平成18年11月4日(土)
近くて遠い国が核実験を行ったとの報道が電線のハトにも伝わってきました。
鳩夫:(演歌歌手・美○憲○の口調で)「ねえ、ハト子ちゃん、聞いた?イヤね え・・・。北△△が核実験をやった言うじゃない」
ハト子:「聞いたわ」
鳩夫:「あんた、驚かないの?」
ハト子:「別に・・・」
ハト夫:「まあ、世界情勢に無関心なのね。」
鳩夫:「ニッポンへ向けて発射してこないかな。心配で夜も寝られないわ」
ハト子:「そんなこと、“美しい国”へは絶対するはずないんじゃない」
鳩夫:「“美しい国”だかどうか知らないけど心配なのよ。もっと制裁を強化しなくちゃ。国連もどんどん圧力をかけなくちゃ」
ハト子:(独り言のように)「核○○を有り余るほどに持っている大国が、小さな国が持とうとするとナゼ目くじら立ててケシカランと言うのかしら?大きな棍棒を持ったガキ大将が、洟垂れ小僧に小枝を持っているのはケシカラン。捨てなければどういうことになるか分かってるな、と脅しているようなものじゃない?」
鳩夫:「イヤイヤ、あの洟垂れ小僧はとんでもない悪ガキで理不尽なヤツだから、こらしめて当然なんだ」
ハト子:「ふーん、常識が通用しない国だとは分かる。拉致問題も深刻だし・・・。解決の見通しも暗いわ。でもいくら戦争だからと言って、青息吐息の日本に2発も原爆を落として何万人もの人々を殺傷したのも、大国から言わせれば、こらしめたことになるのかしらね」
鳩夫:(無言で天ヶ○ブルースを口ずさむ)
ハト子:「ねえ、あたしたち平和のシンボルだったはずよ、もうケンカはよしましょ。せめてここら辺りくらい“美しい空間”にしましょうよ」
鳩夫「ああ、やっぱりひとり、いや一羽の方がせいせいするヮ」と羽繕いをする。
鳩夫「あんた、見てたのね」
近くて遠い国が核実験を行ったとの報道が電線のハトにも伝わってきました。
鳩夫:(演歌歌手・美○憲○の口調で)「ねえ、ハト子ちゃん、聞いた?イヤね え・・・。北△△が核実験をやった言うじゃない」
ハト子:「聞いたわ」
鳩夫:「あんた、驚かないの?」
ハト子:「別に・・・」
ハト夫:「まあ、世界情勢に無関心なのね。」
鳩夫:「ニッポンへ向けて発射してこないかな。心配で夜も寝られないわ」
ハト子:「そんなこと、“美しい国”へは絶対するはずないんじゃない」
鳩夫:「“美しい国”だかどうか知らないけど心配なのよ。もっと制裁を強化しなくちゃ。国連もどんどん圧力をかけなくちゃ」
ハト子:(独り言のように)「核○○を有り余るほどに持っている大国が、小さな国が持とうとするとナゼ目くじら立ててケシカランと言うのかしら?大きな棍棒を持ったガキ大将が、洟垂れ小僧に小枝を持っているのはケシカラン。捨てなければどういうことになるか分かってるな、と脅しているようなものじゃない?」
鳩夫:「イヤイヤ、あの洟垂れ小僧はとんでもない悪ガキで理不尽なヤツだから、こらしめて当然なんだ」
ハト子:「ふーん、常識が通用しない国だとは分かる。拉致問題も深刻だし・・・。解決の見通しも暗いわ。でもいくら戦争だからと言って、青息吐息の日本に2発も原爆を落として何万人もの人々を殺傷したのも、大国から言わせれば、こらしめたことになるのかしらね」
鳩夫:(無言で天ヶ○ブルースを口ずさむ)
ハト子:「ねえ、あたしたち平和のシンボルだったはずよ、もうケンカはよしましょ。せめてここら辺りくらい“美しい空間”にしましょうよ」
鳩夫「ああ、やっぱりひとり、いや一羽の方がせいせいするヮ」と羽繕いをする。
鳩夫「あんた、見てたのね」
平成18年11月3日(金)
私の市には大きな河川はありません。北部には関川が流れ、これはお隣の福岡県大牟田市で諏訪川と合流して有明海に流れています。
次は私が良く散歩する浦川です。河川工事がされて川幅が大きくなりましたが、そのために昔ながらの石橋は消えてしまいました。もう一本は菜切川です。これは平山川が合流して市の南東部を流れ浦川同様最後は隣の長洲町の有明海に注いでいます。
今回は石橋研究所のKURODO@さんやmomomamaさんに触発されて、先ず身近な菜切川の橋の探訪に出かけました。残念ながら我が市には歴史とロマンを秘める石橋はわずかしか残っていません。今ある生活橋を訪ねることも意義がありそうだと思って出かけてみました。
菜切川の上流から数えて十番目に架かっている硯川橋です。
元は石橋だったのですが、昭和37年12月20日に改修されました。長さ10.5㍍、幅2.3㍍の小さなコンクリートの上路橋です。
橋の手前には小さな石橋がありました。手作りの温もりが感じられます。
以前はこの岩場で洗濯物をしていたと近所のお年寄りが話してくれました。
ちょっと上流の川幅の狭いところにも飛び石が敷いてありました。
雨不足で水量が少なく、せせらぎの音も控えめでしたが、橋の先は行き止まりのため通行量はさほど多くありません。
若い頃、子どもたちとここに写生に来たことを思い出しました。
ここです。硯川橋
私の市には大きな河川はありません。北部には関川が流れ、これはお隣の福岡県大牟田市で諏訪川と合流して有明海に流れています。
次は私が良く散歩する浦川です。河川工事がされて川幅が大きくなりましたが、そのために昔ながらの石橋は消えてしまいました。もう一本は菜切川です。これは平山川が合流して市の南東部を流れ浦川同様最後は隣の長洲町の有明海に注いでいます。
今回は石橋研究所のKURODO@さんやmomomamaさんに触発されて、先ず身近な菜切川の橋の探訪に出かけました。残念ながら我が市には歴史とロマンを秘める石橋はわずかしか残っていません。今ある生活橋を訪ねることも意義がありそうだと思って出かけてみました。
菜切川の上流から数えて十番目に架かっている硯川橋です。
元は石橋だったのですが、昭和37年12月20日に改修されました。長さ10.5㍍、幅2.3㍍の小さなコンクリートの上路橋です。
橋の手前には小さな石橋がありました。手作りの温もりが感じられます。
以前はこの岩場で洗濯物をしていたと近所のお年寄りが話してくれました。
ちょっと上流の川幅の狭いところにも飛び石が敷いてありました。
雨不足で水量が少なく、せせらぎの音も控えめでしたが、橋の先は行き止まりのため通行量はさほど多くありません。
若い頃、子どもたちとここに写生に来たことを思い出しました。
ここです。硯川橋