2021年(令和3年)2月7日(日)
三池炭鉱専用鉄道敷跡は下の地図の緑色の路線で、炭鉱全盛時代に福岡県大牟田市と熊本県荒尾市を石炭運搬と炭鉱労働者の通勤に使われていました。一般の人も無料で乗ることが出来ました。中学生の頃、友人たちと乗った記憶があります。
福岡県との県境近くにまだ旧西原駅のプラットホームが残っています。
東の方向です。
小高い山は「こくんどさん」で有名な四ツ山です。。
線路は取り払われていますが、コンクリートの枕木は残っています。左側が上りの、右側が下りのプラットホームです。
上りは終点の三池港駅に向かいます。三川鉱のそばです。
下りは原万田駅ー大平駅ー宮内駅ー大谷駅と続き終点の平井駅まで続いています。宮内駅にはプラットホームと、雨避けが建っています。駅名標がありましたが、朽ちてしまい支柱だけが残っています。
四山神社への北側参拝道が見えます。
国道389号線。南の荒尾干潟、玉名、熊本方面へ向かう道路です。
反対側、県境、大牟田方面です。(次回は旧宮内駅跡を紹介します。)
荒尾二造の変電所跡などは各団体の遺跡巡りなどでも人気があります。
弥山金物店の前身は「有明映画劇場」でした。
故・弥山貢さん(県会議員も歴任)が創立されました。
長女は中学の同級生でしたよ。
他に映画館は新世界、名画座、宝星映劇、一丸館、中央館などがありました。
これは楽しみです。
荒尾には軍事遺跡がまだあり、
さらにかつて炭鉱で栄えたときには、荒尾には映画館が複数あったとも聞いています。その1つが本村の金物店だとも聞いています。
先生はリアル体験でご存じなのでいつか荒尾の史跡をまとめてご一緒して見学したいです。
連絡を待っていますよ。
紹介したのは玉名線ですが、他にもまだ残っていますよ。
三川鉱跡に展示され、今も見ることが出来ますよ。
姉婿の兄さんがこの炭鉱電車の運転手をしていましたよ。
そうですね、あの踏切をまたいでいくと
映画館が建ち並んでいましたよね。盆正月には三川町まで映画のハシゴをしていました。
「さわやか自然百景」を通してまた荒尾の魅力が伝わって良かったです。
妹さん、間に合われたでしょうかね・・・。
肉眼ではなかなか見られない鳥の餌取りなどが良く捉えられていましたよ。
何本も鉄道線があったので、名残はまだあちこちに残っていますね。
だいぶ前ですが「万田坑おもしろ講座」に参加した折にも
そういう鉄道線跡を見て回りましたよ。
そうです、宮原坑から万田坑へ通じる線もあり、今も跡をたどれます。
炭鉱電車、なつかしい名前です。
県境に買い物に行くとき いつもこの旧線路を横断していましたから。
乗ったことはないですね。
昨日の朝、荒尾干潟見ましたよ。
旧荒尾住民でありながら こんなに渡り鳥たちの様子を見たことがないのは残念です。
妹にも早速電話しました。今ならみられるのかな 見たいと言っておりました。
いると思います。
朝はウトウトして見ることは滅多にありません。
三池炭鉱専用鉄道敷跡は宮原坑の敷地内から下を見ると
鉄道の敷地址が見られます。
もう木材はすっかり取り外されていて鉄道があったことを
偲ばせています。
宮原坑の鉄道あとを歩いて行くと万田坑に繋がっていると
聞いた事はありますよ。
全盛期の頃から17,000人以上人口が減ったのですよ。
荒尾三中は多い時には生徒数が1,800人を超え
三井鉱山が土地を提供し倉掛に荒尾三中を分校が出来たほどです。
後に荒尾五中になりましたが、生徒数の激減で数年前廃校となりました。
昔日の感がありますね。
さすがは勉強家のとん子さんですね。
見習わなくちゃいけませんよね。
2013年にも「荒尾干潟さわやか自然百景」が放送されましたよ。
その時には安尾さんとサポートしました。
コロナが収束したら是非荒尾干潟においでくださいね。
私と安尾さんで案内しますよ。
「両手に(爺)イケメン」できっと若返られますよ。
今もこちらの盆踊りでは♬サノヨイヨイと「炭坑節」がありますよ。
こちらも閑散としていましたよ。
そうですか、momomamaさんから連絡があったのですか。
持つべきものは”友”ですよね。
他に余りすることもないし、雨の降らない限り毎日歩いていますよ。
きょうは12,064歩、歩きましたよ。
