多様性

先日、職場の人から、障害児の家族や関係者が書いた「障害児も地域の学校へ」という統合教育を願った、かなり分厚い本をお借りし読んだ。書いた両親の誠実さが十分伝わってきたし、統合教育を望まれる人たちが共同体を大切に考えているのが解った気がした。読んで良かった。
私は、教師生活の後半は障害児学級の担任だった。、障害児教育の考え方の違いはずーと、組織の路線上の違いだと捉えてきた。この本を読んで、率直に思ったのは、考えは違うかも知れないがその人達と落ちついてゆっくり語り合えたらいいなと言うことだった。一般的に革新的・左翼的団体間でも統合教育については、激しい対立がある。その本を読んで対立はもったいない感じがした。
社会のあり方を文化と言う観点から見ることが出来る。とりわけ、教育は文化そのものだ。
文化の価値観は根っこのところで、一元論・多元論とはあるが、具体的なところでは、限りなく多様性が求められるのではないだろうか。人の数だけ、意味と価値はある。本来は人の数だけ教育があっていいのだと思う。ある生物学者は逆に、「植物や動物は、多様な環境を持っている。」人も、~一辺倒ではなく、多様性が求められているのではないかと提言していた。全く同感だ。障害児が普通学級から排除されてはいけないが、教育の場は、養護学校、障害児学級、通級等など、実際は、かずのうえでも種類の上でも、システムや方法もまだまだ足りないのが現実ではないだろうか。あの本を読んで、その人達と語り合えば、きっと具体的に準備したい場や方法が、次々出るように思う。これから国は特別支援教育としてある意味で統合教育の形が進む。見てほしい。文化としての多様な教育の場が広がるのか画一的ななるのかを。障害を持った子供が具体的にどんな教育を受けることになるのか。教育は、子どもの立場から、至って具体的でなければ意味はない。行政の障害児教育のリストラへの渡りに船にしてはいけない。政治的に追求するものと文化的に追求するものは内容も方法も異なる。況や競争や 力で処理する今日の風潮は、文化から遠い。なぜなら
1元的で、多様性を損なうから。




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