8月も既に5日過ぎ、ようやく夏休みらしい天候となった。
では、北海道旅行最終章の最終。
7月16日
苫小牧から一般道を通って室蘭へ。
地球岬を見たかったのに、ナビゲーションをつかってもいけなかった。
あちこち工事中で、ついには海の上を走る高速に乗ってしまったのです。
ああ、ここは何処? 解りませーーーーーン!!
ここは鳩山由紀夫さんの選挙区だったことだけは確かです。
17日早朝3時のフェリーに乗る予定だったので、ゆっくりと一般道を走り、10時少し前函館に到着。
うまいことに、フェリー乗り場の近くに温泉があった。
東前温泉
10時頃からおよそ1時間。
人も少なくてのんびりとゆっくりと温泉につかることが出来た。
ロックは車でお留守番です。
さて、何故早朝3時のフェリーに乗らなければならないのか。
それは乗りたかったフェリーだからです。
津軽海峡フェリーのブルードルフィン。
まあ、新しい船だからとでも、それに中型犬までは快適な船室を用意してあるのに。
何故、大型犬には快適な船旅をご用意してくれないのか!!
許せん!!
暗がりのドッグランで遊ばせて疲れさせ、ウン○も済ませてロッちゃん車でお留守番していてね?
すぐ着くから。と、言い聞かせる。もちろん車の中にはお水も用意して。
今回の船旅のお客様は、牛さん専用トラック1台と、トラック5台と、バイク7台と、乗用車9台。
牛さんも沢山乗ったままで海を渡るんだね。
朝6時50分、青森港到着です。
今日の予定は、岩手県小袖海岸と野田村です。
途中どこか解らない道の駅。
古いおうちであることは間違いないのですが、、、、、。
昔は、馬も稼ぎ手として重要な役割を担っていたのでおうちに同居です。
と言うか、雪が多く降るので少しでも暖を取るための同居?
ここであんぽんたんの黒ラブは、鼻のてっぺんを火傷してしまいました。
ふらふらと、あっちこっちメールしまくって、タバコを吸っているおじさんたちのほうへぐいっと鼻を突き出したのです。
真っ赤なタバコの先が、鼻のてっぺんに瞬間触れたかとおもったら、毛がこげていた。
犬と私も吃驚したけど、おじさんたちもっと吃驚した。
急に出てきたおっきい黒い犬が、自分のタバコの火で鼻の毛を焦がしちゃったんだから。
いやぁ本当に危機管理能力のない犬です。
青森からおよそ3時間位で着きました。
道路は細い道で車1台しか通ることは出来ません。所々に車寄せがあります。
土曜、日曜、祭日はマイカーでは行かれません。
多分、震災で被害を受けたのでしょう、道路もガードレールも新しかった。
小袖海岸も、漁港も小さな漁師小屋も全部新品でした。
海女さんの実演は、土、日、祝日だけですが、団体の予約が入ると500円で一般の人も見られると言うので、参加しました。
6月中旬の気候。海に入った海女さん2人は、唇が震えていましたが何回も潜ってくれました。
隣の人が時計を見て15秒くらいだなと言ってましたが本当はもっと長く潜れるんじゃないかと思います。
取ったうには又返します。
ストーブさんがいた監視小屋もありました。
ここでも俺は人気者です。
綺麗ね。つやつやしてるなんてね。
漁港の近くのまめぶは200円なのに、素潜りをする近くの久慈市観光協会のまめぶは、300円でした。
うに丼もありませんでした。
でも、たこが大きくて安かったのです。が、まだ道のりが長いので買うのを断念しました。
海女さんの実演を見て、次は野田村へ。
じぇじぇじぇじぇじぇじぇーーーーーーーーーーー!!!
一つ山越えた隣じゃーーーーーーん!!
内緒話を一つ。
種市先輩って、本当にいるかもしれない。
だって、種市と言う名字結構この辺ではメジャーらしく、あちこちに種市何とかと言う看板が沢山あった。
野田漁港もすっかり整備され、当時はこんなだったのに
今では新造船が港にスタンバイしてました。
でも、おばさんに聞くと、船を注文してから2年もかかったそうです。
おばさんちの船はつい1週間前に来たそうです。
瓦礫だらけだったところもほんの少しずつ変わってきていますが、2年も経っているのにまだこの位と思われるほど、遅々として進んでいないようでした。
くっきりと当時の津波の高さがわかる山肌です。
瓦礫の処理をするための簡易工場です。
砕いたりすると埃とか舞い散るのでこのテントの中でやっているようです。
大手のゼネコンの名前がテントに書いてありました。
今日は24時間トイレが使える道の駅でのお泊りです。
エスティマは結構寝心地がいいので、車中はいつもロックと一緒なら気になりません。
むしろ、どこかに預けるより安心です。
夫に無事のメールをすると、東北は土砂災害注意報が出ているので気をつけるようにとの返事。
夜半から大雨です。
朝も大雨。
ここは気仙沼です。
震災当時、何度もテレビで流された場所です。
何にも出来ていません。工事のトラックは沢山出入りしていて、復興整備はしているのでしょうが、今だ瓦礫は放置されたまま。
幹線道路以外は、ほとんど直っていない。
南気仙沼線路は、泥の中に埋まったままでした。
そして、これもテレビで幾度となく見た光景でしょう。
流された船です。
ほとんどこの場所は復興なんかとかけ離れた状態が、2年半も続いているのです。
未だに瓦礫の山です。
これも津波で被災したお宅です。
あえてブログに乗せます。もし、このお宅の方、嫌な思いをしたらごめんなさい。
最近では、マスコミもあまり取り上げなくなったけれど、ほとんど変わっていない場所でした
。
また、高田の奇跡の一本松を見たいと思ったのですがナビゲーションが同じ場所を何度もぐるぐる回るだけなので、断念しました。しかも大雨だし。
雨は一向にやみそうもなく、ロックをトイレに出しただけでもびしょびしょになり、拭くのも大変だったので、仙台に行こうと思っていたけれど急遽帰宅に変更。
厳美渓やら一関やら、車中からは魅力的な観光地の名前が見えるけれど、いかんせん大雨。
高速に入ってやっと雨がやみ、ほっとするmajo。
走りに走って午後4時過ぎ。
あっつーーーーーい!!無事自宅に到着しました。
11日間、およその走行距離3500キロ。
東北は予定の半分くらいしかいけなかったけれどしょうがない。
大雨がその後も毎日続く東北地方に心を痛めていたけれど、8月にはいってやっと梅雨が明けたみたい。
majoとロックの2年ぶりの北海道、東北の旅でした。
最後まで読んでいただいて、ありがとう!!
本当は写真ももっと沢山UPしたかったのだけれど、gooと、なんだかんだあって出来ませんでした。悔しいです。
あっ体調のほうは旅行終了時点では、95%くらいまで復活しましたが、いまだ98%くらいです。
では、北海道旅行最終章の最終。
7月16日
苫小牧から一般道を通って室蘭へ。
地球岬を見たかったのに、ナビゲーションをつかってもいけなかった。
あちこち工事中で、ついには海の上を走る高速に乗ってしまったのです。
ああ、ここは何処? 解りませーーーーーン!!
ここは鳩山由紀夫さんの選挙区だったことだけは確かです。
17日早朝3時のフェリーに乗る予定だったので、ゆっくりと一般道を走り、10時少し前函館に到着。
うまいことに、フェリー乗り場の近くに温泉があった。
東前温泉
10時頃からおよそ1時間。
人も少なくてのんびりとゆっくりと温泉につかることが出来た。
ロックは車でお留守番です。
さて、何故早朝3時のフェリーに乗らなければならないのか。
それは乗りたかったフェリーだからです。
津軽海峡フェリーのブルードルフィン。
まあ、新しい船だからとでも、それに中型犬までは快適な船室を用意してあるのに。
何故、大型犬には快適な船旅をご用意してくれないのか!!
許せん!!
暗がりのドッグランで遊ばせて疲れさせ、ウン○も済ませてロッちゃん車でお留守番していてね?
すぐ着くから。と、言い聞かせる。もちろん車の中にはお水も用意して。
今回の船旅のお客様は、牛さん専用トラック1台と、トラック5台と、バイク7台と、乗用車9台。
牛さんも沢山乗ったままで海を渡るんだね。
朝6時50分、青森港到着です。
今日の予定は、岩手県小袖海岸と野田村です。
途中どこか解らない道の駅。
古いおうちであることは間違いないのですが、、、、、。
昔は、馬も稼ぎ手として重要な役割を担っていたのでおうちに同居です。
と言うか、雪が多く降るので少しでも暖を取るための同居?
