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D51-349号機

2022-10-26 05:33:06 | 鉄道
長野県諏訪市と岡谷市、諏訪郡下諏訪町の3市町間にある諏訪湖。その近くにある岡谷市諏訪湖ハイツにD51-349号機が静態保存されている。この機関車は、のちに紹介するが、煙突が従来のD51型と少し異なる形状をしているのが特徴である。
 
それぞれ5方向より撮影。屋根付きで保存されているが、スペースの関係で支柱が機関車に干渉している。
 
先ほど伝えた349号機の特徴は、一般的な円柱型の煙突でなく前後に細長い長円形をした形状の煙突である。これは、「ギースル・エジェクター」または「ギースル式誘導通風装置」という煙突の一つ。オーストリアのウィーン工科大学教授「アドルフ・G・ギースリンゲン」が考案した。
 
一般的な円柱型ではなく、前後に細長い長円型である。
これは、「ギースル・エジェクター」もしくは「ギースル式誘導通風装置」という煙突の一種。オーストリアのウィーン工科大学教授「アドルフ・G・ギースリンゲン」が考案した。
 
その煙突には、長方形の枠がある。この部分には「Giesel-Ejector-with-Super-Heart-Booster」とという銘板が記されていた(和訳すると、高燃焼補助装置)。同機が、本装置を最初に装着した2機のうちの1機。あと1両は同357号機(1940(昭和15)年日立製作所製造→1974(昭和49)年廃車のち解体)である。357号機は、1963(昭和38)に国鉄郡山工場(現:JR東日本郡山総合車両センター)で取り付けられた。同じくして、349号機も同年に国鉄長野工場(現:長野総合車両センター)で取り付けられた。
最終的に、ギースル式の煙突に改造されたD51型は36両が施工。その中には、岡山県倉敷市に保存の842号機、北海道の953号機、神奈川県厚木市の1119号機も含まれる。
 
キャブ(電車でいう乗務員室)
同機は、1964(昭和39)年~76(昭和51)まで北海道地区での活躍実績があったが、キャブ密閉工事は見送られた。前面窓は運転席は旋回窓を、女子関川はゴム支持のままである。
 
キャブ内は、外からでも確認できる。ただし、はしごは設置していない。そのため、転落事故防止や安全面の観点(アスベスト)、さらには部品盗難防止の観点から立ち入り禁止になっていた。計器類に関しては、目視で確認したが荒廃しているものもあるが、大方残存していた
 
それぞれ、公式、非公式側の第1~第4動輪。機関車周囲は柵で囲んでなく、近くに行って観察した。「D51349」の刻印を確認できた
 
主輪棒やロッドにも「Ⅾ51349 42.1.28 NH(OM)」を確認できた。OMは国鉄大宮工場(現:JR東日本大宮総合車両センター)、NHは国鉄苗穂(なえぼ)工場(現:JR北海道苗穂車両所)
 
手前の部品は、「Ⅾ51349」の刻印を確認できた。画像左の部品は「Ⅾ51326」の刻印を確認できた。
 
スポーク型の従輪。ここも刻印を確認すると「Ⅾ51326」と表示していた。
 
実際の画像。従輪の刻印をUPしたもの。光線状態で分かりにくいが、画像中央に「Ⅾ51326」の刻印がある。
 
ここにも、349号機とは別機の刻印があった。分かりにくいが、「Ⅾ5118*」と確認できる。349号機が上諏訪機関区に在籍していた時、同じくして在籍していたD51型ならば、消去法で考えると、180か183号機の可能性がある(いずれも、上諏訪や北海道での活躍実績あり)。
 
 
かつての諏訪地区で余生を送る349号機。静態保存とはいえ、ギースル式煙突採用初号機が現存するのはホンマありがたい。
最後に、349号機の説明版があったが、最近整備がされていなかった関係で判読が不可能であった。そのため、筆者が実際に調査してまとめた。経歴に関しては以下の通り。
 
1940(昭和15)2月15日、日立製作所笠戸工場(山口県)製造。新製配置は敦賀機関区(福井県)。
1957(昭和32)年、上諏訪機関区へ転属。
1963(昭和38)年、国鉄長野工場で煙突を円柱型からギースル・エジェクター型に交換。
1964(昭和39)年、小樽築港機関区へ転属(北海道)。のち苗穂工場で除煙板の切詰改造やコの字手すりを設置。
1968(昭和43)年、追分機関区(同)へ転属。ここでは、夕張線の貨物運用に充当。
1976(昭和51)年3月1日、廃車。その後、諏訪湖ハイツへ静態保存、現在に至る。
 
撮影日・場所…2019(平成31)年1月9日(水)・長野県岡谷市諏訪湖ハイツ


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