと思いますm(_ _)m


 >>ある夫妻が「獄中からの讃美」を読んで、すべての事に感謝することは神のみこころであるという確信を与えられました。ある日の夜、午前二時半頃、ガラスの割れる音で彼らは目がさめました。外を見ると、車の窓ガラスが全部たたき割られ、犯人の若者たちが角を曲がって逃げて行くのが見えました。

 この夫妻は、神を賛美する機会を神が与えてくださったのだと考え、共にベッドにひざまずき、この事を神に感謝しました。

 その翌朝、夫が車を修理のためガレージへ運んで、事の次第を話しました。

「主に感謝します。この事の背後に神はきっと驚くべき目的を持っておられるのですよ」と彼は言いました。

 ガレージの主人は首を振って言いました。

「私がそんな目にあったとしたら、そいつらに弁償させないでおくもんですか」

「その必要はないんです。神がこの事に関係しておられます。私が腹を立てる必要はないわけです」と彼は笑って説明しました。

 ガレージの主人はしばらく彼をじっと見つめて言いました。

「私はクリスチャンになってもう何年にもなるんですが、乱暴されたことを神に感謝するなんて、まだ聞いたことがありませんよ」

 ふたりは話を続けました。彼はガレージの主人に聖霊のバプテスマのことや、また讃美によって神の力が解放されることについて話しました。

「待ってください。聖霊のバプテスマのことは、私はもうあきあきするほど聞いていますよ。いつも見えるお客さんの中にその事ばかり話す方がいるんです。しかし神を讃美することについてもっと話してください。それには興味があります」とガレージの主人は言いました。

 聖霊のバプテスマも、神をたたえる讃美も両方とも、全く神を信頼して自らをゆだねることからくるので、この二つはひとつに結びついていると思う、と彼は説明しました。ついにこの主人は、聖霊に満たされたビジネスマンの集会の招きを受け入れました。その集会で、彼は聖霊のバプテスマを経験したのです。

 次にこの主人は、すべての事に感謝しようと決意しました。第一番目は仕事のことでした。この二年間、商売は悪くなる一方で、倒産の心配さえあったのです。その翌日の午後、従業員のひとりが悪い知らせをもってきました。事故に遭ってトラックを壊したというのです。これは倒産という羽目になる最後の一撃になりかねませんでした。

 その主人は若い従業員を見ました。彼は、いかにも主人の怒りの爆発を予期している様子で青い顔をし、震えながら立っていました。ところが主人は怒るどころか、笑って腕をその青年の肩にかけて言いました。

「この事故を神さまに感謝しよう。そして神さまがこのことを益としてくださることを信じよう」

 型通り、保険金の請求が出されました。主人の驚いたことには、その保険金で緊急の支払いをすることができたのです。この事故が彼の事業の転機点となって、以後彼の収益は著しく増え始めました。事業ばかりか、その事故は主人の人生そのものにおいて、もっと大切な転機点となっていたのです。彼は今や生活のあらゆる領域で、ますます大きくなる喜びと平安を経験するようになったのです。さらに今度はその彼の一目でわかる喜びに触れた多くのお客たちが次々とイエス・キリストを救い主として知るようになったのです。

 キリストの喜びが私たちのうちに解き放たれてくるとき、他の人たちが主に引き寄せられてくるのです。

(「讃美の力」マーリン・キャロザースさん著/浜崎英一さん訳)





 車のことに関してはわたしも、主にとてもよくしていただいことがあります。

 クリスチャンの方で、この種の証しをお持ちの方は多いと思うのですが、以前、二度ほど少し大きな事故を起こしてしまいまして、一度目は車がスリップして二台の相手車両を巻き込む事故、二度目は停まってるトラックの後部に自分からぶつかっていくという、仕事疲れによって起こしてしまった事故でした(^^;)

 でもわたし、この二度の事故で、二度とも自分では一円もお金を払わなくて済んだというか

 正直わたし、自分がどういう種類の車の保険に入ってるのか、自分でもよく理解してなかったんですけど――一度目に起こした事故のほうは、冬に自分が運転してる車がスリップして、二台の車の側面に連続してぶつかるといったような事故でした。

