燈明寺は、行基の開創とされています。
行基は役行者より少し後、
空海以前に活躍した僧です。
この人の名前も各地に現れます。
特に大阪にはゆかりのところがたくさんありますね
(久米田池など)。
かつての本堂や三重塔が
今も横浜の三溪園に現存するそうです。
昭和23年の暴風雨で倒壊し
部材を残してあったものを、
その地で復元したそうです。
これがそこにある本堂、
そしてこれが三重塔です
(いずれもHPから)。
横浜に行く機会があれば訪ねてみましょう。
こうして訪ね場所を芋づる式に
増やしていくdoironなのでした。
ここ御霊神社の境内跡には
いまも仏像を安置している建物や
石の十三重塔、
梵鐘が残っています。
ん?この鐘はずいぶん低いところにありますねえ。
撞木もないのできっと
頭突きで鳴らすのでしょう。
とまあそんなアホなことを考えながら
ここを後にしました。
階段を下り、参道の途中にある
「燈明寺橋」を渡ったら右折です。
その橋の架かる加茂新川に沿って
広い堤防を歩きます。
この道は昔からの道らしく、
堤防の横には
「右 なら 加茂大明神
左 いが いせ」と刻まれた
古い道標が立っていました。
間近に山が迫り、
川沿いを歩く道は、
鴨族の人にとって
ふるさとの葛城山地と
葛城川を連想させたに違いないでしょう。
右に曲がって「薬師橋」を渡ると、
そこに「薬師寺」があります。
「医王山 薬師寺」とあります。
いずれも医薬に関する山号と
寺名がついているように、
薬師如来を祀る寺です。
寺の前にはこんな掲示板が・・・
浄土宗で「お十念」とは
「南無阿弥陀仏」を十回唱えることです。
たとえば友達を車に乗せるとするでしょ。
その時にスタートする前に
「南無阿弥陀仏」をまず十回
唱えてあげればいいわけですね。
友達が減るかもしれません。
境内にはたくさんの石仏が
持て余し気味にゴロゴロし、
立派な宝篋印塔も立っていました。
道はこの寺の先で左に曲がり
狭い集落の中を
やや登り気味に続いていきます。
このあたりではすぐ横が関西本線です。
最近は「大和路線」の名前が
よく使われていますが、
残念ながらそれは木津以西に付けられた
関西本線の愛称です。
確かにこのあたりは電化している様子もなく、
単線です。
ため池の下ののどかな道を歩き、
いわくありげな名前の
「開放橋」で関西本線を渡り、
木津側に向かって
ぐぅ~んと下っていくと
小谷の集落に入っていきます。
お、この車の停め方はすごい。
やるなあ、木津川市。
この地蔵堂の中には
「南元阿弥陀仏」の文字を刻んだ
石碑が建てられてあります。
すぐ横が浄土真宗本願寺派のお寺でっさかい、
「南無」ではなくて「南元」なんですねえ。
おお~お寺に隣接した
納屋の壁にスズメバチの巣らしきものが・・・
doironと距離にして10m。
ジダンのようにたわむれたりせずに
とっとと通り過ぎましょう。
道端の楠の根元に
小さなこんな神様が坐しておられました。
「加茂八幡宮」です。
加茂神社と八幡神宮が
合祀されたんでしょう。
由緒書がなかったので
それ以上のことはわかりませんでした。
その先にこんな立札がありました。
おお今度はマムシです。
日本の危険生物2種と出会えるかも
と喜んではいけません。
でもまさかね~、
まだ啓蟄も来ていなかったので、
まむしやハチは大丈夫でしょう。
だけど子どもは一体どこから飛び出すの?
というほど見通しの良い場所でした。
ていうか、ここで遊んでいる子供こそ
まむしに注意ですよね。
さて、田んぼ道から集落に入り、
ようやく今回の目的地のひとつ
「岡田鴨神社」
に到着です。
赤い明神鳥居の奥に社があります。
それも2社。
向かって右が「岡田鴨神社」、
左が「天満宮」です。
岡田鴨神社は
もともとは少し北の流岡にあったものが、
木津川の氾濫で水害が
頻繁にあったため
今の地に遷された
と伝えられているそうです。
社務所で掃除をしていた人に
話を聞いてみましょう。
続く
さて、明日はスーちゃんの四十九日です。
参列してくれた人へ渡す
粗供養も準備完了です。
滞りなく終わりますように
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