椿峰のまち

所沢・椿峰ニュータウンでのまちから見えてくるものをお伝えするブログです。

ヒロシマ原爆投下の日 その2

2019-01-25 00:59:08 | 藤村瞬一

3.幻の声、その日の広島放送局

 当日、午前11時ころだったと思うが、苦しそうな男の声で「こちら広島放送局、感度あったら応答ねがいます」を繰り返す連絡放送があったのを記憶している。

 当時は個人用のラジオなどはなかった時代で、寮の廊下のスピーカーから流れていた。「JOBK、JOBK=大阪放送局のコールサイン=」という呼び掛けが入っていたようにも思う。

 ところが1992年に元NHKラジオ番組制作担当の白井久夫氏が書いた『幻の声 NHK広島8月6日』(岩波新書)によると、当時呼び掛けたのは女性アナウンサーだったり、呼び掛けの内容が私の記憶とかなり違っていたりして、50年も前のこと、私の記憶力にも自信がなくなってしまったが、読み進んでいくと、当日大阪や岡山の放送局と連絡をとろうと繰り返すうち、疲れてきたので、何人かの局員が放送担当外の人も交替でマイクの前に立って叫び続けたとのこと。

だから内容もまちまちだったとのこと。記憶違いでなかったので一安心した。記録や聞き取りの限界を示す一つのエピソードとして紹介しておきたい。

4.東練兵場の老婆のことなど

 プリントには見出しだけなのですが、たびたび聞かされてきたことや残っているメモから

 勤労動員が休みの日で、本来ならば爆心地方面に出かけるところを、主人のいた寮だけが行事があったのだとか。→ こちら

 ・6日当日は、被爆して顔もよくわからなくなってしまった寮生が戻ってきて、夜、機械油を体に塗ったりして看病した。苦しんでうめいていて恐ろしいと思った。

 ・7日に親類宅の様子を見に現在の広島駅北側のあたりを歩いていたら、肩から下げていた水筒に老婆が飛びついて来て怖くて逃げてしまった。

 ・トラックからのおにぎりの配給を待っているとき、倒壊した家の梁に挟まれて動けなくなった姉が猛火に包まれるのを見届けるしかなかった女学生からその話を聞かされた。見ず知らずの人間にでも話さずにはいられなかった?

 



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