 そのー、普通はこういう時、めっちゃ慌てるとか焦るものなのかもしれないんですけど、わたしすんごい落ち着いてたと思います。なんていうか、これから警察呼んで、保険屋さんにも連絡して……っていうことを考えるのと同時に、もちろんお金のこともちらっとは頭の中を走っていきました

 でもなんにしても、対人事故ではないですし、車のガラスが割れるっていうような大事故でもなく、怪我をした人が誰かいるわけでもない……ということをとにかく主に感謝しました

 もちろんすぐ他の二台の車に乗ってる方にあやまって、警察の方から事情を聞かれたあとは、「自分が悪いので、修理費用は全部支払います」的なことを話して、もう100%のニコニコ対応(笑)なので、他の車に乗ってる方のうちひとりは、わたしの覚えている限り、ちょっとびっくりした顔をされてたと思います。

 んで、車のほうの損傷は大したことなかったので、そのまま自分の車で家に帰ったんですけど――とにかくあとは神さまにお祈りして、平安のうちに寝ました(笑)

 そして、あとからわかったのは、その保険というのが、一番最初に起こした事故については全額保障してくださるといったタイプの保険だっていうことだったんですよね。ただし、事故を起こした年は等級のほうは上がらず、そのまま据え置きになるということだったんですけど(^^;)

 その後、保険会社さんのほうから、二台の車それぞれに修理費用としていくらかかったかっていうのを知らせるハガキが届きまして、それぞれ四十何万円とか書いてあるのを見て――とにかく、主を崇めました

 そしてさらにその翌年か二年後だったかに、またわたし事故を起こしてしまいまして

 その日は仕事の関係で、「こんなに疲れたことはここ数年ないな」というくらい体力と気力を酷使してまして……まあ、帰宅に時間がかかったこともあり、停まってるトラックに自分からぶつかってしまったのです

「あ~あ、やっちゃった」とは思ったんですけど、わたし、この時もすんごい冷静だったと思います(^^;)

 トラックの停まってる目の前に土木系の名前の会社の看板があったので、ここの会社のトラックだろうと思って、ぶつけてしまったことを話したのち、警察&保険屋さんを呼ぶという流れに。。。

 まあ、とにかく自分が悪いのであやまって(感じのいい方でした)、この時は自分の車の損傷のほうがひどかったので保険屋さんの車に乗って帰宅したというか。

 で、わたしこの時、「一番最初に起こした事故は全額保険でカバーされる、でも二度目以降はお金かかるよ☆」っていう話を覚えていたもので、「今回はお金かかるかもしれないなあ」とはぼんやり思ってました。

 でも、この時も結局、費用のほうは保険でカバーされて一円もかからなかったのです。何故かというと、事故を起こして一年以上経ってまた起こした事故なので、その際に一番最初に起こした事故については保険で全額カバーされるという、わたしが入ってた保険っていうのはそういう種類の保険だったんです(言ってる意味、わかってもらえるでしょうか^^;)

 でもわたし自身はそこらへんのことが具体的にわかってませんでしたし、何分どちらも自分が悪くて起こした事故なので、このくらい保険が利いて、このくらいは自分で払えみたいな通知書が来た場合は、払う以外にないなあ……とは漠然と思ってたと思います。

 でも、やっぱり神さまは凄いなって思います。結局のところ保険が利いてお金払わなくていいのだとしても、間違いなく絶対そうだとはっきり連絡をもらうまでは、「ああ、どうしようどうしよう」ってなって、毎日どよ~ん☆とした気持ちでいても不思議はないですよね(^^;)

 でもとにかく毎日、マーリンさんの感謝と讃美の教えに従って、いいことも悪いことも神さまに感謝&讃美!!っていう祈りの生活を送ってると――そうしたマイナスの感情からも聖霊さまが守ってくださいますし、「きっとなんとかなる」という希望が心に生まれて、そこだけを見て暗い気持ちを退けることが出来る……というのでしょうか。

 また、わたし車乗る時とかにもとにかく祈ってますし、そういう種類の守りがあったということも確かなことだと思います。

 わたしのこの証しもとても小さなもの(?)かもしれませんが、とにかくこの方向で死に至るまでイエスさまに信頼し、人生の道を歩んでいけることが最善であることを、わたし自身心から証しし続ける者でありたいと願っています♪(^^)

 それではまた~!!








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