令和2年の山の日は8月10日でした。
開催されなかったけど
今年のオリンピックに関連して
8月11日から
改正された休日ですね。
う~ん、山の日かあ。
こんなネーミングには
若い時に山に行ってた自分としては
心惹かれるんだよね。
とはいいつつもこの日に
山の予定はなかったのだが、
ひとつどうしても気になる山が
一か所あった。
信太山だ。
信太山といっても厳密にいえば
その山のもっと下の黒鳥山公園だ。
ここに気になる石碑が
ひとつあるのです。
黒鳥の昔の反戦者である
「阪口喜一郎」
の石碑なのです。
彼は昭和の最初のころ
「聳えるマスト」という
ガリ版刷りを出して
反戦運動をしていました。
でも逮捕され、広島に送られ
「未決囚」として拷問を受けて、
31歳で亡くなっています。
いやあ、あの時代に
反戦活動なんて
どんなんだったんでしょうねえ。
強い強い意志がなければ
できなかったでしょうねえ。
なぜ彼のことが気になるかというと、
実は、doironのおばあちゃんは
彼と同じ黒鳥山の生まれで、
旧姓が「阪口」だったのです。
早くなくなって、親戚づきあいは
今はありませんが
ちょうど彼が反戦活動を
していた頃には黒鳥に
住んでいたのです。
そんな喜一郎氏との
親戚関係はまだ今は
全然わかりませんが、
これを機会にぼちぼちと
調べていこうと思っています。
で、まずはそんな彼の石碑が
黒鳥山公園にあるというので
山の日に探しに行きました。
暑い中でしたが、
駐車場に車をとめ
公園内のアップダウンを
ここかなあ、あそこかなあ
と探しまくります。
もうこんな炎天下ですから、
公園とはいえほとんど人はいません。
この公園内には「忠霊塔」
というのがあります。
戦争で国のために戦った人の
碑である一方で、
戦争に反対した人の碑というのも
この公園に立っているというわけです。
忠霊塔の周りも探しましたよ。
そうそうここは昔から
戦争の名残であった
防空壕の跡なんかもありましたねえ。
子どものころにはたまに遊びに来て、
公園内を遊びまわった記憶があります。
そんなことを思い出しながら
今はそんな痕跡もなく
あちこち探し歩いてやっとのことで、
その碑を見つけたのです。
これです。
人の背丈くらいの立派な石碑です。
そしてそこには看板もたち、
彼の業績が書かれ、
平和を願う多くの人によって
この碑が建てられたんだと
書かれてありました。
地元の小さな本が
図書館の片隅にありました。
和泉の図書館ですが、
近隣の市町村の住民でも
登録すれば借りることができます。
そこには彼のことが
いくつか書かれてありましたし、
この碑のことも書かれてありました。
そしてなんと図書館の本部に行けば、
あのガリ版刷りの「聳えるマスト」の
本もあるそうです。
近々借りに行こうと思っています。
そうそうそれから黒鳥の神社で
「阪口」の名前の入っている
石とかも見ましたねえ。
またその村に出かけて行って、
色々と探ってみるのも
いいかもしれませんね。
おばあちゃんは身内ですので、
住民票なんかも辿ったり
できるのかなあ。
そうそう唯一残っている彼の写真は、
なんとdoironによく似ているのです。
もし親戚だったりしたら驚きですねえ。
もし自分がその時に
生きていたとしたら、
彼のような反戦活動は
したでしょうか。
いやあきっとできなかったと思います。
そんな偉大な彼のことを
少しずつでいいので、
機会を見つけては探っていこう
なんて思ったりした
山の日のdoironだったのでした。
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