「人間は動物である」

 

    社会であれ個人であれ芸術であれ教育であれ事の(良し悪し)は勝手に人間が決めるものではなく自然の理に敵うかどうかだろう。

  人間が受容された(良い状態を)心理学ではウェルビーンと言い感覚が外に外に開かれ自らが外界を受容できる状態を言い、東洋の禅の求めるところと一致する。

  良い状態かどうかは単に観念の問題ではなく、生理学的に検証可能な状態でもある。

  現代社会は自然の理から離れ教育に至るまで(良い状態)も放棄しているかのようだ。

   生物は良い状態では必ず探索行動を誘発する。逆に探索行動がその生物が本来的な状態にあるかどうかの目印にもなる。

   良い状態で探索行動をベースに探査・探求と社会的行動へと発展させられるかどうかが社会の在り方や教育の在り方を問うカギでだろう。

   今は可なり手前を歩いているが、忘れただけでもある。「『間は社会的動物である』 は2000年前に言われて言葉である。形容詞を抜いた主述関係は「人間は 動物である。」になる。

 

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   淀んだ空気から抜け出したい

 

      周辺国へのバッシングと国の主の意向に誘導する一方的な情報には 少々辟易している。

    私たちは (地球村)と言いたくなるような地上の小さな現実を 一方で感じながら、 マスコミの情報に耳を傾けなければ生きてはいけない。 

     これらの社会の仕組みや引き裂かれたような心は 自然からかけ離れ自ら招いたものかもしれない。

  社会も個人も急いで自然に向き合うことが 求められているのだから、自分だけでも外へ出て思いっきり良い空気を吸い、吐いてみるぞ!

  「メディア」とはシャーレなどで微生物を培養する時の培養液の事らしいが、そうだとすると私たちはマスメディア(大量培養液)の中で泳がされている微生物のようなものかもしれない。

   きれいな水の中で泳げると良いのだが…

   

    

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