先ず、五輪はアフリカで

五輪が平和の祭典として引き継がれてきたが、最近は商業主義が目について素直に楽しめないでいる。

唯一の願いは五輪のマークの最後に残ったアフリカで開催して欲しいだけ。

東京で開催したら〇兆円の経済効果があると宣伝されているが、平和の祭典で金儲けしようとする美しい国にはふさわしくないえげつなさが垣間見えて情けない。

そんなことをするぐらいなら、有志の国がお金を出し合ってアフリカのどこかで開催したら、それこそ直接・間接的に植民地化した罪の償いにもなるし、人類史的な平和の祭典になるのに…。

先ずは 罪を償ってからでないと(平和の祭典)は始まらない。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

まだら模様と曖昧さ

身近にいる筈の小動物が姿を消し、連日の暑さと経験したことの無い豪雨、制御できない実験段階の核分裂を実用化し続け、お金が無くなれば景気回復に増刷する。

何れも人間が引き起こしている現実。

これを「危ない」と心配するのも人間だから、私たちは(異常と正常)の間を右往左往するまだら模様の動物かもしれない。大自然界でまだら模様の違いを攻め合うのも感心しないが曖昧にするのは余計にいただけない。何故なら、大自然や人間の生がかかっているのだから。



 

 

 

 

 

 

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )