ミュージカル‘모차르트!(モーツァルト!)'のレビュー記事です。。。
24日、25日と、テギョンさん、ウンテさん、ヒョシンさんの3人が演じる
モーツァルトを見ることが出来たんですが、他記事でも言われてる通り
同じ役でもキャラが違ってて、それぞれの確立したオーラが凄く漂って
いたように感じました。
今までの‘모차르트!(モーツァルト!)'を全く知らないので、比較のしようがなく
これがモーツァルト!なんだと私は受け入れたけど、以前から見られてる方は
記事にも書かれてるような受け入れ方なのかなあという思いもします。
テギョンさんペンなので一番の目的はテギョンさんですが、最高でした~
歌も演技も凄く引き込まれて感動しました・・・またもや号泣・・・
25日の昼公演がテギョンさんで、夜がウンテさんだったんだけど、テギョンさんが
終わって放心状態でヤバい状態のままウンテさん公演に突入。。。
ウンテさんも本当に良くて、こちらでも号泣・・・
このお二人の2本立ては全てにおいてキツイ
というのが正直な感想。
魂を持ってかれてしまいます
と言いながらも、またこのお二人が見たいなあと思ってる私ですが、予定が立たず・・・
他の出演者たちもみんな良かったです~ ヨンギさんはやっぱり凄かった
そのように組んだつもりではなかったんですが、3回ともヨンギさんでした
このようなミュージカルを日本で見たいので上演してください~
※コメント欄、外してます。。。
モーツァルト? モーツァルト! うれしさと懐かしさの間、その周りで会ったあなた‘모차르트!(モーツァルト!)’
▲ミュージカル‘‘모차르트!(モーツァルト!)’のトレードマークであったスレッドヘアースタイルと裂けたジーンズは、2014年公演で1幕の白いかつらと
2幕のロッカーを連想させるオールブラック衣装に変貌した。
2010年初演を始め3回に渡って毎年舞台に上がったが一度も話題作の席を逃してみたことないミュージカル‘모차르트!(モーツァルト!)’が、2年ぶりに
帰ってきた。新しい製作スタッフの参加で演出から舞台、脚本、音楽に至るまで大々的な修正作業をたどりながら、今まで会ってきた3回の‘모차르트!
(モーツァルト!)’とは明確に異なった姿だ。
まず目に映った変化は舞台と衣装だ。チョン・スンホの舞台とハン・ジャイムの衣装は、昨年末公演された‘베르테르(ウェルテル)’を通じてクラシック
ながらも洗練された雰囲気演出で深い印象を残したことがある。‘모차르트!(モーツァルト!)’でもやはり調和を成し遂げた二つの作業は、舞台演出と
キャラクターの性格にも変化をもたらした。
▲強烈なレッドと高級なゴールド、あらゆる事を飲み込んでしまうようなブラックが調和を作り出した舞台はモーツァルトの頭の中の音符を形象化
したデザインで隠喩性を加える。
強烈なレッドと高級なゴールド、あらゆる事を飲み込んでしまうようなブラックが調和を作り出した舞台はより派手になっただけでなく、モーツァルトの
頭の中の音符を形象化したデザインで隠喩性を加える。‘모차르트!(モーツァルト!)’のトレードマークであったスレッドヘアースタイルと裂けたジーン
ズはロッカーを連想させるオールブラック衣装に変わって自由奔放でスタイリッシュなモーツァルトで再誕生する。
音楽もまた感じることによって体感の差はあるが全般的に新しくなった感じだ。これは3曲のナンバー追加の他に既存のナンバーを対象にした編曲と
これに伴う改詞作業が一緒に成されたところと起因する。追加されたナンバーのうち'쉬운 길은 잘못된 길(シュィウン キルン チャルモッティンキル)'は
コロレド大主教とモーツァルトの葛藤を入れた曲で、二人の男俳優の名品ボイスを思う存分鑑賞できる機会でもある。
▲ 1幕の'내 운명 피하고 싶어(ネ ウンミョン ピハゴシポ)'で、アマデがヴォルフガングの腕に向かってよどみなくペン先をずっと刺す場面は劇的な
演出が引き立って見えた名シーンの中の一つだ。
’황금별(ファングムピョル)'や、1幕と2幕フィナーレを飾る’내 운명 피하고 싶어(ネ ウンミョン ピハゴシポ)'は、場面演出だけ変わったのみならず馴
染んだ旋律に、“やはり!”という短い感歎詞とともに目をとじたまま鑑賞する観客も多い。特に、'나는 나는 음악(ナヌン ナヌン ウマク)'でアマデとヴォ
ルフガングが鏡を間に置いて向かい合う場面と、1幕の'내 운명 피하고 싶어(ネ ウンミョン ピハゴシポ)'でアマデがヴォルフガングの腕に向かってよど
みなくペン先をずっと刺す場面は劇的な演出が引き立って見える。
舞台と音楽を合わせる最も大きい変化はドラマ、アマデの比重拡大にある。今までの舞台と比較すると相対的に大きくなったアマデの比重はドラマの
理解を助けるのに寄与するところが大きい。モーツァルトの幼い時期天才的な才能を象徴するアマデと青年に成長したヴォルフガングの対立は大主
教と作曲家、父と息子、天才と人間の間の葛藤で中心軸として作用する。
▲枠組みにしばられたくないモーツァルトの創作欲と作曲スタイルは時代状況とかみ合わさってコロレド大主教と葛藤を生じさせる。
枠組みにしばられたくないモーツァルトの創作欲と作曲スタイルは時代状況とかみ合わさってコロレド大主教との葛藤につながり、父から自身の姿
そのまま愛されることを願う渇望はモーツァルトの胸に傷で残ってお互いが死ぬその瞬間までも心の距離を狭めることができない。内的にはモーツァ
ルトの才能とこれを利用して彼の人生を思うままにしようとする人々から抜け出そうとする自由意志が両立する。
ミュージカル‘모차르트!(モーツァルト!)’との再会はうれしさと懐かしさを交差させる。作品全般に試みた変化は興味深いが、馴染みさは見るより力が
強くて過去の‘모차르트!(モーツァルト!)’に対する懐かしさも後からついてくるからだ。2014年のモーツァルトは見慣れなさと馴染みさということが並んで
入っている、また別の‘모차르트!(モーツァルト!)’だ。
@문화공감