今朝慌ててラインなどで知らせたので見損じた人もあったようです。
でも放送中や放送後にあちこちの知人、友人たちから
「さわやか自然百景で荒尾干潟があっている」とか
「とても素晴らしかった」とか電話やコメントをたくさんいただきました。
安尾さんも全国各地から20名ほど連絡があったと喜んでいましたよ。
荒尾干潟を短時間でつぶさに紹介されていましたね。
事前にブログで放送予定を紹介しておけば良かったと
反省していましたが、良くまあご覧いただいていたことに感激していますよ。
生き物は生き物を食べ、そして食べられもする・・・輪廻ですよね。
ずうっと学校の職員室は石炭ストーブでしたね。
ストーブの番人のボスの先生がいて決して人には触らせなかったですね。
私などが石炭を入れようとすると
「だめだめ、まあだ10年早かばい」と叱られたものです。
荒尾市に関係あるのはこの玉名線と万田坑まで乗り入れていた勝立線です。
石炭最盛期の昭和25年の本市の人口は68,976人でした。
昨年末の人口は51,641人です。
17,335人も減ったことになりますよね。
あの頃、炭鉱で働いてた人やその家族の方々の大半は
全国各地へ散らばっていったのではないでしょうか。
私の中学校時代、炭坑社宅に住んでいた友人たちの消息もほとんど分りません。
旧駅跡のプラットホームに立つと
「強者どもが夢の跡」と言う思いがしきりにします。
炭鉱電車有りましたね
遠い昔乗ったことが有りました
荒尾も炭鉱で栄えた頃もあったんですよね
今は昔になりましたね
矢張り皆さんも見てらっしゃいましたね。
メモ取りながら見ていましたよ・・
1・・ダイセン・・シロチドリ・・3000羽も来るとの事・・
2・・しほふき・・ダイセン実が。入った其の儘重そうに運んでいました。
3・・クロツラヘラサギ・・カワウがボラを咥えていました。
4・・ミサゴガ海へまっしぐら
5・・鳥を狙うハヤブサ‥鳥達の天敵・・
6・・豊かな餌・・蟹・・ヤドカリが100種類くらいいる楽園ですって・・
思わぜどんこさんが出てくるのではないかと心待ちして見ていました。
一度現地にへいきシロチドリに会いたいな~~と思いました。
三池炭鉱は歌にも歌われてた花型の職業でしたよね。
昔はこれで発展したんですもの・・
ありがとうございました。
朝の番組で話がそれてごめんなさい。
とにかく必死で書いたりしてたので鳥の名前が可笑しかったら笑って下さいね。
朝モモママさんから知らせていただいて、荒生干潟の鳥たちを見せていただきました!!
日々、バタバタの中で、ブログや、情報を共有させていただけることは、本当に有難く感謝感謝です
一つ気づいたこと クロツラヘラサギです。
どんこさんのブログで 見わけもつくほどになりましたが(写真)
餌を獲る所 ツンツン じゃなく 嘴を 水に浸けたまま
ズズズズーッと 動いていました、
オットー
炭鉱専用鉄道 もしかしたら一部分 見たことがあるかもしれません
石橋探訪で うろうろするから 街角の風景も
どことなく 懐かしいです。
朝 南の空に 三日月がきれいでした。
寒い時期には三日月の方が似合う気がします。
貝殻が堆積した白い海岸に色々な鳥たちが餌を啄んでいます。
どんこさんのブログで覚えたシギやシロチドリ、クロツラヘラサギ・・・色々出て来ます。
塩が満ちた景色が一新・・・ハヤブサも飛んでいます。
急降下して小さな鳥を狙っています。
春には体重が2倍にもなる渡り鳥たちの楽園、荒尾干潟、素晴らしい所だと改めて認識しました。
三池炭鉱跡の記事だったのに・・・ごめんなさい!
社会人になり始めのころ、職員室は達磨型の石炭ストーブでした。
一番に出勤して、石炭を運び火をつけて皆さんが来るのを待った思い出が蘇りました。
お早うございます。
♬月が出た出た 月が出た
三池炭坑の 上に出た
当時のエネルギーを賄っていた石炭、時代は変わって石炭から石油へそして今は電機や水素へと変わりつつあり・・・・・。
此処三池地方はすべてが石炭と結びつき、日本を動かしてきたのでしょう。
小学校の暖房は石炭でした、今思えば九州の方から来ていたかもしれぬ……。
・古はすべて石炭エネルギー
石炭運んだ廃線の跡 (縄)