母現在82歳
アルツハイマー型認知症の診断を受けて10年になる。
22歳で私を筆頭に女ばかり3人の子を産み育ててきた。
34歳で北の大地から関西に移り、慣れない土地での暮らしに苦労も多かったんだろうと思う。
記憶では狭い借家に大きな業務用電動ミシンを入れて内職を始め、その音の煩さに喧嘩が絶えなかった。
思えばまだ北海道にいた頃は普通に仲の良い家族だったんだと思う。
けど、母親との「あーいうことあったね。」とか「こんなことしてもらった」の経験が、記憶も記録もまったくなく家族写真ですら1枚もない。
唯一母と一緒に写っているといえば小学校の入学式の時の集合写真だけだったりする。
6年生になる頃には母と買い物行くのも疎ましく一緒に出歩くのも避けるようになった。
母娘仲が良い訳もなく、娘3人は父方について、常に4対1で喧嘩になっていた。
自分勝手でワガママで常に自分だけが正しいとの思い込みの強い人でパートに出ても諍いが絶えず長続きすることもなく職を転々としてた。
演歌が好きでテレビと言えば演歌歌手の多く出ているNHKやなつかしのメロディーなどの歌番組だけ。
橋田壽賀子先生脚本のドラマはよくみていたけれど、総じてテレビなんてクダラナイとラジオばかり聴いていた。
夕方5時には食事を済ませさっさと後片付けをし、夜9時には布団に入りラジオを聴きながら寝る。
なので私たちとは生活習慣が合う訳もなく仕事の定時が午後5時30分、それから真っ直ぐ帰ったとしても7時を過ぎ
遅いと文句を言われる。
特に本が好きでもなく、これと言った趣味もない。
興味があるのは貴金属とお金だけだったような気がする。
仲が悪いとはいえ、一応母娘。
顔付き合わせれば四六時中喧嘩ということでもなかったし、貯金に関して言えば無いという割りに持っているだろうと信用はしていた。
だから退職金は母に預けた。
この件は昨年暮に書いた↓リンク先記事をご覧ください
趣味もなく、テレビも嫌いとラジオから聴こえる話し声と音楽だけを友にして夜は早々に布団に入る。
そんな生活しているとボケるよ!!と私たちはよく母に向かって言っていたが、その通りになった。
コロナ自粛で家にいることが多くなって不平不満を口にする人が多い。
国や首長の対応に不平不満を持ったって相手は目に見えない未知のウィルスと言う存在。
文句言うだけ不毛だと思っている。
私にも不平不満は多いけどコロナ渦に於ける不平不満は一切ない。
母と違って私には好きなこと、やりたいこと、楽しいことがたくさんあって毎日が忙しくあれこれと考えているとあっという間に時は過ぎていく。
買い物や旅行に行けない不満を思い、家にいても何をして過ごしていいのか分からない。なんてボーと考えていると脳みその劣化は早まると思う。
広く浅くで良い
心の引き出しはたくさんある方が人生は楽しい
マイナスで考えるよりプラス思考で生きた方が人生は楽しい。と思っている。