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わたしがクリスチャンになる前、「神さまはこの人類を生みだした以上、この地上にいるすべての人を幸せにする責任がある」……とか思ってたことがあります(^^;)
つまり、今現在そうなっていない=神はいない。と思っていたというか。。。
でもその後、クリスチャンになってから、ある時ふと、こんなふうに思ったことがありました。
神さまがすべての人を幸せにするっていうのは、つまりこんなことなんじゃないかな……みたいに。
ある時、テレビでニュースを見ていたら、「暑い日が続きますねー。もう少し涼しくなってくれないと……」、「雨の日が続きますねー。そろそろ晴れてくれないと……」、「湿気の多い日が続きますねー。もうちょっと蒸し蒸ししなくなるといいんですけど……」みたいに、毎日天気予報前後にやってたことがあって
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ええと、でも近ごろの異常気象はほんとに異常なので、こう言いたくなるのは当たり前なんですけど……わたしがこのことを思ったのは、去年とか何年か前とかで、今年に入ってからのことではなくて(^^;)
なんていうか、わたしも暑い日に汗ダラダラ流して歩いたりしてると、「あー、暑い暑い。この暑さ、どうにかならへんのやろか
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でも、暑い中リモコンでエアコンの温度設定してた時に、ふと思ったことがあったんですよね。すべての人が幸せになるっていうのは、地球上のすべての人が、暑くもなく寒くもなく、かといって蒸しむししていることもなく、常に快適な状況をすべての人に実現すべく、神が努力すべきだって思うことなんだなって。。。
でも、流石にいくらなんでもそれは無理――というか、もちろん神さまに不可能はないというのは本当のことではあるにしても、文脈的にそうしたことではなくて、正直、わたし自分がクリスチャンになってからは考え方が変わって、むしろ逆に神さまには人間を幸せにしなくてはならない義務も義理もないということが実はわかった気がしてます(^^;)
にも関わらず、神さまは人間にこんなにもよくしてくださっている……というふうに、この部分の順番を間違えちゃいけないんだなっていうことに気づいたわけです。
もちろん、こうした考え方というのは気に入らない方のほうが多いかもしれません
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>>あなたの指のわざである天を見、
あなたが整えられた月や星を見ますのに、
人とは、何者なのでしょう。
あなたがこれに心を留められるとは。
人の子とは、何者なのでしょう。
あなたがこれを顧みられるとは。
あなたは、人を、神よりいくらか劣るものとし、
これに栄光と誉れの冠をかぶらせました。
あなたの御手の多くのわざを人に治めさせ、
万物を彼の足の下に置かれました。
すべて、羊も牛も、また、野の獣も、
空の鳥、海の魚、海路を通うものも。
(詩篇、第8編3~8節)
でも、神さまがこの宇宙を創造し、地球を創造し、そこに人間を置いたのであれば……人間が生きていける生存状況等を整えてくださったということに対し、まずは感謝すべき――というより、一度教会で聖霊さまを与えられると、そうした感謝の念が湧いてくるのがあまりに当たり前になってしまうというか(^^;)
昔、確か小学生の頃だったと思うんですけど、学校の教科書に「人間は万物の霊長などと呼ばれているが、実は動物のひとつとさして変わりない」みたいな文章に出会ったことがあります。それで、その時は子供だったのでこう思ったんですよね。「そうかな~。やっぱり人間っていうのは、他のライオンとかうさぎとかパンダとか、色んな動物とは少し違うもんやないかと思うけど
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でも、逆に大人になってからわたしの場合は考え方が変わりました。むしろ、年齢が上がれば上がるほど、社会人として求められるルールみたいなものがわかればわかるほど、「なんてことはない。人間は動物や。むしろ、動物以下ですらあるかもしれん☆」と思うようになったというか(^^;)
なんていうか、クマより人間のほうが偉いかといえばそんなこともなく、シカより人間のほうが優れているかといえば、そんなこともないな……と思うようになっていったわけですが、つまり何を言いたいかというと、動物界や昆虫の世界っていうのは、確か手塚治虫さんだったでしょうか。地上の虫たちの世界をさして『地獄の縮図』とおっしゃっていた気がするんですけど、人間だけは特別で、その『地獄の縮図』から逃れられるとか、そんなことはないんだな……みたいに、だんだんそう思うようになっていったわけです。
むしろ、『人間だけは特別』と思うことは傲慢というか、そういうことですよね。聖書には、>>「それは、被造物が虚無に服したのが自分の意志ではなく、服従させた方によるのであって、望みがあるからです。……私たちは、被造物全体が今に至るまで、ともにうめきともに産みの苦しみをしていることを知っています」(ローマ人への手紙、第8章20、22節)」とあるわけですが、この、被造物全体が虚無に服することになったのは、そもそも人間の責任だ――という、これはそういうことだと思うんですよね
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ですから、こう考えていった場合、地球の全体が『地獄の縮図』であり、むしろその『地獄の縮図』から可能な限り人間というものを逃れさせようとしてくださる神さまに感謝し、賛美すべきだ……といったように、自然の美や鳥の鳴き声、野良猫や散歩犬のかわゆさなどに触れるたび、そんなふうに思うことがあります
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また、なんていうことのない日常を生きながらも、胸の内に<地獄>を秘めている人のいることのほうが実際「普通」なのかもしれないということも、大人になってからだんだんわかってきたことでした。
でも、イエスさまは自分からそのような<地獄>に囚われていったような人のことをも救ってくださるのです。今、わたしがこんなに惨めな思いをしているのは、他でもない自分がしたことのせいで、結局のところこれは自業自得なのだ……という罪の中でもがき苦しんでいる人をも――いえ、そうした人のことこそを救うために、イエスさまはこの世界に来てくださったのです。
もし、こうしたことに心当たりのある方は、どうか是非イエスさまのことを信じてみてください。神さまはそうした当然の罪の結果の罰を受けている人の罰をも十字架上で背負い、さらには「そのためにこそわたしはこの地上へやって来たのです」と、そうおっしゃってくださる方なのですから!
それではまた~!!
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