どんぎょんダイアリー

ドンワン(シンファ)、イム・テギョンさんが大好きです^^

Im Tae Kyung&Kim Dong Wan

イム・テギョン“声失って歌をあきらめようとした”(インタビュー②)(過去記事^^;)

2015-03-03 | イム・テギョン
テギョンさんの過去記事、インタビュー②、4年前の記事です。。。


過去に遡る前に・・・テギョンさんの公式HPスケジュールにUP
されてた予定です。


5月2日(土) PM6:00~ 

한국일보 음악대축제(韓国日報 音楽大祝祭)

@Hollywood Bowl(ハリウッドボウル) LA,USA



Hollywood Bowl・・・懐かしいなあ・・・



では、4年前の過去に戻って


テギョンさんの声の事は少しは知ってたけど、交通事故の事は
今回初めて知りました。

肋骨2本を損傷して、舞台でよく歌えたなあと感動します




※コメント欄、外してます。。。






イム・テギョン“声失って歌をあきらめようとした”(インタビュー②) 2011-11-09

イム・テギョンは生涯歌だけしてきた。ミュージカル舞台で、大衆の前で驚くほど多くの歌を歌ったが、瞬間瞬間、歌を大切に対しなかったことが
なかった。最善を尽くさなければ具合が悪いというイム・テギョンだが最近さらに格別な気持ちで歌を歌っている。声を失うところだったひやりと
した経験はイム・テギョンに新しい天の命令を付加した。












最近NEWSENとインタビューで、イム・テギョンは声を失って再び舞台に立つまで一編の映画のような過程を詳細に説明した。首に問題が感知
されたのは7月頃だ。 KBS 2TV ‘不朽の名曲2’出演以後、せきが頻繁に出始めると声が出てこなかった。進行中だったラジオから下車して不安
感は大きくなっていった。

“声を失ったと考えた。歌をできなくなる最悪の状況まで考えていた。そのような折り‘不朽の名曲2’で再び出演依頼がきた。声を失うかも知れ
ないと考えると舞台で死にたかった。たとえ歌はでたらめにすることになっても舞台で最善を尽くしたということをお見せして行きたかった。切実な
気持ちで舞台に上がった。”

リハーサル一度もなく舞台に上がって多くの悩みと心配が襲撃した。イム・テギョンが信じたのは’感’だ。5歳の時から歌を歌ってきた体を信じて
舞台に上がった。イム・テギョンは“ミュージカル‘冬のソナタ’をする時交通事故がおきて肋骨2本出ていったのに2幕を全て歌った”として、“切実
ならば時には精神が肉体を支配する”と信念を打ち明けた。その信頼のおかげなのかイム・テギョンが歌ったユン・シネの‘열애(ヨレ)’はどんな
舞台より熱かったしイム・テギョンの名前を大衆の脳裏に刻印させた。

イム・テギョンは‘不朽の名曲’が終わるやいなや外国へ離れた。スペイン、フランス、ドイツ、アメリカを回って声探しに激しく没頭した。“私がする
ことができるのは尽した”というイム・テギョンの情熱のためなのか、再び帰ってこなそうだった声が帰ってきた。イム・テギョンは1ヶ月余りの声探し
旅行を終えて10月初め帰国した。

声とともに帰ってきたイム・テギョンが一番最初に訪ねたのは公演会場だ。彼は“切実だった声を探したら舞台に上がりたかった。待ってくれたファン
たちに報いたかったが公演会場大観が容易ではなかった”と説明した。公演界最大のシーズンである12月大観は毎年初めに全て締め切られるほど
激しい。10月に年末公演を捉えることは事実上不可能だ。諦めている時奇跡のような機会が訪れてきた。12月10日に開かれるイム・テギョン送年コン
サートがまさにそれだ。趣旨まで良い。イム・テギョンは自ずと意欲に満ちている状態だ。

“青少年のためのアートホール建設基金用意公演の性格を有している。音楽する青少年に舞台経験が重要だが我が国は青少年のためのアートホー
ルがひとつもない。不足した空間を建設するのに力を加えることができる公演なのですぐに受諾した。最小限の目標は青少年のためのアートホール
建設敷地を用意することだ。私の肩が重いが楽しくなって準備している。”アートホールが建設される場合、名前は‘イム・テギョンホール’になる。イム・
テギョンは“身に余る待遇なのに私の意図と真心を美しく見られた”としつつも自慢した。

地獄のような瞬間を経験してきたので公演で見せてあげたいのも多い。家族愛、愛を伝えたい。イム・テギョンは、“どんな状況に置かれていても、
誰かは私を大切にしているという信頼を与えたい。すでにときめいて楽しい”と伝えた。


