ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

カンカンは首藤さんの職場2

2020年06月06日 20時50分30秒 | ウォーキング

岸和田市に入ってすぐに、
左側に「夜疑神社」があります。



名前からして「夜を疑う」と
何かを連想させそうな名前ですが。
もともとは「八木」神社です。



古代の豪族である八木氏が
祖神である布留多摩命を
祀った神社とされています。

この地域のだんじりが祭礼時には
ここに集まるそうです。
あ、そういえば昔この辺りに
何回か飲みに来ましたねえ。



そして中井町西の交差点にきました。

ここは、中央公園にゴールする
昔の千亀利マラソンの
ラスト1キロ地点でしたね。

3時間1分でゴールした時は
やはり一番のサブスリーの
チャンスで、あと残っているのが
まだ5分くらいあったのに、
公園に入ったところで
両足がつって仁王立ちに
なってしまったのを思い出します。

悔しかったなあ。

そんな中央公園の
ランナー入り口がここでした。



今の季節だとつつじに
囲まれてきれいですねえ。

いっときはよくここに
走りに来ましたねえ。

土のグランドではスピード練習。
周回道路では持久走を
良くしましたねえ。



そんな公園のはずれの所には
「兵主神社」があります。



昔の能の面を持つ神社で、
その大きな宮から「和泉大宮」の
名前の元となった神社です。

そこからしばらく行くと、
藤井町の交差点に出ます。
これを右折すると、
南海本線の和泉大宮の駅に
出てゆきます。



高校の頃は南海本線で
この駅も通過して
通っていましたが、
ここの駅に降りることは
一回もなかったなあ。

今は意外ににぎやかですねえ。
そのまま旧国道もこえて、
さらに海の方に行きます。

張られてある紙なんかを見てますと、
コロナのせいで祭りの関連の
行事が出来ないように
書かれています。
今年のだんじりは一体
どうなるんでしょうねえ。

臨海の道路が見えてきました。
このあたりをカンカン場と言います。
カンカンとは秤量する
機械のことなんですね。



まただんじりのやりまわし場
としても有名ですね。
昔、我が町に初めて下だんじりが
やってきたとき。
doironの担当は前板の
真ん中に乗り足で踏む
ブレーキでした。
踏むタイミングも、強さも
よくわからず、何がなんだか
わからずやりまわしの交差点が
近づくたびに口の中がカラカラに
なっていたのを思い出します。

そんなカンカン場の臨海道路の
壁にはだんじり曳行をする
人の姿なんかがいっぱい
描かれています。

この場所の海辺あたりが、
首藤さんの会社があった場所です。
とりあえずは、カンカンモールに
タッチして、臨海地区を
目指していきましょう。

このあたりの埋め立て地は
大阪鉄工金属団地ていうんですね。
埋め立て地に入ってすぐの
ところにもうお目当ての
会社がありましたよ。



首藤さんは複数の会社に
関連されていたようで、
山や旅行に行く時の案内書や
四国八十八か所の案内書
なんかも使い古した会社の
封筒に入れてくれていました。

そこにある会社を見ていると、
ああなんか見覚えのある名前ですねえ。



一時業績が苦しいときなんかは
ステンレスの表札なんかも
作られていたようで、
エイで宣伝とかされていたし、
doironも知り合いに
話を進めたこともありました。

でもまあきれいに持ち直し、
神戸のあの鉄人28号を
作ったり、泉大津市の駅前の
ステンレススチールの置物
なんかも作られたようです。

それらは今もちゃんと残っています。

ああ、会社が見れてよかったです。
50年以上を彼はこの会社で
過ごしたんですねえ。

さあでは帰っていきましょう。
臨海から旧国道26号線に出て
北上していきます。

あの泉州マラソンのコースの
逆行ですね。
あ、ここの病院は昔知り合いが
入院していたのでよくきましたね。
それから春木川を越え、
ラ・パークを過ぎて忠岡町に
入っていきます。



大津川を越えたらもう泉大津です。
駅前を抜けて山の方に移動していけば、
往路で通った消防署の
方に出ていき、無事に
帰宅したdoironだったのでした。

歩いた歩数は24236歩で
距離はちょうど20kmでしたね。

首藤さんの会社も見れて
大満足の歩きでした。

 



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