雨のいち日。
とりわけ為すこともなく退屈な午后。
人けの絶えたカフェで熱いお茶を飲む。
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今朝、ベルナール版の古いラディゲの詩集『燃える頬』と『休暇中の宿題』を読む。
二十歳で逝ったラディゲをひとつ年下の堀辰雄が敬愛した気持ちがわかる気がした。
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日本文学の系統に分類するとき、堀を規定しきれず、規格外に置こうとする批評家が時折いる。堀の文学を『小説ではない・素人臭い』などと言う。それは堀を計るに足る物差しを評者が持ち合わせていないからだろう。堀を評するには彼用の特別な物差しが必要だ。
当時の日本の若い詩人達が、ランボーの韻文の影響下に作品を書いたのに比べ、堀が目指したのは、ラディゲの散文詩やコクトーの作品のイメージに即した創作だった。
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雨脚は、先程よりは穏やかに映る。
案山子や天使、テニス・ボウル、そして背の高い向日葵や無礼な青空は、今、どこに見える?
【OPUS / feat.片山士駿(Flute, Arr.) - 永遠のFull Moon】