
【ベルシャザルの酒宴―壁の言葉―】レンブラント・ファン・レイン
レンブラントの絵のこの場面は、旧約聖書ダニエル書の一場面を描いたものです
>>ベルシャツァル王は、千人の貴人たちのために大宴会を催し、その千人の前でぶどう酒を飲んでいた。
ベルシャツァルは、ぶどう酒を飲みながら、父ネブカデネザルがエルサレムの宮から取って来た金、銀の器を持って来るように命じた。王とその貴人たち、および王の妻とそばめたちはその器で飲んだ。
彼らはぶどう酒を飲み、金、銀、青銅、鉄、木、石の神々を賛美した。
すると突然、人間の手の指が現われ、王の宮殿の塗り壁の、燭台の向こう側のところに物を書いた。王が物を書くその手の先を見たとき、王の顔色は変わり、それにおびえて、腰の関節がゆるみ、ひざはがたがた震えた。
王は、大声で叫び、呪文師、カルデヤ人、星占いたちを連れて来させた。王はバビロンの知者たちに言った。
「この文字を読み、その解き明かしを示す者にはだれでも、紫の衣を着せ、首に金の鎖をかけ、この国の第三の権力を持たせよう」
(ダニエル書、第5章1~7節)
わたしの持っている聖書の欄外注を見ますと、『ベルシャツァル王=ナポ二ドス王(前555-539年)の息子』とあります。簡単に言えば、大体その頃の歴史を生きていた実在の人物ということですよね