@뉴스엔




イム・テギョン“少女時代に直接会ってみて..” (インタビュー①) (過去記事^^;)

2015-03-03 | イム・テギョン
テギョンさんの過去記事・・・2011年の記事・・・4年前になりますが
ちょっと気になったので訳してみました。


あくまでも自分用の記録のため


ラジオスター映像は見たことがあったけど、テギョンさんと少女時代の
組み合わせが不思議だったような記憶が。。。


この頃はテギョンさんをまだよく知らない時期なので、過去記事がもっと
気になってきました


インタビュー②に続く~ニコニコ




※コメント欄、外してます。。。








イム・テギョン“少女時代に直接会ってみて..” (インタビュー①) 2011-11-09


イム・テギョンは限界がない。彼の名前の前に置かれた数多くの修飾語の種類がこれを反証する。クロスオーバーテナーで大衆の前に現れた
イム・テギョンは、ある日ミュージカル俳優に変身して突然芸能番組に出演した。すべての可能な変化はイム・テギョンに楽しみだ。

KBS 2TV '不朽の名曲2'に出演するときついことで定評がある、MBC‘黄金漁場-ラジオスター’に出演したという便りが聞こえてきた。イム・テギョ
ンは最近NEWSENとインタビューで‘ラジオスター’出演所感を伝えた。KBS 2TV ‘不朽の名曲2’でキム・グラと縁があるにも関わらず舌を巻くほど
きつくて考える余裕もなかったとのこと。ここに大韓民国男性たちのロマン 少女時代のジェシカ、テヨン、ティファニーが一緒に出演したので芸能
初心者イム・テギョンがどれくらい緊張したのだろうか。









“率直な性格なのでキム・グラさんの毒舌は恐ろしくない”というイム・テギョンは少女時代もひたすら妹のようだ。知ってみると少女時代スヨンと
顔見知りである間柄だ。

“スヨンの実姉のチェ・スジンがミュージカル俳優だ。ミュージカル俳優になる前から公演をよく見にきた。自然に知る間柄になった。スヨンはチェ・
スジンの妹なので知っていたが知人と同じ教会に通った。挨拶を何度かしたことがある。 しばしば会わなくてもよく知ってる妹のように感じられた。
スヨンとそのようなことがあって会ったら少女時代にも格別な親近感が感じられた。きちんと挨拶もできなかったがよく知ってる妹の同僚のような
気持ち良い気分で見守っている。”

少女時代、パク・ヘミと一緒に出演したラジオスターは‘ミュージカル俳優’特集で用意された。歌手でなくミュージカル俳優で少女時代ジェシカ・
テヨン・ティファニーに対し格別な同僚の愛も感じられたという説明だ。

イム・テギョンはアイドルのミュージカル進出に対しても肯定的に見守っている。ミュージカル市場の底辺拡大に寄与することができるためだ。イム・
テギョンもやはりミュージカル界に初めて入ってきた時、数多くの試行錯誤を体験して現在の席を占めた。彼らを見る視線と愛情が格別だ。

“ミュージカルをするのは良いがアイドルが処している状況がミュージカルにオールインできない状況だと心配になる。ミュージカルはチームワークが
重要だ。メンバーの連帯感と集団に対する責任感、姿勢を重要だと考える。私もやはり初めてミュージカル界へ越えてきた時越えなければならない
壁だった。最大限の練習とミュージカルにオールインしてよくやり遂げたら良いだろう。”

JYJキム・ジュンスとミュージカル‘모차르트(モーツァルト)’を一緒にしたイム・テギョンは当時の状況も伝えた。

“初めてキム・ジュンスが‘모차르트(モーツァルト)’主演キャスティングされた時、内部でも反対する世論が多かった。製作会社で自分にも了解を
求めたが私は良いといった。むしろスターマーケティングをするにはチケットをまい進させることができるファンを持ったほうがより良いと考えた。残りは
本人の役割だ。最近ではミュージカル俳優もアイドルスケジュールくらいは理解して配慮しようという雰囲気だ。アイドル本人が熱心にして一緒にする
俳優も互いに配慮をするならばアイドルのミュージカル挑戦が悪くないと考える。”

今年多様な媒体を通じて多彩な魅力を見せたイム・テギョンは12月10日キョンヒ大学平和の殿堂で単独送年コンサートを開く。青少年専用アートホール
建設基金用意を兼ねた公演だとイム・テギョンの肩がさらに重い。ミュージカルから‘不朽の名曲’等放送まで合わせて多様な舞台に立った経験をした
舞台で見せてくれるつもりで楽しい。挑戦はイム・テギョンも踊らせる。



@뉴스엔