隣村の従弟の連れ合いのお父様のお葬式でした。
京都新聞社の記者をされておられたようで、86才とは言え、御元気そうなお顔でした。
私は一度もお目にかかったことがなかったのです。
息子さんのご挨拶が素敵でした。
彼は、事故で車いす生活をされているのですが、回復されてお元気な様子で安堵したのと、お父様の背中で語るという
思い出を語られました。
それは、稲刈り時、稲束を積んで耕耘機で運転中、途中、初老の女性が同じく坂道を押しておられたのをみて、
運転を止め、押して、助けられる様をみて、小学生の彼も押したことがあったという経験で、無言の中で在り方を教わったと淡々と述べておられて、子供達は親の姿、背中から何か大切なものを学び取っているのだと、痛感しました。
お父様も息子さんも素敵だと思いました。
こんなふうに子供に送られるお父さんっていいなあ。
やはり、言葉だけでなく、日頃の親の実践の中で、子供達は大切なことを学んでいくのだと再確認しました。
息子さんも車椅子できりっとされていたのが素敵でした。
いろんな思いがあったでしょうが、克服されていて清々しいお葬式でした。
子供達の無垢な目はすべてを見ています。
学習しています。
大人達の生き様が問われます。