ここであんぽんたんの黒ラブは、鼻のてっぺんを火傷してしまいました。
ふらふらと、あっちこっちメールしまくって、タバコを吸っているおじさんたちのほうへぐいっと鼻を突き出したのです。
真っ赤なタバコの先が、鼻のてっぺんに瞬間触れたかとおもったら、毛がこげていた。
犬と私も吃驚したけど、おじさんたちもっと吃驚した。
急に出てきたおっきい黒い犬が、自分のタバコの火で鼻の毛を焦がしちゃったんだから。
いやぁ本当に危機管理能力のない犬です。
青森からおよそ3時間位で着きました。
道路は細い道で車1台しか通ることは出来ません。所々に車寄せがあります。
土曜、日曜、祭日はマイカーでは行かれません。
多分、震災で被害を受けたのでしょう、道路もガードレールも新しかった。
小袖海岸も、漁港も小さな漁師小屋も全部新品でした。
海女さんの実演は、土、日、祝日だけですが、団体の予約が入ると500円で一般の人も見られると言うので、参加しました。
6月中旬の気候。海に入った海女さん2人は、唇が震えていましたが何回も潜ってくれました。
隣の人が時計を見て15秒くらいだなと言ってましたが本当はもっと長く潜れるんじゃないかと思います。
取ったうには又返します。
ストーブさんがいた監視小屋もありました。
ここでも俺は人気者です。
綺麗ね。つやつやしてるなんてね。
漁港の近くのまめぶは200円なのに、素潜りをする近くの久慈市観光協会のまめぶは、300円でした。
うに丼もありませんでした。
でも、たこが大きくて安かったのです。が、まだ道のりが長いので買うのを断念しました。
海女さんの実演を見て、次は野田村へ。
じぇじぇじぇじぇじぇじぇーーーーーーーーーーー!!!
一つ山越えた隣じゃーーーーーーん!!
内緒話を一つ。
種市先輩って、本当にいるかもしれない。
だって、種市と言う名字結構この辺ではメジャーらしく、あちこちに種市何とかと言う看板が沢山あった。
野田漁港もすっかり整備され、当時はこんなだったのに
今では新造船が港にスタンバイしてました。
でも、おばさんに聞くと、船を注文してから2年もかかったそうです。
おばさんちの船はつい1週間前に来たそうです。
瓦礫だらけだったところもほんの少しずつ変わってきていますが、2年も経っているのにまだこの位と思われるほど、遅々として進んでいないようでした。
くっきりと当時の津波の高さがわかる山肌です。
瓦礫の処理をするための簡易工場です。
砕いたりすると埃とか舞い散るのでこのテントの中でやっているようです。
大手のゼネコンの名前がテントに書いてありました。
今日は24時間トイレが使える道の駅でのお泊りです。
エスティマは結構寝心地がいいので、車中はいつもロックと一緒なら気になりません。
むしろ、どこかに預けるより安心です。
夫に無事のメールをすると、東北は土砂災害注意報が出ているので気をつけるようにとの返事。
夜半から大雨です。
朝も大雨。
ここは気仙沼です。
震災当時、何度もテレビで流された場所です。
何にも出来ていません。工事のトラックは沢山出入りしていて、復興整備はしているのでしょうが、今だ瓦礫は放置されたまま。
幹線道路以外は、ほとんど直っていない。
南気仙沼線路は、泥の中に埋まったままでした。
そして、これもテレビで幾度となく見た光景でしょう。
流された船です。
ほとんどこの場所は復興なんかとかけ離れた状態が、2年半も続いているのです。
未だに瓦礫の山です。
これも津波で被災したお宅です。
あえてブログに乗せます。もし、このお宅の方、嫌な思いをしたらごめんなさい。
最近では、マスコミもあまり取り上げなくなったけれど、ほとんど変わっていない場所でした
。
また、高田の奇跡の一本松を見たいと思ったのですがナビゲーションが同じ場所を何度もぐるぐる回るだけなので、断念しました。しかも大雨だし。
雨は一向にやみそうもなく、ロックをトイレに出しただけでもびしょびしょになり、拭くのも大変だったので、仙台に行こうと思っていたけれど急遽帰宅に変更。
厳美渓やら一関やら、車中からは魅力的な観光地の名前が見えるけれど、いかんせん大雨。
高速に入ってやっと雨がやみ、ほっとするmajo。
走りに走って午後4時過ぎ。
あっつーーーーーい!!無事自宅に到着しました。
11日間、およその走行距離3500キロ。
東北は予定の半分くらいしかいけなかったけれどしょうがない。
大雨がその後も毎日続く東北地方に心を痛めていたけれど、8月にはいってやっと梅雨が明けたみたい。
majoとロックの2年ぶりの北海道、東北の旅でした。
最後まで読んでいただいて、ありがとう!!
本当は写真ももっと沢山UPしたかったのだけれど、gooと、なんだかんだあって出来ませんでした。悔しいです。
あっ体調のほうは旅行終了時点では、95%くらいまで復活しましたが、いまだ98%くらいです。