引用が長くなりますので、ある程度お話の過程を端折りますが、神に選ばれた人ダニエルのこのことに対する解き明かしは次のようなものでしたm(_ _)m
>>その子であるベルシャツァル。あなたはこれらの事をすべて知っていながら、心を低くしませんでした。
それどころか、天の主に向かって高ぶり、主の宮の器をあなたの前に持って来させて、あなたも貴人たちもあなたの妻もそばめたちも、それを使ってぶどう酒を飲みました。あなたは、見ることも、聞くことも、知ることもできない銀、金、青銅、鉄、木、石の神々を賛美しましたが、あなたの息と、あなたのすべての道をその手に握っておられる神をほめたたえませんでした。
それで、神の前から手の先が送られて、この文字が書かれたのです。
その書かれた文字はこうです。『メネ、メネ、テケル、ウ・パルシン』。
そのことばの解き明かしはこうです。『メネ』とは、神があなたの治世を数えて終わらせられたということです。
『テケル』とは、あなたがはかりで量られて、目方の足りないことがわかったということです。
『パルシン』とは、あなたの国が分割され、メディヤとペルシヤとに与えられるということです」
そこでベルシャツァルは命じて、ダニエルに紫の衣を着せ、金の鎖を彼の首にかけさせ、彼はこの国の第三の権力者であると布告した。
その夜、カルデヤ人の王ベルシャツァルは殺され、メディヤ人ダリヨスが、およそ六十二歳でその国を受け継いだ。
(ダニエル書、第5章22~31節)
いえ、聖書のこの箇所からわたしが何を書きたかったかというと、聖書のこの部分を読むと、いつもちょっとドキドキ☆するという、そんなことでした(^^;)
何故ドキドキ
するのかと言うと、わたしの持ってる聖書の欄外注に、目方の足りない=神の期待される基準に到達しない、の意。と書いてあって、わたし自身はここを読むとなんとなくドキドキ
するのです。
確かに、ベルシャツァル王は、自分の栄耀栄華に酔い痴れ、自分自身のことが第一で、神さまの御前に心を低くするといった生活ぶりではなかったのでしょう。このことは紀元前五百年以上前に起きた、わたし個人とはなんら関わりのないことだ……とは、わたしにはどうも思えないのです。
何故かというと、わたし自身、神の期待される基準に到達するような生活を送っているかと問われると、まったくそのような者でないと思いますし、聖書の箴言に「曲がった生活をする者は、墓穴に陥る」(箴言、第28章18節)という言葉がありますけれども、神さまの救いの手がもし仮になくなったり、取り去られたとすれば、そのような惨めな場所(読みはぼけつですが、この場合ははかあな)にでも行くしかない存在であるとわかっています。
けれども、イエスさまに感謝します。何故なら神さまは、「わたしの望む基準に達するように日々努力すれば救われる」というのではなく、ただ無情件に無償で、イエスさまの十字架の血の贖いを信じる者にはこの救いをお与えになってくださるのですから。
ところで昨日、同じく聖書の欄外注に「(神の)恵みの一方的主権性」という言葉を見つけて、とても嬉しくなりました♪
ルカの福音書、第7章42節の脚注なのですが、一部引用します。
>>「ある金貸しから、ふたりの者が金を借りていた。
ひとりは五百デナリ、ほかのひとりは五十デナリ借りていた。
彼は返すことがでなかったので、金貸しはふたりとも赦してやった。
では、ふたりのうちどちらのほうがよけいに金貸しを愛するようになるでしょうか」
シモンが、「よけいに赦してもらったほうだと思います」と答えると、イエスは、「あなたの判断は当たっています」と言われた。
(ルカの福音書、第7章41~43節)
このあと、『この女の多くの罪は赦されています。というのは、彼女はよけい愛したからです。しかし少ししか赦されない者は、少ししか愛しません』(ルカの福音書、第7章47節)へと続くわけですが、愛や赦しとは、ある一定の目盛りを満たしたから、その点に到達したから深い愛情だとか深い赦しだという、そのような種類のものではなく――エリシャの油満たしの奇跡のように、実際は汲みつくせぬほどのもの、注ぎ尽くせぬものなのではないでしょうか(※一応の参考記事として=「空っぽのこころ」、「ひび割れた油の壷」)。
にも関わらず、ベルシャツァル王に対しては、>>「あなたがはかりで量られて、目方の足りないことがわかった」と裁定されているあたり、少し厳しい気もしますが、エルサレムの宮にあった神さまの物を自分の私物のように扱っただけでなく、なおかつイスラエルの神である方を褒め称えるというのでなく、それを偶像の栄光と取り替えたことが、彼の滅びの直接の原因ということですよね
わたし自身、神さまがはかりで量った場合、これからも目方が足りるなどということは一生ない気がするのですが(汗)、神さまが愛の方であられるがゆえに、そのようなわたしの目方の足りない分をも一方的な恵みの主権性によって覆ってくださる方であることに、心から感謝します(Praise the Lord!)。
もちろん、ここまで書いた時点で、クリスチャンの方は当然>>「神さま。こんな罪人の私をあわれんでください(ルカの福音書、第18章13節)」というイエスさまのお話を思い出されると思うのですが……レンブラントのこの絵を見た時、他の画家があまり取り上げないような珍しい題材だったため、実はわたし、ちょっと驚いたんですよね
けれど、ウィキさんのほうを見てみたところ、描かれたとされる年代が1635年頃とありますので、おそらく制作年代はレンブラントが全盛期にあったといっていいくらいの頃でしょうか。もしこの絵の描かれたのがレンブラントの晩年くらいであったとすれば、「神の御前に目方の足りぬ者」と己に対して自覚するあまりこの絵を描いたのではないかと、そのように推察したかもしれません。
というのも、「光と影の画家」として有名なレンブラント、長年に渡る浪費癖が祟って借金を作り、晩年には生活苦を味わっているからなんですよね。
>>晩年の彼は娘コルネリアと雇った老女中と生活し、「パンとチーズと酢漬ニシンだけが一日の食事」と記されるほど質素な日々を送った……とウィキペディアにあるのですが、そのことを踏まえて次の絵を見ると、なおのこと胸に迫るものがあります(この絵の描かれたのが1666~68年で、レンブラントの亡くなったのが1669年です)。

