ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

いざ伊賀上野7

2016年06月24日 21時30分52秒 | ウォーキング

藤堂高虎が家康の江戸開府の時、
いまの「上野」のまちに
屋敷地を拝領した。

その当時その場所に
地名がなかったために
自分の領国の地名を付けた
という説がある。

だから上野公園の池も
伊賀上野に「忍町」という地名があるように
「不忍池」と名付けたらしいというのだ。

でもそれは違っていた
というエッセイを
司馬遼太郎が書いたことがある。

藤堂高虎がその地に住む前から、
「上野」という土地はすでにあったことが
別の資料からもわかるらしい。

依然読んだその記事を、
この地を歩いているときに
ふと思い出しました。

あ、こんなお店もあります。



この辺の名物の一つが
この丁稚ようかんですねえ。

そしてこのお店はいろいろと
凝っているようで、



「忍者変身処」と書いてありますぞ。



忍者に変身して
上野の街を歩いてみませんか
と書いてある。

いやあ、もしdoironが変身して
歩いていたら手裏剣を投げられそうです。

いやあ、それか変なおっさんとして
警察に捕まるかもねえ。

で、このまっすぐな通りの
突き当りに赤い鳥居が見えています。



この神社が「愛宕神社」ですね。



本殿が県の文化財になっています。

中に入っていくと、
こんな神社もありました。



「忍者神社」です。

最近できたそうで、
上野城下で生活する人々に
災いのないようにと
祈願申し上げるための
ものだそうです。

番犬の「半蔵」はお出かけのようです。



その寺を出て、
次に向かったのが「蓑虫庵」です。



芭蕉翁の高弟、
「服部土芳」の草庵です。

当時は「伊賀のハットリ君」と
呼ばれていた人です。

うそです。

かれがこの草庵を作った時に、
芭蕉が

「みの虫の音を聞きにこよ草の庵」

とうたったところから
この名前になっています。

芭蕉が帰郷したときに
門弟の庵を一時の住居に
したこともありました。

そうした庵の中で、
無名庵(むみょうあん)、
西麓庵(さいろくあん)、
東麓庵(とうろくあん)、
瓢竹庵(ひょうちくあん)、
蓑虫庵(みのむしあん)

を芭蕉翁五庵といい、
唯一現存するのがこの蓑虫庵です。

では入ってみましょう。



と切符を買いに行くと、
係の女性が親切そうに
話しかけてこられました。

「ひとつ質問があります。
庵の中に芭蕉の書いた
「みのむしよ~」の掛け軸があるのですが、
そこに俳句とともに描かれた
「絵」が何を書いてあるのか
探ってきてください。」というのです。

ウヒャー質問付きの切符ですかあ。

では入って確かめてきてみましょう。

みのむし塚や古池塚を眺めた後、





庵のところに到着しました。

ん?掛け軸はどこ?
と探してみたら奥のほうに
かけてあるのが見えています。



むむ~老眼じゃこれはつらいぞ。

よく見ると横に窓があるので
そちらに回ってみましょう。



むむ、やっと見えました、
何やら坊さんの後ろ姿の
ようなものが写っています。

もしかしたらあれが「みの虫」?
そんなことはないなあ。
結局何かの後ろ姿に見えたんですけど・・・
と回答したら、
「そうなんです。あれは達磨大使なんです」
と答えてくれはりました。

「一句作っても達磨大使に
聞かせるつもりでしっかり
作りなさいという願いが
こもっているそうです」とのこと。

はあちょっとむつかしすぎましたねえ。

ではここを後にして、
次に向かったのが「上野天満宮」です。



あの芭蕉が処女出版の
「貝おほひ」を収めたところです。



なかなか立派な神社でしたよ。



さあ、これで回ろうと思っていたところは
あと1か所。

芭蕉の生家です。

上野の駅を過ぎて、
途中のコンビニでお昼を食べてから



向かいました。

この施設も中に入ろうと思ったのですが、
これも入館料がいります。



ちょっと経費かけすぎかなあ
ということで、まあ、いいかと
外見だけを撮影しておきました。



これで、この日歩いたのは約12キロ。



前から興味のあるところだったので
よい歩きができました。

まえから行きたかったところへという
「いざ伊賀上野」の旅

これで終わりです。


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