神の手は力ある働きをする。

 主の右の手は高く上げられ、
 主の右の手は力ある働きをする。

(詩篇118編16節より)

あのころはフリードリヒがいた-【4】-

2015年08月07日 | 
【エルサレムウィンドウ:アシュール族】マルク・シャガール


 さて、今回はお話がはじまって第14章目の「先生(1934年)」からはじめたいと思いますm(_ _)m

 フリードリヒと『ぼく』の「入学式」のあったのが1931年ですから、この章はふたりが小学校に入った二年後、8~9歳頃の出来ごとではないかと思われます。

 ふたりの担任であった<ノイドルフ先生>は、一日の授業がすべて終わり、終業の鐘が鳴ったあと――教室の子どもたちにこんな話をはじめました。「授業は終わりだ。――だが、もう少し、このままでいてくれないか。きみたちに話したいことがあるんだ。――もっとも、聞きたくない者は帰ってよろしい」と前置きしたあとで……。


 >>「きみたちは、最近、ユダヤ人について耳にすることが多いと思う。きょうは、ぼくも、ある理由で、きみたちにユダヤ人について話をしなければならないのだ」

 ぼくたちはうなずいて、よく聞こえるように体を前にのりだした。学校かばんの上にあごをのせる者もいた。再び、静かになった。

「二千年前、ユダヤ人はすべて、一か所に住んでいた。現在、パレスチナと呼ばれているところだ。ユダヤ人は、イスラエルと呼んでいる。

 やがてローマ人がその土地に総督や太守をおいて支配した。ユダヤ人は異民族の支配下に屈するのをいさぎよしとせず、ローマ人に対して反乱を起こした。ローマ人はこの反乱を鎮圧して、紀元後七十年に、エルサレムの神殿を破壊し、反徒はスペインやライン河流域に追放した。一世代後、ユダヤ人は危険をもかえりみずまた蜂起した。このとき、ローマ人はエルサレムを徹底的に破壊しつくした。ユダヤ人は追われ、逃げた。そうして世界中に散らばった。

 その後、かれらのうちの大勢が、富を築き、人々の尊敬を集めるようになっていた。そこへ、十字軍の檄がとんだ。

 キリスト教の信仰を持たない人たちが聖地を占領し、キリスト教徒の記念の場所への巡礼をさまたげていた。説教者たちが強力なことばで、聖なるキリストの墓地の解放を説いてまわった。あおられて燃えあがった幾千もの人が十字軍を結成した。

 だが、このとき、ある人たちがこういった。『異教徒に向かって聖地に攻めこむといっても、自分たち自身の中に異教徒がいては、なんになるのだ!』

 こうして、ユダヤ人迫害(※)がはじまった。あちこちでユダヤ人が追い集められ、殺され、火あぶりにされた。強制的にキリスト教の洗礼を受けさせられもした。どうしても洗礼を受けない者は、拷問にかけられた。

 何百ものユダヤ人が、虐殺からのがれるために、自ら命を絶った。逃げられる者は、逃げた。

 迫害が鎮まると、今度は財政の貧しくなった領主たちが、家来の中からユダヤ人を召し捕らえ、裁判もせずに処刑した。その財産を没収するためだった。

 また、大勢のユダヤ人が逃げた。今度は東へ逃げた。そしてポーランドとロシアに新しい安住の地を見いだした。ところが前世紀になって、そこでもまた、ユダヤ人の迫害、虐待がはじまった。

 ユダヤ人は、いわゆるゲットーと呼ばれるユダヤ人ばかりの路地裏に住まなければならなかった。まともな職業につくことは許されなかった。手工業者にはなれなかったし、家や土地を所有することも禁じられた。商売と金貸しだけが、許された職業だった」

(※ユダヤ人迫害=このような残虐行為は、特に中世のスペインでのユダヤ人迫害によって、世に知れわたった。しかし、十字軍の頃のフランスやライン河上流地域においての迫害、また、のちにはロシアにおいての迫害も、これにおとらずひどいものであった。こうした虐待、迫害の動機は、単なる宗教上のものではなく、ユダヤ人をおとしめるための計画的な扇動の結果であった。それは、かなりの数のカトリック司教や領主司教が、迫害されたユダヤ人が避難してくるのを許し、庇護したことからも明らかである)