【放蕩息子の帰還】レンブラント
おそらく、この絵の中の放蕩息子は、レンブラン自身の改心した姿だったのではないでしょうか(※放蕩息子に関しての当ブログ内における参考記事はこちら=「放蕩息子の信仰」)。
それではまた~!!
レンブラントの絵のこの場面は、旧約聖書ダニエル書の一場面を描いたものです

>>ベルシャツァル王は、千人の貴人たちのために大宴会を催し、その千人の前でぶどう酒を飲んでいた。
ベルシャツァルは、ぶどう酒を飲みながら、父ネブカデネザルがエルサレムの宮から取って来た金、銀の器を持って来るように命じた。王とその貴人たち、および王の妻とそばめたちはその器で飲んだ。
彼らはぶどう酒を飲み、金、銀、青銅、鉄、木、石の神々を賛美した。
すると突然、人間の手の指が現われ、王の宮殿の塗り壁の、燭台の向こう側のところに物を書いた。王が物を書くその手の先を見たとき、王の顔色は変わり、それにおびえて、腰の関節がゆるみ、ひざはがたがた震えた。
王は、大声で叫び、呪文師、カルデヤ人、星占いたちを連れて来させた。王はバビロンの知者たちに言った。
「この文字を読み、その解き明かしを示す者にはだれでも、紫の衣を着せ、首に金の鎖をかけ、この国の第三の権力を持たせよう」
(ダニエル書、第5章1~7節)
わたしの持っている聖書の欄外注を見ますと、『ベルシャツァル王=ナポ二ドス王(前555-539年)の息子』とあります。簡単に言えば、大体その頃の歴史を生きていた実在の人物ということですよね


引用が長くなりますので、ある程度お話の過程を端折りますが、神に選ばれた人ダニエルのこのことに対する解き明かしは次のようなものでしたm(_ _)m
>>その子であるベルシャツァル。あなたはこれらの事をすべて知っていながら、心を低くしませんでした。
それどころか、天の主に向かって高ぶり、主の宮の器をあなたの前に持って来させて、あなたも貴人たちもあなたの妻もそばめたちも、それを使ってぶどう酒を飲みました。あなたは、見ることも、聞くことも、知ることもできない銀、金、青銅、鉄、木、石の神々を賛美しましたが、あなたの息と、あなたのすべての道をその手に握っておられる神をほめたたえませんでした。
それで、神の前から手の先が送られて、この文字が書かれたのです。
その書かれた文字はこうです。『メネ、メネ、テケル、ウ・パルシン』。
そのことばの解き明かしはこうです。『メネ』とは、神があなたの治世を数えて終わらせられたということです。
『テケル』とは、あなたがはかりで量られて、目方の足りないことがわかったということです。
『パルシン』とは、あなたの国が分割され、メディヤとペルシヤとに与えられるということです」
そこでベルシャツァルは命じて、ダニエルに紫の衣を着せ、金の鎖を彼の首にかけさせ、彼はこの国の第三の権力者であると布告した。
その夜、カルデヤ人の王ベルシャツァルは殺され、メディヤ人ダリヨスが、およそ六十二歳でその国を受け継いだ。
(ダニエル書、第5章22~31節)
いえ、聖書のこの箇所からわたしが何を書きたかったかというと、聖書のこの部分を読むと、いつもちょっとドキドキ☆するという、そんなことでした(^^;)
何故ドキドキ


確かに、ベルシャツァル王は、自分の栄耀栄華に酔い痴れ、自分自身のことが第一で、神さまの御前に心を低くするといった生活ぶりではなかったのでしょう。このことは紀元前五百年以上前に起きた、わたし個人とはなんら関わりのないことだ……とは、わたしにはどうも思えないのです。
何故かというと、わたし自身、神の期待される基準に到達するような生活を送っているかと問われると、まったくそのような者でないと思いますし、聖書の箴言に「曲がった生活をする者は、墓穴に陥る」(箴言、第28章18節)という言葉がありますけれども、神さまの救いの手がもし仮になくなったり、取り去られたとすれば、そのような惨めな場所(読みはぼけつですが、この場合ははかあな)にでも行くしかない存在であるとわかっています。
けれども、イエスさまに感謝します。何故なら神さまは、「わたしの望む基準に達するように日々努力すれば救われる」というのではなく、ただ無情件に無償で、イエスさまの十字架の血の贖いを信じる者にはこの救いをお与えになってくださるのですから。
ところで昨日、同じく聖書の欄外注に「(神の)恵みの一方的主権性」という言葉を見つけて、とても嬉しくなりました♪

