14歳の頃、ザ・ビートルズ やザ・ベンチャーズとか 同級生が古賀メロディーを弾いていて それを見よう見まね 家に帰ってからボロボロのギターで…あぁでもないこぉでもないと勉強そっちのけで掻き鳴らしていた。
初めは、ベンチャーズ のパイプライン ダイヤモンドヘッド・・・と耳コピで 《今みたいにC.Dとかアイポッドなんか なかったので、ラジオの前に座り込み 聞こえてくる気に入った曲が流れて来ると その曲を必死に聞く!目的の曲がかからないとその曲はなかなか覚えられない》
学校で 友達とお互いに耳コピして来た曲の答え合わせ、そうこうしているうちに
バンドを結成!「ザ・ホビーズ」と名ずけ、いろいろ手掛けたが 当時グループサウンズが盛んで その中でザ・ランチャーズの「真冬の帰り道」することになり、私は
ベースを担当し 自分のパートは勿論 リードギター・コーラス・・・と必死に耳コピしたものでした。
それが、後に大きな力になりました。
それから、ローリングストーンズ ビートルズ キャロルキング ビートルズ・・・と
やりたいと思った曲は ほとんど、耳コピで覚えましたした。
今 思うと間違って覚え込んでいるものも結構ありましたが、そのことで 大体のコード進行を頭に叩き込むことができました。
高校を卒業して、調律の勉強をするために、研究生として浜松の東洋ピアノという所で修行はじめました。
そこで、知り合った 元JAZZマン(M氏)と知り合い 彼からいろんな音楽の話しを聞くというより聞かされる、教えると言うよりは 一方的に喋り捲る~あるときはモーツアルト あるときは ドビュッシー・管楽器について・弦楽器について 、特にjazzの話は、リズム・jazz和声 テンションコード・アプローチノート・ベースライン・・と
彼は、とくに「対位法」に関しては熱っぽく語り・・・長い夜は更けてゆくのでした。
19歳の僕には、ほとんどのことが訳がわからず…しかしながら さして苦にならず
まるで、神の言葉を聴くように 彼の姿は後光がさしていた。
だから師匠というより「神さマン」でした。
それでも彼は、当時流行ってた「イパネマノ娘」のコード進行を題材にレクチャーしてくれおぼろげに理解?理解したのだ。
ーー 4度進行と 半音上はドミナント 半音下はサブ ドミナント ーー
今は、何と無く分かるが、当時は半信半疑 ・・・師匠とは 呼べないが、以降 独学
をする時の指針となりました。
25歳の頃、作曲の勉強がしたくて音大へ行こう!と思いたち ピアノを買いバイエルからレッスンを始め週に一回作曲の先生のところへ期待に 大きく胸を膨らませて、通い始めました。
が、しかし 音楽の話はせず 、以前専属をしていた 某レコード会社の時に採用された曲の自慢、デレクターの悪口。
如何に アロハシャツが素晴らしいか、そんな話の間に、オブリガードの正しい付け方・・・アァついてゆけない!
また 宇宙人とコンタクトとるには、体に電気を蓄えなくては…と言ってコンセントに指を突っ込むーつっこむ!?
素晴らしい‼︎⁇師匠でした。
それでも、音楽の形式、4声部の和声をしっかり訓練すること、限られた音の中で、どれだけ可能性があるか、どう組み立てるか・・・。
そう思うと 、前半の 寄稿 も(既成概念にとらわれない様に。)と言う教えと解釈出来ないとも言えないのです。
イヤー今、思うと 愛すべき 素敵な師匠でした。
さくらんぼのうたの作曲もなる程と納得しました。
因みに昇のあだ名は師匠U+2757U+FE0F