気になる安倍首相

一国の最高責任者かつ指導者である総理大臣の動きは、良きにつけ悪しきにつけ注目している。
 官房長官時代は紺のスーツにかなり派手な緋やオレンジ色のネクタイが多かった。髪の毛はほぼ中分け、長身で目が大きく端正な顔立ち。声もかすれたオッチャン声ではなく、どちらかといえば美声。きっと女性に持てるタイプかもしれない。

 最近テレビに出てくる表情を見てるとネクタイは地味になって落ち着いた感じにはなったが、(大丈夫かな?)と気になることが時々ある。多分激務で疲れたいるのかもしれない。
 復党組を「お帰りなさい」と迎え一緒に「美しい日本の国づくり」をしようと呼びかけるが、どこか覇気が無く、目がきっちり合わない。声も表情も、どこか硬い。
 ところで、彼は、(だめ教師)の排除のため現職教師の免許証の定期的な書換え・認証を義務付ける制度に変えるつもりらしい。私は40年間も現場教師をやってきたから、(どうかな?)と思われる先生のキャラクターや指導も沢山目にしてきた。(勿論私自身も他の人からはそう思われていたに違いない。)
 
 とにかく長年教師をやってくると、子どもに好かれる教師のタイプと嫌われるタイプの違いはほぼ見当がつくようになった。それで、門外漢の総理がこともなげに、だめ教師云々する安倍総理自身を、経験を元に(仮に安倍首相が小学校の先生だったら?)と暇に任せシュミレーションしてみた。(東京下町の小学校3年生の学級担任だとする)まず、スタイルはどうか?上品で格好いいので担任発表され2日ぐらいは子どもも喜ぶだろう。母親は半年ぐらいは話題にもなりそそくさと学校に足を運びそう。ただそこからが大変だろう。
 
 子どもは、大人よりはるかに人を感覚的に見抜く。子どもは小さかろうとお勉強ができようができまいが、障害があろうとなかろうと関係なく殆ど本能的と思われるほど敏感に教師の本質を見抜く。(社会的に弱い存在だから、自分にとって、どうか?を見分るのは、生きるために必要な感覚なのだろうと私は解釈してきた)
 まず、子どもは自分を認めてくれるかどうかに敏感だ。それは自分が力が無くても自分と言う唯一無二の存在(心)を受け止めてくれるかどうかを見分ける。それは力が弱く、未完で、欠点だらけの自分を分ってもらえるかどうかである。
 
 安倍首相のように、頭のてっぺんから足元まできっちりできていると子どもは感覚的に人種の違い?を感じ取る。大体あのスーツ姿で授業に臨むだろうが、チャイムが鳴っても近寄り難い。よごれた手で、抱きついていけるだろうか?3年生は殆どの教科を担任が指導する。音楽の時間、例えば「どんぐりころころ」を歌って教えたとする。彼が歌うとどうなるか?「ハメハメハ大王」を歌いながら踊れる姿を想像するといい。 体育の時間跳び箱を指導する。彼はお手本にまず跳んでみせる。そこまではいいが、跳び終わって、子どもの方を見てにゃっと笑うような気がする。自分が主人公になってしまう。子どもは自分の座を奪われたようで深いところで自分を見失う。自ら拍手を期待する。子どもはそれを察知し、「すごい!」といいながら拍手する。安倍先生はそのことに気が付かずそのまま授業をを進める。
 音楽も体育も自我意識が強くて歌の世界や教師(ある意味でバカになったような演技が必要)になり切れないだろう。

 それよりもっと子どもがいやなのは、あの目である。目の奥が笑っていない。子どもは安心し信頼することができない。あの上品ないでたちが、子どもにはマイナスに働く。あの声も美声ではあるが、声の表面が硬く内向きになっている。あの声は子どもと思いを共有しようとする声ではなく子どもは入り込めない。あの形でしょっちゅう学力とか規範意識とか、愛国心を口にするから、子どもは頭と体がばらついてくる。
 始めのうちはものめずらしさで何とかなるが幾日もしないうちに子どもは、学校も勉強も嫌いになってくる.家に帰っても学校の話をしたがらなくなる。時に子どもは愚痴ったり、朝の登校を渋る。
 そこで始めて母親は、どうして?と気になりだす。親達の会話も空気が変わってくる。授業参観後、保護者会で、2・3尋ねると、立て板に水で答えられ、母親達は言い返せないでウヌウヌ。結局学校をでるとき、昇降口で井戸端会議になる。
3年後にはうわさが受け継がれ子どもや親の中で好まれない(外れ・だめ教師)の教師になる。しかし彼は一向に変わらない。何故なら、校長に気に入られ出世コースをひた走る。でも彼は4年目に他の学校に転勤し、そこで教頭になり、5年後に校長先生なる。実は彼は教室の評価とは全く違って、担任をしていたときも管理職や教育委員会の評価は抜群に良かった。それで抜擢され管理職になり、先生方を管理監督し指導法を指導する立場になる。10年後にもといた学校に学校長と戻ってくるが、今度は(外れ校長・だめ校長)とは誰もからも言われない。何故なら、彼は校長室と出張ばかりで、めったに子どもに関わらないので、直接の実害は無く、子どもも時どき、親しく冗談を言うので結構人気がある。

。彼は校長先生として他の先生とは別に、一目おかれ尊敬の眼差しで子どもや保護者、地域の有力者に見られる。本人も表向き幸せ気分。退職後、教育長になる話や、市議会議員になる話が有ったとか無かったとか。そうシュミレーションをした。

こんなのは、学校ではよくある一般的な話である。首相は普通の管理職には成れるが小中学校の教師は向いていない。(大学や大学院の教授ならやれるだろう。あれは一方的にやれるから。)

教師に向いていないだめ教師がどうして(だめ教師)云々言うのか? ある程度の自覚にもとずく節度がほしい。

(私は単に総理はだめ教師なのにどうのこうのだけをが言いたいのではない。)もちろんその人のためにも教師をやめたほうがいい人もいるのは事実だが、教師も弱点を持った普通の人間であることも事実である。教師同士で助け合い補い合って、始めて子どもにとって先生達と言う集団的な指導体制ができる、その中で、欠点を持った先生もかけがえの無い先生になる。殆どがそういう先生だし本来そういうものだ。子どもはいろいろなタイプがいるのでそれに対応するには

バラェティにとんだ「欠点を持った先生たち」が必要。だが安倍先ワンパターンの子ども教師を求めている。(それはありえないしそれは少しも教育的ではない。だから、直接子どもと関わる担任は務まらない。)

安倍首相は担任教師ができないだけでなく、教育が分っていない。私が国会で彼のように立て板に水とは喋れないのと同じだろう。

彼も私もスケートで舞う(フュギアー)はできない。

「餅屋は餅屋」なのに権力はそこを錯覚させるようだ。

権力があっても餅屋はスーパーマンにはなれないのに、それをやろうとするからおかし((変に)なる。

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