ルカの福音書、第7章42節の脚注なのですが、一部引用します。
>>「ある金貸しから、ふたりの者が金を借りていた。
ひとりは五百デナリ、ほかのひとりは五十デナリ借りていた。
彼は返すことがでなかったので、金貸しはふたりとも赦してやった。
では、ふたりのうちどちらのほうがよけいに金貸しを愛するようになるでしょうか」
シモンが、「よけいに赦してもらったほうだと思います」と答えると、イエスは、「あなたの判断は当たっています」と言われた。
(ルカの福音書、第7章41~43節)
このあと、『この女の多くの罪は赦されています。というのは、彼女はよけい愛したからです。しかし少ししか赦されない者は、少ししか愛しません』(ルカの福音書、第7章47節)へと続くわけですが、愛や赦しとは、ある一定の目盛りを満たしたから、その点に到達したから深い愛情だとか深い赦しだという、そのような種類のものではなく――エリシャの油満たしの奇跡のように、実際は汲みつくせぬほどのもの、注ぎ尽くせぬものなのではないでしょうか(※一応の参考記事として=「空っぽのこころ」、「ひび割れた油の壷」)。
にも関わらず、ベルシャツァル王に対しては、>>「あなたがはかりで量られて、目方の足りないことがわかった」と裁定されているあたり、少し厳しい気もしますが、エルサレムの宮にあった神さまの物を自分の私物のように扱っただけでなく、なおかつイスラエルの神である方を褒め称えるというのでなく、それを偶像の栄光と取り替えたことが、彼の滅びの直接の原因ということですよね

わたし自身、神さまがはかりで量った場合、これからも目方が足りるなどということは一生ない気がするのですが(汗)、神さまが愛の方であられるがゆえに、そのようなわたしの目方の足りない分をも一方的な恵みの主権性によって覆ってくださる方であることに、心から感謝します(Praise the Lord!)。
もちろん、ここまで書いた時点で、クリスチャンの方は当然>>「神さま。こんな罪人の私をあわれんでください(ルカの福音書、第18章13節)」というイエスさまのお話を思い出されると思うのですが……レンブラントのこの絵を見た時、他の画家があまり取り上げないような珍しい題材だったため、実はわたし、ちょっと驚いたんですよね

けれど、ウィキさんのほうを見てみたところ、描かれたとされる年代が1635年頃とありますので、おそらく制作年代はレンブラントが全盛期にあったといっていいくらいの頃でしょうか。もしこの絵の描かれたのがレンブラントの晩年くらいであったとすれば、「神の御前に目方の足りぬ者」と己に対して自覚するあまりこの絵を描いたのではないかと、そのように推察したかもしれません。
というのも、「光と影の画家」として有名なレンブラント、長年に渡る浪費癖が祟って借金を作り、晩年には生活苦を味わっているからなんですよね。
>>晩年の彼は娘コルネリアと雇った老女中と生活し、「パンとチーズと酢漬ニシンだけが一日の食事」と記されるほど質素な日々を送った……とウィキペディアにあるのですが、そのことを踏まえて次の絵を見ると、なおのこと胸に迫るものがあります(この絵の描かれたのが1666~68年で、レンブラントの亡くなったのが1669年です)。

【放蕩息子の帰還】レンブラント
おそらく、この絵の中の放蕩息子は、レンブラン自身の改心した姿だったのではないでしょうか(※放蕩息子に関しての当ブログ内における参考記事はこちら=「放蕩息子の信仰」)。
それではまた~!!

※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます