石清水の本殿を出たら、
周りの施設も確認しておきましょう。
駅前の観光協会でもらった地図を見ながら
訪ねてみましょう。
まずは三ノ鳥居です。
この鳥居の下に、ちょっと周りの敷石とは
違う石が埋め込まれています。
これは昔、境内で早馬をするときの
スタート地点だったそうです。
まあ、いわば勝ち運の石として
ここに埋められています。
え~最近はあまり勝ち負けに関係する
生活は送ってないなあ。
なので、宝くじでも押し当てときましょうか。
そんな参道の右には大きな広場があります。
駐車場にもなっていますから
車で上がる道もあるんですね。
その道の先に大きな金属の碑が立っています。
「涌峯塔」と言われるシンボルタワーですね。
何をかたどっているんでしょうか?
もしかして、まさにこれが「男」山なんでしょうか。
そ、そんなことはないでしょうね。
そのシンボルタワーの横に据えられてあるのが
「エジソン記念碑」です。
では、なぜここにアメリカの
発明家であるエジソンの碑があるのでしょうか。
それには意味がありました。
かれが白熱電球を改良して
人々の暮らしで使えるようにしたからです。
その電球のフィラメントに使われたのが
この男山の竹だったのだそうです。
その電球で人々の暮らしには
希望の光が与えられました。
そのことをこの八幡の人々は
誇りに思っているそうです。
そうあの八幡市の駅前には
エジソンの人形も立てて
「エジソン通り」と呼んでいるそうです。
そんな街だからこそ、八幡の人々が
この男山の八幡宮が国宝に指定されて喜んだでしょうねえ。
山裾の空き地にはこんな碑まで
作られていたもんね。
さあ、では帰りは違う道を通て
ケーブルの駅へ向かいました。
ちょうどこんな「走井餅」というお土産がある
というので、面白い名前だし
一つ買うかと思ったら出店は休みでした。
今日は天気もいいので担当者が
「走り」に出かけているのかもしれません。
と思ったら、こうしてケーブルで下って
八幡浜の駅前に出たときに
それを売ってるお店がありましたので
寄って買うことにしました。
それがこれ。
走る人が食べる餅ではなくて、
大津の走井というところで
作られたお菓子で、
この八幡に引き継がれました。
その後本家は廃業したのですが、
この地のは残るという形で
成熟してきたとこういう由来のあるお菓子です。
大津で刀を研ぐのに走井の水を使ったので
刀のような形をしておりました。
さあ、これで寄り道の石清水八幡宮の見学は終わりです。
八幡という名前と関連する
鳥の彫り物の多かったこの本殿。
古い歴史に加えて、
現在の八幡市に伝わる様々なものを持っていました。
あのエジソンとの関連も、
いまではこの町の大きな財産になっているようです。
還暦後最初のウォーキングとしては
いいところに行ったものでした。
いまも歩き続けている淀川のまあ、
いわゆる名所のひとつだったでしょう。
で、もう一つ寄りたかったのが、
木津川と宇治川の合流点にできた
「背割堤」という、
長さが1.5キロほどの堤防です。
そこへ行くため御幸橋をテクテクわたってきました。
前回はこの横をちらっと通っただけだったのでね。
ここはロードやマウンテンバイクの人たちの
絶好の練習場所でもあるんでしょうねえ。
この日も、ロードやマウンテンがいたり
市のレンタサイクルを借りて
ここを訪れている人たちも結構いたようです。
では、ここには何があるかというと、
広々とした景色の中に
大きな桜の木が、幅20mくらいの堤防の上に
ズラッと植えられています。
まだこの時には桜には早かったけれど、
この巨大な桜の木に花が咲くころには
ぜひもう一度来てみようと思いましたとさ。
うらうら~と続く。
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