ひょっとすると、

  世界、とりわけ日本に対してこれまで感じて来たイメージは(ひょっとすると)実際とは大きく違ってるかもしれないと思う。

  アジアの端っこに浮かぶ小さな島国が、あの敗戦から今日の(世界第2位の経済大国、世界1の長寿国)へと、繁栄してきたイメージを根底に描いていたことは否定できない。ところが、定年も過ぎ、ゆっくり周りを見ていると、長い間、事実として考えてきたことが、(間違っていた。)と思われるものが少なくない。

   敗戦後の日本人は誰もが経済的な繁栄を願った。そして現在ある意味でそれは実現したと言える。
 
  果たして、現在の繁栄は虚構でないといえるだろうか?
  ひょっとすると、長い間勘違いしてきたのではないかとの思いに、より現実感を感じるようになった
    
   例えば、今日の世界の(なかんずく日本の)景気の後退で我々は、経済的な回復を願い、これから生ずる困難を思い、出口を探す。ところが今回は、その後に地球を俯瞰し、人間が地球を掘り起こし、焼き尽くす手を休める人間に、地球が一時の安らぎを得、喜んでいるようにも見える。
 
 地球とヒトを俯瞰すると、ヒトの繁栄の出口を探すだけでは、 ≪ひょっとすると≫田分けへの出口探しを繰り返すことになるかもしれない。

 田分け→田分け者→目先の利益を得るために自分の田畑を    

               売るヒトのこと。

 

 

 

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