 ノイドルフ先生のお話はさらに続きます。ちょっと長いですが、この記事の主旨がユダヤ人迫害に関連したことなので、引き続き引用させていただきますねm(_ _)m


 >>「キリスト教徒の旧約聖書は、ユダヤ人の聖なる書物でもある。ユダヤ人は、それをトーラーと呼ぶ。≪教え≫という意味だ。トーラーには、神がモーセに示された掟がかかれている。ユダヤ人はこのトーラーについて、またその掟について、一生けんめい考えた。そして、トーラーの掟をどう理解すべきか、それをかれらは別の、非常に大きな書物、タルムードにかき記した。タルムードとは、≪学ぶ≫という意味だ。

 厳しい信仰を持つユダヤ人は、今日でも、トーラーに記された規則を守っている。それは生易しいことではない。たとえば、安息日には火をたきつけてはいけないとか、豚などの不浄な動物を食べてはいけないというわけだ。

 トーラーには、ユダヤ人の運命が予言されている。つまり、もしかれらが神の掟を犯したならば、迫害を受け、逃げねばならない、というのだ。しかしかれらは、救世主(メシア)がかれらを約束の地カナンへつれもどし、そこにかれらを民とする救世主(メシア)の国を創ってくれる、という希望をも同時に持っている。

 かれらは、イエスがほんとうの救世主(メシア)であることを信じず、それまでにすでに何人か現われたようないかさま師の一人だと思った。だから、イエスを十字架にかけた。そのことについて、ユダヤ人を、今日に至るまで、許せないでいる人が大勢いる。その人たちは、ユダヤ人についていいふらされた愚にもつかないことがらを信じきっている。ユダヤ人をまた迫害し、苦しめることができるようになるのを、ひたすら待っている人さえいる。

 ユダヤ人を好まない人は大勢いる。ユダヤ人はなんとなくなじめなくて、気味が悪いという。なにもかも、悪いことはみな、かれらのせいだと信じこむ。それは、ただ、ユダヤ人をよく知らないからなんだ!」


 ノイドルフ先生は、この後「フリードリヒがこの学校から出て、ユダヤ人学校へ転校しなければならなくなった」ことを告げます。>>「フリードリヒがユダヤ人学校にかわらなければならないのは、処罰じゃない。ただの変更だ。きみたちがそれをよく理解して、たとえフリードリヒがもうぼくたちのクラスの一員でなくなっても、いつまでもフリードリヒの友だちでいてくれるように、ぼくは切にのぞんでいる。ぼく自身、これからもずっとフリードリヒの友だちだ」と……。

 このノイドルフ先生、本当にいい先生なんですよね

 フリードリヒがユダヤ人学校へ転校したのち、彼の誕生日にアパートを訪ねて来て、万年筆をプレゼントしてくれたり……


 >>はいってきたのはノイドルフ先生だった。先生はフリードリヒにお祝いをいってから、万年筆の贈り物をわたした。そのキャップには、フリードリヒの名前が金で彫ってあった。

(第18章 儀式(1938年)より)


 ユダヤ人への迫害がさらにひどくなり、アパートから出ていかざるをえなかったフリードリヒが、飢えてひどい格好で『ぼく』と『ぼく』の両親の元を訪ねた時――そんなフリードリヒの上着のポケットに入っていたもの、それがこのノイドルフ先生がプレゼントしてくれた万年筆のキャップでもありました

 この章のノイドルフ先生の「ユダヤ人は何故迫害されるのか」という説明がとてもわかりやすいものだったので、聖書に関する歴史的理解を深めるためにも、ここを読んでおくだけでも参考になると思ったため、ノイドルフ先生のお話を長く引用させていただいたといったような次第ですm(_ _)m

 それではまた~!!



※本文の引用箇所はすべて、岩波少年文庫の「あのころはフリードリヒがいた」(ハンス・ペーター・リヒターさん著/上田真而子さん訳)からのものですm(_ _)m





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