息子が生まれたのは、
あの阪神タイガースが
バース、掛布、岡田の
3連続ホームランで球界を
にぎわしていた昭和60年の
5月末だった。
結婚して3年目。
ようやく生まれて我が家を
笑顔で包んでくれた。
その頃、親父はマラソンに夢中で、
仕事、家庭もともに大忙し。
ずっと走り続けているような
日々だったな。
息子が小学生になった頃、
地元の子ども会のソフトボール部に入った。
走るということは早かったのだが、
球技の一瞬の判断力が乏しく、
親父と一緒で野球はさほど
活躍はしなかった。
ただ、6年の時にはホームラン王になり
喜んでいたが、
それは足の速さが大きな威力だったな。
中学生になって陸上を始めたのだが、
1年の時にリタイヤ。
あとは友達とワイワイ遊ぶ日々が多かった。
そして高校は、本人の希望で
M山学院を受けて受かったので
そこに行くことにした。
入学前のある日、
学校から電話がかかってきて、
入学式の時に新学年の
宣誓をしてほしいと言われた。
「え~、なんでうちの子が?」
と聞いたら
「入学試験の成績が1番だった」から
と聞いて驚きだったな。
それを聞きに入学式にいったら、
ばあちゃんもこっそり
タクシーでやってきていたそうだ。
その宣誓書は、今も
doironの部屋の中に貼ってある。
高校を三年間過ごし、
さあ大学となった時に
息子が言い出したのは
「信州大学に行きたい」とのこと。
親父が学生時代に金沢で
下宿していたので
そんなんあかんよとは反対もできずに、
結果そこに行くことになった。
18歳で親元を離れて
下宿することになったのだ。
その後、大学院にもいき、
なんと信州で仕事に就くことになった。
もう成人となるころから
完全に親元を離れて
生きていくことになったのだ。
ミセスは大変寂しかったろう。
でも彼ももう大人やから、
彼なりの考えで自分の人生を
築いていくんやから
喜ばないとと言い聞かせて納得した。
親父は、息子の自立と
ミセスの自立を
平然と喜んでいる風だったが、
内心はそうではなく、
くくくと寂しい思いを
こらえることも多かった。
やがて息子が彼女を連れて
帰宅してきた。
義理のばあちゃんにも会い、
doiron家は大喜びとなった。
結婚式では、doironが、
「息子は一人で頑張ってきて、
今は地元の皆さんにも
喜んでもらっている」
というあいさつをしたら、
横で息子が泣いていたな。
親父は精一杯こらえていた。
息子にそっくりの孫もでき、
これから先はどうなっていくのか、
よくわからない。
まだまだ人生は不明なことだらけだ。
ですが、とりあえずは
みんな元気で暮らしている喜びを、
今は心から楽しまないとと
自分に言い聞かせている毎日だ。
そんなことを、
ビールを飲みながら
じわじわ考えていた今日。
8月20日は「親父の日」なんだそうです。
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